第4章:誰も世界を救えない(3)
 剣と鎧の意匠が刻まれた看板のかけられた入口をくぐる。すると、奥のカウンターにいた、片目を眼帯で覆った筋肉質な中年の男が、「らっしゃい」と低めの声で出迎えた。
 ミサクは迷わずカウンターまで近づいてゆき、エクリュを示して、
「この子でも振り回せる剣を」
 と言葉少なに注文する。店主は隻眼で値踏みするようにエクリュを見ていたが、やがてカウンター後ろの壁にかけてある長剣の中から一振りを取り上げて、「これでどうだい」とミサクに差し出す。すると、ミサクが視線でエクリュを促した。
 そういえば彼は、刃を振るえない魔律晶を埋め込まれているとかいう話だったか。数秒持つだけもかなわないのかと思いながら、剣を受け取り、鞘から抜き放つ。コロシアムで持たされていた、刃こぼれだらけで無駄に重い幅広のなまくらとは違い、細身だが、切れ味は遙かに良さそうで、振り回しても自分の腕のように馴染んで軽い。
「それでいいか」
 問われたので、鞘に戻してうなずけば、ミサクはイージュ金貨をカウンターに積んだ。だが、店主はその枚数を数えるのもおろそかに、ミサクの顔をじっと見ている。その視線が、腰のホルスターに収まる銃に降りていった。
「……何か?」
 ミサクが不審そうに訊ねると、店主は面を上げ、口を開く。
「銀髪、十八年前のアナスタシアの最新式、『静音律』、剣を持てない」
 ミサクが一瞬で表情を険しくして反射的に銃に手をやるのを制して、店主は身を乗り出した。
「ミサク隊長。俺です、ギルです。お忘れですか」
 その言葉に、ミサクは眉根を寄せて記憶の糸を手繰っているようだったが、不意に思い当たる節があったのか、目を丸くして店主を見つめる。
「特務騎士のギルか。こんな所にいたとは」
「ご無沙汰してます」元上司に覚えていてもらった事に安堵したか、ギルと呼ばれた店主は相好を崩す。「俺だって、こんな所に隊長がいらっしゃるとは思いもしませんでしたよ」
 特務騎士、というのは、旧アナスタシア王国にあった部隊の事で、ミサクはその隊長であり、身分を隠した部下が大陸中に散って、様々な任務をこなしていた、という話は、何日か前に聞いた。王国が瓦解した今、隊員のほとんどは、消息が知れなくなっているという事も。
「よく生きていた」
「まあ、色々あって棺桶に半分足突っ込んで、目もこの通りですがね。何とかこの店の先代に拾ってもらって、去年あとを継いだばかりですよ」
 ギルは自嘲気味に歯を見せて、眼帯を指差してみせた。顔や日に焼けた腕のあちこちにも痛々しい傷痕が見受けられる。かなりの死線をくぐり抜けてきたのだろう。
「じゃあ、その子がエクリュ様ですか」隻眼が不意にこちらを向いて、懐かしそうに細められた。「ああ、よく見ればシズナ様にそっくりだ」
 そんな視線を向けられて、エクリュは落ち着かなくなってしまう。コロシアムであれだけ大衆の目を集めていたのに、たった一人に見つめられるだけで、こんなにもどぎまぎしてしまうのは何故なのか。買ってもらったばかりの剣の柄を握ったり放したりしていると、ギルは笑みを見せ、再びミサクに向き直った。
「積もる話もありますが、まずは再会出来た記念に、その銃を調整メンテナンスさせてもらえませんかね。勿論ロハで。俺の腕なら三十分で終わらせます」
「相変わらず、自信家だな」
 ミサクは呆れ半分といった様子で笑いつつも、「頼めるか」と銃をカウンターの上に置く。
「今度お暇があったら、呑み交わしましょう」
「いいだろう。あの頃は俺が呑めなかったからな」
「ああ、隊長と酒が呑めるなんて、時が流れたんだなあ」
 男達がしみじみと言葉を交わす。その後、ギルがたちまち銃を解体して調整に入ってしまったので、
「エクリュ、行こう」
 とミサクがこちらを促した。
「三十分ここで立ち尽くしていても、彼の気が散るだけだ。どこかで時間を潰そう」
 そうして踵を返して、武器屋を出ていこうとした時。
「ああ、そういえば隊長、ご存知ですか」
 視線と手は解体した銃から離さないまま、ギルが声をかけてきたので、ミサクが振り返ると、予想だにしない事実が耳に届いた。
「ベルカが壊滅したそうです」
 その言葉に、ミサクが表情をこわばらせ、エクリュは驚きのあまりに心臓をつかまれたような感覚に襲われる。
