第9章:青い魔剣『オディウム』(5)
 シズナは最早、言葉を失って立ち尽くすしか出来なかった。
 目の前に立つアルダが、自分が愛した人が、魔律晶の力によって編み出された偽りの生命だというのか。
 だから、アルダは絶望したのだ。自分に存在価値が無いのだと。
 だから、アルダは切望したのだ。意味の見出せない生の終焉を。
 だが、それを聞いて逆にシズナの心は定まった。彼が一人で死を望むならば、自分がやる事はたったひとつだ。
 腰の聖剣『フォルティス』に手をかける。柄を握り、一気に引き抜く。透明な刃は、今のシズナの感情を反映したかのように、まばゆい赤に輝いた。
 それを見たアルダが、やけに満足そうに微笑みながら、魔剣『オディウム』の柄に手をやる。鞘から解き放たれた刃は、シズナの赤とは対照的に、静かな青い光をたたえていた。
「『フォルティス』と『オディウム』は、根源を同じくする武器だ。持ち手の感情を反映して、動ならば赤、静ならば青に光る」
 魔剣を掲げながら、アルダは淡々と語る。
「君は怒りの赤、俺は諦めの青。似合いだね」
『オディウム』を手元で一回転させ、切っ先がシズナに向けられる。
「さあ、始めようか、勇者シズナ。勇者と魔王の決戦を」
 二人が向かい合った空間に、ぴりぴりと張りつめた空気が流れる。沈黙が支配する。剣を握る手は今更細かく震え、背中を汗が伝い落ちる。
 ごくりと唾を呑み込んで、先に気合いを吐いたのは、シズナだった。素早く駆けて床を蹴り跳躍、大上段から聖剣を振り下ろす。アルダは待ち構えていたかのように魔剣をかざし、刃がぶつかり合う音を立てて、赤と青が紫の火花を生み出した。
 初撃をいなされたシズナは、すぐさま飛びすさって距離を取る。
『大きい攻撃の後にはすぐ体勢を立て直す。でないと、敵さんに有利な隙を与えるだけだ』
 師匠のガンツの声が、脳裏をよぎる。
『逆に攻められた側は、その隙を逃すな。踏み込んで、真っ直ぐだ』
 師の同じアルダが取るべき行動は、読み通りだった。魔剣を突きの形に構えて一歩を踏み出してくる。すかさず聖剣を振って上へと受け流し、薙ぎ払いに転化する。それもアルダが身を引く事であっさりとかわされた。
 木剣を打ち合ったあの日々は、ただの練習だった。だがそれが、こうして敵味方に分かれて、真剣で命のやりとりをする羽目になるとは。
『本当に、そんな場所に私達が出る事があるのかしら』
 御伽話を夢想するかのようにぼやいていたあの日から、たった一年で、自分達は何て遠くまで来てしまったのだろう。
 目の奥が熱くなるのを感じながら、溢れてくる感情をかけ声にして、シズナは一打一打を繰り出す。対するアルダは、攻撃を受け流しながら合間に反撃をしてくるものの、決して決定打を与えようとはしない。
 やはり彼は、シズナに討たれる事を望んでいるのだ。ならば。
 シズナは腹をくくると、防御を捨てて大きく一歩を踏み締めた。そして、迎撃の体勢を取るアルダに向けて首を伸ばし。
 唇に唇を、かすめさせた。
 いつかアルダが、シズナを油断させる為に使った戦法に、先にそれを仕掛けたアルダが吃驚びっくりして動きを止める。そこへすかさず『フォルティス』を振り払い、刃はアルダの右肩を斬り裂いて、『オディウム』を取り落とさせた。
 アルダが低く呻いて肩をおさえ、膝をつく。指の合間から赤い血が流れ、床に滴り落ちる。
 それを碧眼で睨むシズナは荒い息をしながら、抜き身の『フォルティス』を手に、静かにアルダの前に立った。
「終わりにしてくれ」アルダがシズナを見上げて、儚げに微笑む。「君の手で」
 しかし、勇者の剣が魔王の首を落とす事は無かった。シズナは聖剣を鞘に収めると、『混合律』の魔律晶を取り出し、『回復律』の青い光を発して、アルダの肩の傷を癒したのである。
「な……!?」
 アルダが、信じられない、といった表情で固まる。その腑抜けた顔に向けて、シズナは右手を振り上げ、勢い良く引っぱたいた。
「この、馬鹿!」
 頭ごなしに怒鳴られて、アルダがますます困惑した顔になる。子供の頃喧嘩をした時、いつもシズナがこうやって癇癪を起こして、アルダが訳がわからないとばかりに途方に暮れていたものだ。
「死にたがりの魔王に、望み通り死を与える勇者が、どこにいると思ってるの!?」
 シズナはアルダの胸倉をつかみ、がくがくと揺さぶりながら、声を荒げる。
「そんな親切な勇者に、私はなれない!」
「でも」
 アルダが、置いてけぼりをくらった子供のように、あまりにも頼り無い戸惑いを顔に浮かべた。
「俺はエルシとイーリエを、君の両親を殺した。あれだけ世話になった村の皆の命を奪った。君の手で報いを受けて当然だ」
「それが傲慢だって言ってるの!」
 勝手に溢れてくる涙の粒を飛ばしながら、シズナは叫ぶ。
「罪を犯したと思うなら、生きろ! 生きている価値なんて、自分で探せ!」
 そして、何より。
「何より、私が貴方を必要としているの! どんな姿になっても、貴方に生きていて欲しいの! それを無視して勝手に死ぬなんて、絶対に許さない!」
 アルダが紫の瞳を驚きに見開いた。
 そうだ、結局そういう事だったのだ。何度も好きだと言い合った。口づけも交わした。より深く繋がりもした。あの頃育んだ想いの炎は結局、どんな運命を経ても立ち消える事は無かったのだ。
 結論は、ただひとつだった。
「私は、貴方を愛してる。だから、死ぬくらいの命なら、私の為に生きる事で費やして」
 最前までの激昂が嘘のように静かな、心底からの告白に、アルダの顔が、今にも泣きそうにくしゃりと歪んだ。
「男のくせに、みっともない」
 自分も泣き笑いになりながら、シズナは頬を拭う。
 ゆっくりと。アルダが両腕を伸ばしてくる。一年ぶりの、今度こその抱擁に身を任せようとしたその時。
 彼の背後の『複製律』が、ぶう……ん、と不吉な低い唸りをたてたかと思うと、その中に黒い影が渦巻くのを見て、シズナははっと表情を引き締め、「アルダ!」と彼を横様に突き飛ばした。
 次の瞬間。
《蒐集に値する感情の昂りを確認》
 どこからともなく平坦な声が聴こえたかと思うと、『複製律』の中の黒い影が収束し、男とも女ともつかぬ、人の顔が生じた。
《デウス・エクス・マキナ、起動。活動を開始する》
 そうして、『複製律』に繋がれていた無数の線が、意志を持つかのようにシズナに向かってきたかと思うと、腕に、足に絡みつき、体内にまで侵入してくる。
「あああああっ!!」
 頭にも刺さって、脳をめちゃくちゃにかき回されるかのごとき衝撃に、シズナはたまらず悲鳴をあげる。
《怒り、哀しみ、後悔を認知。学習し、複製を行う》
「シズナ! シズナ!!」
 相変わらず感情の無い声が響き渡り、アルダが必死に自分の名を呼ぶ声が、次第次第に遠ざかっていった。
BACKTOPNEXT