第2章:魔王の花嫁(1)
 がらごろと音を立てて車輪が回る、二頭立ての箱馬車の窓から見える景色は、木々に囲まれた山中から、一面の草原に変わり、やがて、故郷の村より多くの屋根が並ぶ集落が散見されるようになった。
 道中、向かいに座ったミサクが、外の世界について淡々と語ってくれた。
 数百年、唯一王家であるアナスタシアの国王が大陸を治めてきた。だがある時代から、その栄光をおびやかす者が現れる。
 魔族の王、『魔王』を名乗るその存在は、野生の獣を変貌させた『魔物』を大陸中に解き放って、集落を襲い、滅ぼして、人類の生活に著しい恐怖を叩きつけた。
 だが、そこに希望の光が舞い降りる。聖剣『フォルティス』を手にした勇者が、魔王を打倒して唯一王都に凱旋したのだ。
 初代勇者は王家の姫を妻に迎えて、英雄として讃えられた。
 ところが、それから十数年としない内に、再び魔王を称する者が魔物を従えて王国を襲い、幸せに暮らしていた勇者の命を奪った。人々は恐慌し、またも訪れた闇を恐れて暮らす日々が続いた。
 暗黒期のびろうどを引き裂いたのは、勇者と姫の一人息子だった。父の形見である聖剣を手に、新たな勇者となって、二代目の魔王の首を地に落としたのである。
 だが、平和な時は長くは続かない。勇者が中年にさしかかって身体の衰えを感じ始めた頃に、先代の仇を討たんとばかりに新たな魔王が彼を殺し、親を奪われた勇者の娘が魔王を討ち……と、まるでいたちごっこのように、勇者と魔王の戦いは繰り返された。
「魔王がどこにいるのか、王国はいまだ解明できていない。この大陸のどこにも、魔族の巣窟と思しき場所を見いだせていないからだ」
 腕と足を組み、眉間に皺を寄せながらミサクは語る。
「勇者エルストリオなら知っていただろうが、彼の口から真実が語られる事はもう無い。四人いた彼の仲間も、死んだか今はもう王都にいなくて、話を聞ける者は存在しない」
 少年は目を伏せて、溜息と共に言葉を継いだ。
「だから、まさか新たな魔王が、勇者の血族と同じ村で暮らしているとは、思いもよらなかったんだ」
 新たな魔王。それが誰だか最早わからないシズナではない。だが、何故王国は勇者の行方を把握していながら、魔王の一族の消息については一切知る事が出来なかったのか。王国は無能か。その言葉を唾と共に呑み込んで、代わりに質問として少年に投げかける。
「ならどうして、今回は魔物の襲撃がわかったの」
 するとミサクは伏せていた目を開き、
「魔法」
 と右の人差し指を立てた。
 魔法。これもイーリエから聞いた御伽話だ。とんがり帽子をかぶった黒衣の魔女が杖を振るうと、凍えた家の暖炉に火が灯ってテーブルに温かい料理が並ぶ。荒れ野に花が咲く。貧しい少女はきらびやかなドレスをまとった美しい姫に変身する。どれもこれも、夢物語だ。だが。
「貴女が思っているような超常現象ではないな」
 まるでシズナの思考を読んだかのように、ミサクが唇の端をわずかに持ち上げてみせた。笑ったのだ。無知を馬鹿にされた気がしてシズナがむっとした表情を向けると、少年は軽く肩をすくめ、「まあ、貴女が知らないのも無理は無い」と話を引き戻す。
「王国はただ魔王に攻められるばかりだった訳ではない。魔物を捕らえ、解剖研究をした結果、魔物の体内には、生物の力を強化する『核』がある事を見出した。その核を上手く用いれば、人間でも、火や氷を出したり、嵐を起こしたり、遠い地の様子を窺う事も出来る」
「その、遠い地の様子を窺う事で、村の出来事も見ていた?」
「ご名答。伊達に勇者の娘ではないか」今度はきちんと感心した様子で、ミサクが微笑する。
「そんなに便利な魔法があるなら、勇者の力に頼らなくても、魔法で魔王を倒す事が出来るでしょう」
「それが出来れば、苦労はしない」
 シズナが苛立ち混じりに半眼になると、ミサクは静かに首を横に振った。
「核の研究は数十年かけてもまだ途中だ。これだという本当に正しい用い方を出来る人間は、アナスタシアにはまだほとんどいない。王家に仕える魔法士が、慎重に使い方を模索している最中だ」
 だから、と彼は続ける。
「勇者と聖剣『フォルティス』に頼るという、時代遅れだが最も確実な方法を、今も選ぶしか無い」
 膝の上でぎゅっと拳を握り締めるシズナを、ミサクの青い視線が射抜いた。
「貴女にはこれから王宮で、勇者としての訓練を受けてもらう。聖剣を操り、魔王を打倒する為に」
 魔王を打倒する。その台詞に、シズナの血の気が引いた。アルダは魔王として覚醒した。それを自分が倒すというのか。愛し愛された、誰よりも大切な人を、この手で。
 左手に視線を落とす。そこには、亡き父手製の銀の指輪がはまっていた。アルダは今もまだ、同じ物を身に着けてくれているだろうか。それとも、魔王として覚醒した時に、自分への愛と共に捨ててしまっただろうか。そんなアルダの傍に、妖艶な女に化けたユホが、我が物顔で寄り添っているのだろうか。
 悪い想像は脳内で入道雲のようにもくもくと膨らみ、希望的観測を駆逐してゆく。そんなシズナを一瞥して、ミサクは窓外へと視線を転じ、そうして、唐突に眉をひそめた。
「……つけられているな」
 何の事を言っているのか、シズナにははじめわからなかった。だが、馬車の車輪が回る音に混じって、羽ばたきの音と、きいきいと硝子板を引っかくような耳障りな声とが聴こえてくる。