「いつだ」
「遅くても一昨日ですね。あの街にあった『阻害律』で『透過律』が遮断されなくなったのに、シャンテルクの魔法士達が気づいた事で発覚しました」
 まだ一般市民には伏せてありますがね、と、部品をひとつひとつ点検しながら、ギルは続ける。
「そりゃあひどいもんだったそうです。大地震の後に火災があったような様で。生き残りは一人もいないだろうと」
 エクリュにとって、ベルカには良い思い出など無い。普通の少女が過ごすはずだった青春時代を全て奪われた場所だ。それでも、自分が育った地が、天災か、はたまた人災か、何もわからぬままに滅ぼされたと聞けば、胸が痛むものがある。
 消えてしまったのか、皆。エクリュを虐げた娼婦達も。『名無し』の戦いを見て笑っていた連中も。ザリッジに内緒で、腹を空かせたエクリュにこっそりおにぎりを分けてくれた厨房の老女のような、ほんの一握りの心ある人間も。
 落ち着け、とばかりに胸をおさえ、深呼吸を繰り返す。顔色も悪くなっているだろう。それを察したか、ミサクが「屋上に行こう」と背中を軽く押してくれた。
「外の空気を吸って、落ち着いた方がいい」
 そうして彼は、エクリュの手を握り、早足に歩き出す。引かれるままについてゆき、階段を昇れば、青空が視界いっぱいに広がった。
 シャンテルクの商業地区の屋上は、誰にでも開放されている。食べ物の屋台がいくつか並び、近くには座って食せるようにベンチが置かれ、少し離れた場所には、小さい子供が遊べるように、木馬や手押し車の置かれた広場がある。そこで、熊を大分可愛らしく模した着ぐるみが、群がる子供達に色とりどりの風船を配っていた。
 ミサクはエクリュをベンチの一角に座らせると、屋台で飲み物を買い、すぐに戻ってきた。
「何か飲めば、少しは気分が変わるだろう」
 差し出されるままに紙カップを受け取り、ストローですすれば、メロンの甘さと、炭酸の刺激が同時に口内に満ちる。
 ぷは、っと息を吐き出すと、ミサクは安堵した様子でエクリュの隣に腰を下ろした。
「大丈夫か」
「うん」
 メロンソーダをもう一口含んで、喉を滑り落ちてゆく爽やかさを堪能し、空を見上げれば、白い雲が流れてゆく。羊の形に似たそれを見て、そういえば、メイヴィスがラムを買ってくると言っていた事を思い出す。ベルカを脱出してから口にした肉は、鳥か牛だったので、子羊の肉とはどんな味がするのか、見当がつかない。だからこそ、楽しみだ。口元をゆるめてまた飲み物をすすった時。 「そうしていると、本当に、シズナにそっくりだ」
 しみじみと呟く言葉に顔を向ければ、ミサクは、どこか懐かしそうな様子で青の瞳を細め、エクリュを見つめていた。
「立場上、シズナにはきょうだいらしい事を何もしてやれなかったからな」残された彼の左手が、くしゃり、とエクリュの髪を撫でる。「せめて君には叔父らしい事を、これからも色々とさせてくれ」
 その言葉と、視線で、エクリュは本能にも近い感覚で気づいて、ああ、と息を洩らした。
 ミサクは、母の事が本当に好きだったのだろう。
 まあ、だから何だ、とも思う。ミサクが母を好きな事も、その想いを引きずって、エクリュに母を重ねて見ている事も。だからといってエクリュのこれから歩む道に何ら影響を及ぼすものではない。それに、叔父として姪の面倒を見たいという彼の弁も、また嘘ではないのだろう。
「わかった」
 エクリュがうなずくと、ミサクは少しだけ口の端を持ち上げて笑んでみせた。そんな彼から視線を外し、ゆっくりと空を歩む羊雲を眺めながら、メロンソーダを味わう。
 無言の時間が流れる。子供達のはしゃぐ声が耳に、屋台の肉が焼けるにおいが鼻に、ほどよく漂ってくる。
「……そろそろ、調整が終わる時間か」
 やがて、ミサクがぽつりと洩らしながら立ち上がった。
「ここなら一人でも心配は要らないだろう。俺一人で引き取ってくるから、待っていられるか?」
 たしかに、屋上の空気は穏やかで、ここにいきなり何らかの脅威が現れるとは思えない。残り少なくなったメロンソーダをすすりながらこくこく首を縦に振ると、ミサクは微笑を見せて、屋内へと消えていった。
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