第5章:赤い聖剣『フォルティス』(2)
 勇者シズナの第一歩は、唯一王都から西へ、徒歩で三日の距離にある、セレスタの街を襲う魔物を退治する、というものだった。
 どこにあるかわからない魔王の居城に近づく為には、魔物を狩り、わざと数匹を逃がして追走する、という手段を取るのが手っ取り早い。歴代の勇者達も行ってきたという手法を踏襲する為に、一行はセレスタを目指した。
 王城での食事と布団が用意されていた暮らしとは違い、日中は、魔物の出現で人の行き交いが薄れて舗装の崩れた街道を歩き続け、日が暮れる前に、水場の近くに野営出来る場所を確保し、食事を探しにゆく。
 何もかもがこれまでと異なる生活だったが、狩猟でその日の糧を得る方法は、山奥の村では、村人全員が知っている生き方だ。弓矢を手に、ミサクと共に林に入り、腐葉土に残る獣の足跡を調べて足取りを追った。
 小川のせせらぎが聴こえたので近づいてゆく。ゆったりと水を飲む鹿の姿を見つけて、シズナがその首を狙おうと、茂みに身を隠したまま弓に矢をつがえた時、ミサクが無言で銃を抜き、構えたかと思うと、直後、鹿の頭に小さな穴が穿たれ、獲物はゆっくりと倒れて、水辺に赤い血を流した。
 シズナは驚いて構えを解き、傍らのミサクをまじまじと見つめる。彼が掲げたままの銃口からは、煙が立ちのぼり、硝煙のにおいが辺りに漂う。だが、銃弾を放つ時に響き渡るという派手な射撃音は一切しなかった。不思議に思って凝視していると、視線に気づいたミサクがこちらを向き、銃に埋め込まれた青色の石――魔律晶だ――を指差した。
「『静音律』。武器に取りつけ、一切の音を遮断する事で、敵に気取られないようにする、暗殺者向けの魔律晶だ」
 それで銃弾を放っても、発砲音がしなかったのか。
『私があれだけ手取り足取りじっくり教えてやったのに、「静音律」を大事な物に取りつけるしか成果が無かったじゃないか』
 いつかコキトがミサクにそう言った事を思い出す。魔法士の指したミサクの『大事な物』とは、この武器の事だったのだろう。そして、初めて王都に辿り着いた日、馬車を追いかけてきたハルピュイアを、彼が一瞬にして撃退した方法も、この銃だったに違いない。
「とにかく、今晩の食料は確保出来た。皆のところへ持って帰ろう」
 騎士は銃をホルスターに収めると、茂みをかき分けて倒れた鹿のもとへ近づく。鹿は若い雌で、それほど巨体ではなかったが、五人分の食料には充分事足りる。きっと肉も柔らかいだろう。太めの枝を伐採し、そこにくくりつけて、シズナとミサクの二人がかりで運んで、仲間達の元へ戻った。
「へえ、嬢ちゃん坊ちゃんにしては上々じゃねえか」
 成果を目にしたイリオスは、相変わらずのにやけた笑いで口笛を吹き、それを鋭い視線で一瞥したアティアが、平然と鹿を短剣でさばきにかかる。コキトは『火炎律』で火を熾す。
 いまいちやる気に信用がおけないイリオスだが、シズナとミサクが狩りに出ている間に、木の実を集めるという仕事はきっちりこなしていた。体格的に、役目は逆だった方が良いのではないかという気もしたが、これから旅をする仲間に、逐一いちゃもんをつける訳にもいかず、シズナは装備を解き、焚火の傍に腰を下ろして膝を抱え、肉塊になった鹿が串に刺されて炙られてゆく様を、ぼんやりと碧の瞳に映した。
 やがて、
「あっ、ほら、シズナ様。良く焼けましたよ。はい、どうぞ」
 アティアが嬉しそうに鹿肉を火から遠ざけ、シズナに手渡す。塩と胡椒だけで味付けされた、城の料理に比べるべくも無い質素な食事だが、初めての旅に身体は知らず知らずのうちに疲れを訴えていたようで、肉のにおいをかぐだけで食欲が刺激された。
「いただきます」
 軽く頭を下げて、肉にかぶりつく。見込み通り肉は柔らかく、塩胡椒だけでも美味しく食べられる。
「ふうん、侍女がさばいた割にはうめえな」
「屋外での食事もおつなもんだね。これで夏虫が飛んでなければなおいいが」
 イリオスはがつがつと肉をむしゃぶり、コキトはぷうんと羽音を立てて飛んできた血吸い虫を、平手で叩き落とす。アティアはイリオスの嫌味に一瞬眉をひそめたが、すぐに真顔で食事に戻り、ミサクは黙々と己の戦果を食している。
 翌朝の分を残して肉を食べ、木の実も腹に収めると、すっかり日が暮れて夜空に星々が瞬き始めた。
「火の番を置いて、順番に眠りにつこう。シズナは慣れていないだろうから、一晩ゆっくり眠ってくれ」
 ミサクがそう提案したので、何だか足手まとい扱いされている気がして、シズナは頬を膨らませたのだが。
「貴女は一日歩き通しなんて生まれて初めてだろう。疲労はわからないうちに蓄積されて、ある日突然支障となって表れる。そうならないように、最初のうちは休める時にしっかり休んで欲しい」
 丸一日ではないにせよ、故郷で山の中をアルダと共に駆け回った経験は、一度や二度ではない。体力には自信がある。
 しかし、剣の師匠のガンツも、『若いうちはいいがな、疲れってのはきちんと取らねえと、忘れた頃にドカンと襲ってくるからな』と、稽古後の休息を強く推奨していた。ここはミサクの言葉に素直に従うべきなのだろう。そう判断したシズナは、アティアから掛け布を受け取り、ごろりと草の褥の上に寝そべる。
 空を見上げれば、宵空に無数の光が瞬いている。
『あれは水瓶を持つ乙女。そっちは飛竜を乗りこなす戦士』
 耳の奥で、懐かしい声が反響する。
『オーキド老の星を読み解く知識は面白いね。ただの点が、線として繋がり、無数の絵を作り出すんだ』
 アルダと共に、草原に身を投げ出して満天の空を見上げ、星座を読んだ夜を思い出す。アルダは今、この空を見ているだろうか。星に絵を描いているだろうか。
 それとも、この空も価値の無い、滅ぼすべき人間のくだらない妄想と思っているだろうか。
 段々と記憶が薄れて、紫色しか思い出せなくなった顔を回顧しようとしているうちに、眠りの雲は、するりとシズナの脳内に滑り込み、静かな闇へと導くのであった。
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