 見てはいけない。きっと恐怖にすくみ上がる。そう警告する理性とは裏腹に、知りたい心は恐れを駆逐する。シズナはのろのろと背後のはめ込み窓を振り返り、そうして、息を呑んだ。
 空気を裂く勢いで宙を舞い、馬車を追いかけてくる影が、みっつ。一見すれば少女のような顔をしているが、その腕は明らかに人間のそれとは違う、茶色の翼を持ち、腹から下の下半身も、鳥のような羽毛に覆われて、足は鋭い鉤爪を有している。そいつらが、気のせいかもしれないが、窓越しにシズナを見てにたりと笑った、ように思えた。
鳥人間ハルピュイアか。集団で来られると厄介だが、まあ、あの数ならやれるだろう」
 顔面蒼白で硬直してしまうシズナをよそに、ミサクが青い瞳を細めて淡々とひとりごちる。
「止まらず走れ、僕がやる!」
 勢い良く窓を開いて御者にそう叫ぶが速いか、彼は腕を伸ばして馬車の屋根につかまり、椅子を蹴って馬車の外へと飛び出した。
「な……!」
 何を、と声をかける暇も無く、少年の姿はシズナの視界から消え、頭上で軽い震動が響く。ミサクが馬車の屋根に乗った事は明らかだった。
 ハルピュイア、とミサクが呼んだ魔物と馬車の距離が迫る。すわ窓を破ってシズナにその鉤爪を突き立てるのではないかと思われた時、先頭の一匹が、突然ぎゃあっと悲鳴をあげたかと思うと、眉間から血を噴いてのけぞり地面に転がって、あっという間に遠くに置き去りにされた。
 一体何が起きたのか。シズナが唖然としている間にも、残るハルピュイアは胸から、あるいは顔から血を噴き出して、一撃で命奪われ街道に屍をさらす。その姿も、すぐに遠ざかって見えなくなった。
 まだばくばく高鳴っている胸をシズナがおさえていると、ミサクが軽やかに窓から馬車内へと飛び込んできた。血のにおいはしなかったが、何となく煙臭い気がする。それが先程彼が言っていた『魔法』なのか、それとも他の手段を使ったのか、今のシズナには見当がつかない。
「ひとまず、大丈夫だ」
 土埃を落とすかのように手をはたいて、何事も無かったかのごとく平然と椅子にかけ直し、ミサクは静かに告げる。
「魔王の尖兵だ。勇者である貴女を王都に行かせまいと、襲ってきたんだろう」
 少年のあまりにも単調な口ぶりとは相反する物騒な内容に、シズナの心臓はさらにどきりと脈打った。魔王が人類の天敵であるように、勇者は魔族に仇なす存在。卵が孵る前に闇に葬り去ろうという考えは、簡単に浮かぶだろう。
 自分が命を狙われている。隙あらばこの喉に牙を突き立てようと虎視眈々と機を窺っている存在がいる。その事実は、シズナの背筋にぞっとしたものを這わせ、寒くもないのにぶるりと身を震わせるには充分な威力を伴っていた。
 明らかな恐怖に額から汗が吹き出し、両腕で己の身を抱き締めてうつむく。すると、ひんやりした手が額に触れ、汗を拭ってくれたかと思うと、頬を辿り、首筋に指を当てて、「深呼吸して」と囁きが耳に滑り込んできた。
 言われるままに大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。指が触れた箇所の血管がとくん、とくん、と脈打つ感覚がして、次第にその拍が鎮まってゆくのが、自分でもわかる。
「落ち着いたか」
 その声に面を上げれば、ミサクは至近距離から、心底案じるような表情で、シズナの顔を覗き込んでいる。
「医学的な根拠は一切無いが、気持ちを落ち着けるには良いと、育ての親に教わった。効果はあったか」
「え、ええ」
 ゆるゆると頷けば、シズナの怯えも見通してか、
「心配しなくていい」
 ミサクが青い瞳でまっすぐにこちらを見つめて告げる。
「魔物もさすがに唯一王都の中までは攻め込んでこない。王都にいる兵がすぐに退治するし、万が一貴女のもとへ魔物の手が届きそうになった時は、僕が必ず、彼らを殺す」
 自信を持って言い切ったその瞳に、決意の炎が燃えているのを見て、シズナの胸に疑念が生まれた。
 何故、この少年は、ほぼ初対面の自分に対して、そんなに真剣にシズナの敵を排除すると言い切れるのだろうか。
 かつてアルダにも、
『君を泣かせる奴がいたら、俺が許さない。君を悲しませるもの全てから、俺が君を守る』
 と紫の瞳で至近距離から見つめられ、情熱的な口づけをもらった事があった。あの時の彼のような熱情を、何故、出会って一日のこの少年は自分に向けてくれるのか。
 その思いと同時に、アルダは結局約束を守ってくれなかった、という切なさが胸に迫る。どんなに彼の想いが本物でも、ユホの嫌がらせを遠ざける事は出来なかったし、何より、アルダ自身がシズナの心に哀しみのうろを穿った。
 そしてそれはもう、元に戻る事は無いのかも知れない。
 改めて喪失感に襲われ、じわりと目の奥に溜まった熱いものを、鼻をすすって引っ込めた時。
「そろそろ王都に着くから、見ていると良い。あの村とは何もかもが違い過ぎて吃驚びっくりするだろうが、じきに慣れるさ」
 シズナの鬱屈した心情を感じ取ったのか、ミサクが気分を変えようとばかりに少しだけ明るめの声色で言ったので、シズナは目をこすって窓に取りつく。そうして、碧の瞳を驚きに見開いた。
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