第8章:仮面の下に秘められた(1)
 山を降りても、肌寒さは和らぐ事が無かった。もうすぐ冬が、アナスタシアに近づいているのだ。
 エルヴェを弔った後、三人になったシズナ達一行は北の山を後にし、夢惑の森を再び抜けて人の住む地域まで戻ってきていた。
 二人も旅の仲間を失い、魔王城の場所を知るエルヴェもいなくなった今、一度王都に帰還してヘルトムート王に謁見し、仲間の補充を願い出る手もある。
 だが、シズナもミサクもコキトも、三人揃って出した意見は、
「それは嫌だ」
 であった。
 ミサクとコキトがどういう意図をもってその考えに至ったのか、シズナに知る術は無い。だが少なくともシズナの胸中では、どこに邪な考えを持っている人間がいるかわからない、素知らぬ顔で裏切り者が混じっているのではないか、そんな疑いの芽がびっしりと根を張って、これ以上他の人間と同道する事を疎んじていた。
 それに、勇者はアナスタシアにとっては国を回す為の一部品にしか過ぎない事をエルヴェから聞いた今、あの王の前に出るのが癪でたまらなかった。抱くに値しない、魔王の居城も見出せない勇者が帰還したら、あの愚鈍な王はここぞとばかりにシズナを抹殺して、もっと自分の思い通りになる誰かに、勇者の役目を押しつけるかもしれない。真に聖剣を扱える者がこの世にいなくなったとしても、だ。
 ならば、たとえ背後から武器を突きつけられているとしても、ミサクとコキトに最後まで頼った方が良い。次に裏切られたら、共倒れを覚悟してでも彼らを討ってみせる。その後の事は、いざという時に考えれば良い。それが、シズナが山を降りている間に至った結論であった。
 とにかく今は手詰まり状態で、保存食も旅に必要な物資も足りなくなってきた。
「とりあえず、街で買い物をして、態勢を立て直そう。物理的に余裕が無ければ、精神的にも余裕が無くなる」
 ミサクのその一声で、一行は街道を西へ行き、カナルトの街へと辿り着いた。
 カナルトはアナスタシアの中でも大きな街で、国の東側と西側を繋ぐ要所として栄えている。東西両方から人も物も流れ込み、商業も発達しているので、必要な品を見つけ出すのは容易かった。
 人里離れた場所へ行って、買い物から離れていたので、資金が足りるのかとシズナは懸念したのだが、彼女の与り知らぬところで財布の紐はコキトが握っていたらしい。旅立ちの時に下賜された分と、セレスタ村で魔物を退治して村人からもらった謝礼、そして、「もう使う人はいないから」とミサクが堂々とエルヴェの家から失敬してきた金目の物を売り払って得たイージュで、懐は潤っていた。
 買い物を終えた後は、ミサクの頼みで銃火器の店を訪れた。銃は、込める弾が無ければ無用の長物と化し、なおかつ定期的に、一旦全てを分解しての調整メンテナンスをしなくては、暴発する危険性があるという。ミサクの得物はアナスタシアでも最新式で、調整の頻度が低くてもまだ安全な代物らしいが、それでも、数ヶ月放っておいた銃に負荷がかかっているのは確かだ。顔に大きな傷のある店主に銃を託し、調整が終わるまでの時間を、食事をとってつぶす事に決めた。
 美味しそうなにおいの漂ってくる食堂の看板が視界に入った途端、三人の腹が三者三様に鳴き声をあげる。ずっと保存食や現地調達で過ごしてきた身体は、出来立ての料理の誘惑には勝てなかった。
 食堂に入って席に着くなり、三人ともメニューを食い入るように見つめ、欲望に忠実に食べたい物を注文する。
 秋野菜のサラダ山葵わさびドレッシングがけ。とうもろこしとじゃがいものポタージュ。ハーブに漬け込んだ鴨肉のロースト。子羊肉ラムを三日煮込んだブラウンシチュー。川魚の姿焼き。トマトペーストで仕立てた魚介類のリゾット。特製レモネード。そしてとどめにベリーのタルト。
 テーブルを埋め尽くすほどに運ばれてきた大量の料理を分け合い、「いただきます」と両手を合わせて頭を下げ、その後はしばらく誰もが無言で、むしゃぶりつくように食事をかき込んだ。
 サラダは山葵がぴりりときいていて、ポタージュは温かい。肉料理も魚料理も身が柔らかく、リゾットはトマトが味を主張しすぎないで、魚介類の素材の味を殺していない。レモネードは甘酸っぱく、タルトは『氷結律』を使った氷室で冷やしていたのか、ひんやりと舌に触れた。
 長らく離れていた料理人の手による食事に、腹も心も満足し、食後の一杯として出てきたエスプレッソをちまちまと味わいつつ、シズナはそこでようやく周りを見回す余裕が出てきて、店のあちこちに、顔の形に皮をくり抜いたかぼちゃが大小問わずに置かれている事に気がついた。
「ははん」シズナの視線に気づいたコキトが、口元をゆるめる。「カナルトの感謝祭か」
「感謝祭?」
 不思議そうに小首を傾げると、コキトはひらひらと手を降りながら、明快な説明を始めた。
「カナルトでは毎年この季節に、一年の収穫を祝って盛大な祭を催すんだよ。メインイベントは夜の仮面舞踊会。皆、顔を隠してその日だけの恋人と踊って過ごすんだ」
「隠すって……あのかぼちゃをかぶるの?」
 シズナが口を変な形に曲げながら、そこかしこにあるかぼちゃを指差すと、ミサクが含みかけていたエスプレッソをぶっと噴き出してむせ込み、魔法士は色眼鏡の下で目を点にしたようで、その後「あっはは!」と腹を抱えて笑い出した。
「それも悪かないけど、それじゃあ頭が重たい上に、完全に相手がわかんないからね。ゆきずりなんてほんの建前。目元だけ隠す仮面をつけて、ほとんど誰だかわかる状態で、本命と踊るんだよ」
 つまり相手はあらかじめわかりきっているようなものか。つまらない、と感じる反面、本命の相手と踊れるようにするには、その程度の仕込みでなければいけないだろう、と納得する部分もある。
「仮面舞踏会は何度か開催されるが、今夜もあるはずだ。シズナも興味があるなら、息抜きに行っておいで」
「うん……」
 本当は、そんな浮かれ事に現を抜かしている場合ではないだろう。しかし、これまでの道程ですり減った心を癒すには、『勇者シズナ』の姿を知らないこの街で誰かと踊って、憂さを晴らすのもありかもしれない。生返事をしながらも、シズナの胸中では、密かに浮き立つ気持ちがあった。
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