第1章:血染めの祝福(1)
 太陽の光は、四季の差はあれど、変わらぬ輝きで地上を照らし続ける。
 そんな陽光降り注ぐ秋空の下、黄金色の草原で、木剣の打ち合う高い音が響き渡った。
 向かい合うは少年と少女。少年は夜を映し込んだような短い濃紫の髪に、やはり紫の瞳。まだまだ成長の余地を残しているのか、顔は幼さを残し背はやや低いが、過不足無く腕や足についた筋肉が、容貌だけで判断してはいけないという事を示している。
 対する少女は、日の光の下に生まれてくるのを定められていたかのようにきらめく金髪を、うなじの所でひとつにくくり、春の海のごとき碧い瞳をしている。娘から女性へ変わりゆく過渡期特有の美しさを帯びた顔には真剣さを宿し、少年より線は細いものの、普通の娘とは明らかに違う逞しさを備えた腕で木剣を構えていた。
 少女がしゅっとひとつ、呼気を吐いて大きな一歩を踏み込む。かん、と軽快な音を立てて、一撃は少年の掲げた得物に弾き返された。
 少女は二、三歩後ろによろめいたが、歯を食いしばって踏みとどまると、その足で草を蹴って、再び少年の懐めがけて飛び込む。渾身の突きはしかし、少年が身をひねる事でかわされ、上段から反撃が降ってくる。だが、そこまでは想定の範囲だ。少女は身を沈め、右足を軸足にしたまま身体を半回転させる。
 必殺撃が空振って、驚きに目を見開いていた少年だったが、彼の方が一枚上手だった。振り下ろした勢いのまま一歩を踏み締めて、剣を構え直そうとした少女に肉薄する。瞠目する少女に少年は更に接近したかと思うと、唇を相手の唇にかすめさせた。
 ぽろり、と。
 唖然とした少女の手から木剣が零れ落ちるのを見届けた少年は、その口を三日月形に象ると、少女の喉元に木剣の先を突きつけた。
「俺の勝ちだね、シズナ」
 誇らしげに笑う少年とは対照的に、シズナと呼ばれた少女は目を白黒させていたが、数瞬後には耳まで真っ赤になって、木剣を左手で退けると、右手を握って振り上げた。
「今のはずるいわ、アルダ!」
 ぽかぽかと頭を殴られ、「いてて」と、少年――アルダは、武器を持つ手を下げて肩をすくめる。しかし、本気の力がこもっていない殴打で彼が怯む様子は無く、反省の色も見えない。
「だって、戦場で君を見初めた敵がいたら、こんな不意打ちを仕掛けてくる可能性だって、無きにしもあらずだろう?」
「そんな戦場があるか!」
 ぽかん、と、先程までより少しだけ力の入った一撃が、少年の頭を打つ。それから少女は、頬の膨らみを引っ込ませると、秋の雲高い空を見上げて、「戦場、か」とぽつりと呟いた。
「本当に、そんな場所に私達が出る事があるのかしら」
 少年と少女は戦場を知らない。いやそれ以前に、物心ついてこのかた、山奥の盆地に存在するこの集落周辺から出た事が一度も無いのだ。
 ここは、隔離世かくりよの村。様々な事情があって外界で暮らせなくなった人間が、噂だけを頼りに辿り着いて編み上げる、小さな世界。
 彼らは共に田畑を耕し、獣を狩り、魚を釣り、木の実を集めて分け合い、互いに助け合って暮らすが、決して侵してはならない不文律が存在する。
 それは、「相手の過去を探る事」。
 すねに傷持つ人々が身を寄せ合い、平和を保つ為には、互いの過去を勘ぐってはならない。要らぬ厄介事をこの地に呼び込む事になりかねないからだ。探りを入れにきた輩は、村人達が総力を挙げて排除する。
 かつて、シズナとアルダが幼い頃、迷い人に扮した暗殺者が、標的を求めて村にやってきた事があった。その時、普段は温厚でシズナ達にも菓子を分け与えてくれる優しい人々が、非常に険しい顔をして暗殺者を縛り上げ、闖入者は次の日には影も形も見えなくなっていた。山を降りた形跡が無かったのと、いつも丸い顔をにこにこさせているフォルカスおじさんから錆びついたにおいがした事から、シズナ達は子供なりに、この件を深く問い詰めてはいけないのだと判断して、胸の奥に仕舞い込み、やがて記憶の彼方へと追いやった。だから、暗殺者がどうなったのかシズナ達は知らないし、標的が誰だったのかも、わからない。
 秘密を抱えて暮らす、閉じられた円環の中。そこで暮らす年頃の少年少女が、外の世界に興味を持たない訳が無かった。
