第5章:赤い聖剣『フォルティス』(4)
 村が燃えていた。あちこちの家から火の手があがっている。混乱の中を逃げ惑う人々に飛びかかり、喉笛を引き裂いているのは、狼型の魔物だった。その灰色の毛並みには見覚えがある。全てが変わったあの運命の日、村を襲った魔物と寸分違わない。
(……あれ?)
 指先がちりちりする。勝手に膝が震えて、次の一歩を踏み出せない。
 かつて刻まれた恐怖は、シズナの自覚無きうちに、心的外傷(トラウマ)となって染みついていたのだ。
 目は魔物を凝視して離せない。息は吸いっぱなしで吐き出す事を忘れ、頭がくらくらする。歪む視界の端を、冷たい瞳をした紫の髪の少年が横切った気がする。抱けなかった赤ん坊の泣き声まで聴こえてくる。
「――シズナ!」
 底無しの闇に引きずり込まれそうだったシズナを急速に現実へ引き戻したのは、ミサクの声だった。普段激昂する事の無い彼の真剣な声色を聞いて、霞がかっていた意識の曇り硝子が砕け散る。
「気をしっかり持つんだ! 貴女は勇者だ、戦える!」
 声の方を向けば、青い瞳が真剣にこちらを見据えている。こんな真摯な瞳でまっすぐに自分を見つめてくれた人は、今まではアルダしかいなかった。
 そのアルダは、ここにはいない。もう一度真正面から見つめ合うには、自分の足で彼の元まで辿り着くしか無いのだ。
 その為にも、立ち止まってはいられない。こんな所で女々しく気を失っている場合ではない。シズナは思い切り頭を振り、頬を両手で叩いて気合いを入れると、腰に帯びた剣の柄に手をやり、一気に引き抜いた。
 透明な刃が、炎の照り返しを受けて赤く輝く。膝の震えは止まった。聖剣『フォルティス』を握り締め、呼気を吐いて、シズナは正面から飛びかかってくる魔物目がけて、武器を振り抜いた。
 肉を断つ感触。びくりと硬直する手応え。噴き出す血。痛みの鳴き声。全ての感覚がゆっくりと伝わり、そして、どう、と魔物の身体が地に落ちた。
 一匹の命を奪ってしまえば、最早躊躇いは無かった。振り向きざま、背後に忍び寄っていた一体を切り伏せ、駆けてくる三匹を視界に映したまま、胸元の魔律晶に手を添える。
 多くの魔法を使える『混合律』。この魔物は炎を操る。
『炎には水か氷、風や雷には地、闇には光。世界の魔法は相対属性を持っている』
 コキトの講義を思い出し、左手を掲げて念じる。
(氷の雨だ)
 たちまち『混合律』が水色の光を放ち、竪琴の弦を弾くような音と共に左腕を伝ってゆく。掲げたその手の先から、多くの氷の矢が生み出され、シズナが腕を振り下ろすと同時、矢は魔物達に降り注いだ。無数の矢に貫かれては、魔物もたまらない。次々と断末魔の悲鳴をあげて倒れ、地面に血の花を咲かせた。
 やっと周囲に目を向ける余裕が出てきて、仲間達を見回す。ミサクは動じる事無く正確無比な射撃で魔物の頭部を撃ち抜き、イリオスは「ハッハー!」と笑いさえ爆発させながら、膂力に任せて敵の首を次々斬り飛ばしてゆく。アティアは短剣で魔物を牽制し、怯んだ所に、コキトが『聖光律』で生み出した白い光の槍が貫いた。
 騎士達も、いざ戦いになれば、自分の命がかかっている。必死の形相で魔物達と戦っていた。
 だが、狼の魔物がほぼ撃退され、人間達が優勢のまま終わると思われていた戦いに、変化が訪れる。
「た、助けてくれえええ!」
 村人達の悲鳴が近づいてくる。はっとそちらを見やれば、新手の魔物が視界に入った。
 シズナの背丈の四倍はある巨大な植物。ぱっと見はそう思えた。だが、植物にしては蔦のような触手がうねうねと動き回っているし、根と思われる部分は足のように器用に地面を這い、花と思しき場所にはぱっくりと大きな口が開いて、ぞろりと揃った牙が獲物を待ち構えているごとくに見えた。
 その巨大植物の魔物が、逃げ遅れた村人を触手のような蔦でつるし上げ、ゆっくりと口元へ運んでゆく。
「うっ、うわああああ!!」
 恐怖に駆られた悲鳴の一瞬後、反射で目をつむってしまったシズナの耳に、肉が裂かれ骨が砕かれる嫌な音が届く。のろのろと目を開けば、魔物の口から赤い液体がたらたらと滴っていた。
「ひっ、ひい……」
 騎士団の連中がたちまち恐れをなし、後ずさる。
「何をしてるんですか! 魔物から村人を守るのが貴方達の仕事でしょうに!」
 しびれを切らせたアティアが一喝しても、彼らの恐慌が去る事は無い。
「だ、だってよお、あんな魔物と戦った事なんかねえよ!」
「初めて見る奴だ、かないっこねえ!」
「ま、魔王の嫁が来たから、つられて来たんじゃねえのかよ!」
 彼らは及び腰のまま、しかしシズナを指差して言いたい放題である。どこへ行ってもこの扱いなのだろうか。
 だらだらと。血と涎の混じった液体を垂らしながら、魔物がこちらに向き直る。その鈍重そうな図体とは裏腹な俊敏な動きで、地を滑るようにこちらに向かってきたかと思うと、触手を何本も伸ばしてきた。
 シズナとイリオスはそれを剣で打ち払い、コキトが『火炎律』を使って轟音と共に焼くが、魔物は一瞬怯んでみせたものの、見る間に触手が再生してまたも襲いかかってくる。その幾本かが、シズナ達の迎撃をくぐり抜けて、背後で震えあがっていた騎士達の二人を絡め取った。
「うっ、うっ、うへあああ!」
 とてつもなく情けない悲鳴と共に、一人が触手に足を取られて宙釣りになる。一人はぐるぐる巻きにされてずるずると魔物のもとに引き寄せられていった。
「ひ、ひいい……!」
 たちまち他の騎士達が腰を抜かし、這いつくばるように後ずさる。しかし、恐怖に駆られて尚、シズナ達をどやす事だけは忘れていないようだ。
「な、何とかしろよ、お前ら!」
「そうだ、勇者様ご一行なんだろ!? さっさと魔物を倒せよ!」
「それとも魔王の嫁だから、魔物の味方だってか!?」
「なんて言い草」アティアが呆れ果て、
「自分達の本来の任務を放棄、か。報告書に書く事項が増えたな」
 ミサクが弾込めをしながらしれっと言い放つ。
 どこへ行っても、どこまで行っても、『魔王の嫁』。自分はこんな連中の為に戦わねばならないのか。シズナの中で燃え上がる感情、これは明確な怒りだ。
 ならば、いっそ。
 シズナは聖剣を握り直す。どこへ行っても『勇者の娘』ではなく『魔王の嫁』と悪意を持って呼ばれるならば、その名前の脅威を借りて戦えば良いのではないか。
 念じた途端、『フォルティス』がかっと熱を帯びた。手元を見下ろせば、柄にはまった石が赤に輝き、刀身へと光が流れてゆく。
 そうして。

 聖剣『フォルティス』の刃が、聖なる青ではなく、禍々しい血の色に染まった。
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