第6章:夢惑むわくの森に銃声は響かない(4)
 初対面時のあの無作法を思い出して、必死に身をよじるが、がっちりと囲い込まれて、身動きが取れない。
「せっかくの二人きりなんだ、逃がさねえぜ、シズナ」
 嬢ちゃん、ではなくシズナの名が耳元で囁かれたかと思うと、首筋に熱を覚える。
「魔王にもこうされたんだろ?」
 蹴りを放とうとした足をすくわれ、シズナはイリオスに抑え込まれる形で地面に倒れ込んだ。頭の中で警鐘が鳴り響く。相手は本気だ。最初の手合わせの時の冗談半分ではない。それが証拠に、手加減無しの力で服に手がかかり、胸元を引き裂かれた。
「俺はな、田舎貴族の三男坊なんだよ」
 冷たい外気に当たった肌を舌が這う、おぞましい感覚をやり過ごそうとするシズナの耳に、いつものねっとりした声色ではない、本気のイリオスの固い声が滑り込んでくる。
「跡継ぎとしての資格もねえ、政略結婚の道具にもならねえ穀潰しは、せめて王都で身を立てろって、追い出されるように故郷くにを出た。だから、俺は何が何でも、どんな手を使っても偉くなって、親父や兄貴達を見返してやらなきゃなんねえ」
 唇を塞がれ、湿った舌が入り込んでくる。アルダ以外の口づけなど、受け入れたくはない。せめてもの反撃に思い切り噛みつくと、引っ込むように舌は出て行ったが、ぎらぎらと餓えた瞳が、シズナを冷たく見下ろした。
「勇者の娘なんて女を自分のものにしたら、俺は兄貴達より出世出来る」
 舌を噛まれたせいで口から血を流すイリオスの顔を至近距離で見て、シズナはぞっとした。彼にとって自分は、利用すべきただの女。それ以上でもそれ以下でもなかったのだ。共に旅を始めてからも、仲間意識など無く、いつシズナを手籠めに出来るか、その下心だけを抱えて行動を共にしていたのだ。
「だから、大人しく俺のものになれよ!」
 イリオスが野獣のごとく吼えた、その直後。
「ぐっ」と低い呻きを洩らし、彼はシズナにもたれかかるように倒れ込んできた。反射的に押しのけると、今度は反撃に遭う事無く、騎士の身体は地に倒れ伏す。その目から光は失われ瞳孔が開き、額に小さな穴が開いて、そこからどくどくと血が流れ出して地面に吸い込まれていった。
 何が起きたのか。まだ困惑する頭をおさえながら身を起こすと、見た事も無いくらい冷酷な色を瞳に宿して、硝煙のぼり立つ銃を構えたままのミサクが、そこにいた。それらの情報を照らし合わせて答えに至り、シズナは戦慄する。
 殺したのだ。ミサクが。イリオスを。味方を。
「間に合って良かった、シズナ」
 かたかた震えるこちらの動揺に気づいているだろうに、全く意に介さない様子でミサクは銃を収め、それから、シズナの格好に気づくと、さっと顔を赤くし、うつむき気味に自分のマントを脱いで肩にかけてくれた。
 シズナがマントの前を合わせて、問い詰めるように見つめると、ミサクは事切れたイリオスを一瞥し、冷淡に言い放った。
「『勇者シズナに付き従って旅立った騎士イリオスは、魔物との戦いの中、栄誉ある戦死を遂げた。その亡骸は夢惑の森の奥に葬られ、かの地に守られて永遠の安息を得るだろう』 そう陛下に伝えれば、彼の名誉が汚される事も無いし、彼の家族にも莫大な遺族年金が下りる」
 それに、と彼は続ける。
「万一死体が見つかって、特務騎士による銃痕をみとめても、アナスタシアの医師はそれを『無かった事』として扱ってくれる」
 シズナは目を見開いて息を呑んだ。ミサクは、暗殺まで請け負うという特務騎士の権限を最大限に利用するつもりなのだ。
「……どうして」
 どうして彼は、そんな風に自分の手を汚してまで、出会ってまだ一年のシズナに尽くしてくれるのか。勇者の娘に仕えるにしても、彼の行動は恐ろしいまでにシズナの為に忠実で、冷静で、残酷だ。
「貴女の為だ」
 疑念に返ってきたミサクの声は、いつにない熱を帯びていた。
「貴女の為になるのなら、僕は世界を敵に回しても貴女を守るし、腕がもげても、両目を失っても、この命を落とす事になっても、貴女に仇なす全ての敵を排除してみせる」
 聞けば答えになっていそうなその言葉には、肝心な部分が欠落していた。彼がそこまでする理由がわからない。
 しかし、それ以上を問い詰める事はかなわなかった。
「行こう」
 ミサクがこちらに向けて手を差し伸べたからだ。
「リリスを殺してしまった以上、この森の魔力は解けるだろう。霧も晴れて、アティア達とも合流できるはずだ」
 正直今は、この手を取るのが恐い。握った瞬間に、彼は反対の手で、イリオスと同じようにシズナの眉間を撃ち抜くのではないかと思えるのだ。
 だが、貴女の為だと力を込めて言い放った彼の言葉も嘘とは思えない。
 戸惑いながら、シズナはミサクの手を借りて立ち上がった。

「あっ、シズナ様、ミサク様!」
 イリオスの死体を二人がかりで泉に沈め、森を北に抜けた所で、アティアの明るい声がシズナ達を出迎えた。
「良かった、ご無事で。コキト様も見つかったんですよ」
 嬉しそうに両手を打ち合わせる彼女は、シズナの格好と、いつも以上に平静を保とうとしているミサクの表情を見て、察したようだ。
「……イリオス様は」
「魔物に襲われて死んだので、弔ってきた。これからは四人だ」
 静かな問いかけに、端的な答えが返る。アティアも深くを訊こうともせず、その話題は打ち切られた。
「それにしても」
 ミサクが呆れ果てた様子で、コキトの方を向く。
「離れないでくれと言ったのに、皆を守るべき魔法士が率先して迷子になるとは、どういう了見だ」
「いやあ、申し訳無いねえ。リリスの領域って聞いたら俄然興味が湧いちゃって、ついつい」
 向けられた怒りもどこ吹く風、魔法士はからから笑いながらつるりとした禿頭を撫でる。その全く悪びれない様子を見て、シズナの中で、新たな疑念の種が芽を出した。
 この人も、なのだろうか。
 わざと一行から離れて混乱した状況を作り出し、シズナを始末しようとして、失敗したら「ついつい」と誤魔化して平然と味方に戻る。そんな動きをしているのだろうか。
 いや、だとしたらミサクと一緒だ。一年間魔法を教えているうちに、事故に見せかけてシズナを抹殺する機会はいくらでもあっただろうし、この森でも、はぐれたりせずに、強力な魔律晶を使って森ごと焼き払うなり出来たはずだ。
 一体誰が敵で、誰を信じて良いのか。森を抜けても、シズナの胸中の夢惑の霧は、一向に晴れる気配を見せなかった。
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