 この村の外には、どんな光景が広がっているのか。どんな人が生き、どんな暮らしを営んでいるのか。憧れは尽きない。
『外の世界は争いだらけで、幸せな事は何も無いよ』
 村人達は声を揃えて子供達を諭すが、シズナは十六、アルダは十八。夢想を捨てるにはまだ若すぎる歳だった。
「いつか、出ていくんだよ、この村を」
 ぼんやり空を見上げ続けていたシズナの耳に、アルダの声が心地良く滑り込んでくる。
「俺達、約束したじゃないか。いつかこの村を出て、大きな街で店を開いて暮らそうって」
 そうして、ぐいと肩を抱き寄せられるまま、シズナはアルダの腕に包まれ、二人揃って金色の草の褥に倒れ込んでいた。
「俺は、シズナと一緒に外の世界で幸せになりたい」
 あおむけになったシズナに覆いかぶさるように、アルダが顔を寄せて囁く。見つめる紫の瞳には本気が宿り、言葉に一片の嘘も無い事がうかがえる。普段茫洋とした幼馴染のこういう強気な一面を見る度に、シズナの頬は火照り、胸は高鳴るのだ。
 アルダの顔が更に近づき、前髪が額をくすぐる。
 今度は、素直に。少女は少年の情熱的な口づけを受け入れた。

「やる事だけはやってるようだねえ」
 アルダと手を繋いで集落に戻り、彼の家の前まで行った時、シズナ達を出迎えたのは、嫌味たっぷりのしわがれた声だった。咄嗟にどちらからともなく手を振りほどき、その手を背中に回して、後ろめたい気持ちで声の主の顔色をうかがう。
 真っ白な髪に金の瞳ばかりがぎょろりとした、背の低いしわくちゃの老婆は、ちっとあからさまに舌打ちすると、腰に手を当て二人を睨む。いや、正確には、シズナ一人を、か。
「まったく、うちの大事な子の周りを悪い虫が飛び回って、鬱陶しいったらありゃしないさ」
 本人を目の前にして、悪口を呑み込みもしない。アルダの祖母だというこのユホは、ある日突然、幼いアルダを連れて、身一つでこの村にやってきた。
 過去を詮索しない、という紙に無き約束通り、村人達は、似ていない祖母と孫を受け入れ、使われていなかった小屋を改築して提供し、何くれと面倒を見たが、ユホが感謝の言葉を返す事は無く、皆と積極的に関わり合おうともしなかった。
 このままでは子供の成長にも悪影響が出ると思ったのだろう、シズナの母イーリエが、
『アルダと遊んで来なさい』
 と村でただ一人の幼子であるシズナをけしかけて、少女は小屋の隣の池のほとりでぼんやりと水面を見つめていた少年を、村の近くの原っぱへ引っ張り出した。結果、シズナとアルダは無二の遊び相手となり、友人となり、やがて恋人としての関係を成立させた。
 その様子を見て、ユホは明らかに不快感を見せた。五年前のある日などは、少し遊び過ぎて日が暮れてから帰ってきた子供達を見るなり、アルダの腕をもげそうな程に強く引いてシズナから離すと、シズナの頬を手加減無くはたき、三日消えない手形を作った。
 そんな偏屈な老婆だから、シズナはユホを苦手にしていたし、村人達も彼女を腫れ物に触るように接するか遠巻きに見ているしか出来ずにいる。だが、アルダ自身は健やかに育ち、村人達に笑顔で話しかけて、
『ユホも俺の知らない所で苦労してきたから、簡単に人を信じられないんだ』
 と頭を下げて回る。その人の良さに加え、アルダは力のある男手として畑仕事や狩りに実力を発揮したので、村人達も頼もしい彼に免じて、ユホの頑なな態度には半分以上目を瞑っているのだった。
 だから今日も、シズナは苦手意識を押し込めて、アルダから距離を取り、ユホに向けて深々と頭を下げると、さっと踵を返す。
「シズナ!」走る背中を、アルダの明朗な声が追いかけてきた。「また明日!」
 ああ、と溜息が洩れる。ユホの前でそんな事を言ったら、また彼女の機嫌が悪くなるだろうに。
 しかし、そう辟易しつつも、どんなにユホに陰険な言葉を投げかけられても、「また」と笑顔で言ってくれるアルダの声を脳内で反芻すれば、頬は熱くなる。心臓が逸り出す。
 軽い足取りで、シズナは自宅への道程をひた走った。
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