07:世界の果てに沈む嘆きの楽園


 小さく、血を吐いて。
 エルシスの身体がぐらりかしいでゆくのを、ユリアは、まるでスローモーション画像を見るかのように視界に映していた。
 倒れゆくエルシスの背後があらわになる。銃口から硝煙を立ち上らせる銃を掲げたまま、アスゲイは虚ろな笑みを浮かべていた。
『意に添わぬ、役に立たぬ接続者スタブに、用は無い』
 前のめりに、コクピットからエルシスが転がり落ちようとするのを見て、ユリアははっと我に返った。動き出す時を止めんとばかりに、『ベルボーグ』の両手を無我夢中で差し出す。流れ落ちる水を必死に受け止め、かき集めようとするかのごとく。
 だが、そこまでだった。あと一歩分届かず、エルシスの身体は『ベルボーグ』の指先をかすめ、重力に引かれて、深い深い奈落の底へと真っ逆さまに落下していった。
『ベルボーグ』は、両手を『オールマイティ』に差し出したままの状態で固まっている。だが、コクピット内のユリアは、目を大きく見開き、レバーを握る手が、全身が、がたがた震えるのを抑えられずにいた。
 唐突に、絶叫がコクピット内に響き渡る。それが己の口から発せられたものだとユリアが認識するのは、息が続かなくなり声が嗄れて、喉の痛みに激しくむせ込んでからだった。
 激情に任せ、ユリアはレバーをぐっと押し込んだ。『ベルボーグ』が腰に装着マウントされた機関銃マシンガンを手にする。
『お、おのれ、接続者がおらずとも……』
 引鉄ひきがねが引かれるより早く、アスゲイが歯軋りしながら『オールマイティ』のシステムを再起動させ、コクピットハッチを閉じた。機関銃の弾は碧い装甲に小さな穴を穿つのみ。
全知全能オールマイティの名を持つ機体の力、なめないでいただこう!』
 巨体が腕を掲げ、砲身から光線を放つ。だが、威力が殺人的とはいえ、先程までの、接続者が接続していた時のような、直撃すれば一撃でこちらの機体を沈めてしまう凶悪さは、鳴りを潜めていた。『ベルボーグ』は激しい舞のごとく身を捻り、二射目、三射目もかわしてゆく。
「ユリア」
 機関銃を元の位置に戻して、左腕に仕込まれた刃を取り出す。
「ユリア!」
 語気も荒く己に呼びかけるその声が、いつも無感情だった背後の接続者から発せられたものであるとユリアが気づくのに、一瞬の間が必要だった。熱を帯びていた脳が瞬時にして冷め、『ベルボーグ』は動きを止める。
「エルシスは、俺が助ける」
 六番目セイスではなく、エルシスと個人名を呼んだ事に驚いて、振り返る。セロはいつもの無表情のままだったが、確実に今までとは違う、相手を慮る声色で、こちらに言葉を投げかけた。
「接続者の接続リンク効果を保持したままにする。お前は『オールマイティ』を討つ事だけ考えていればいい」
 セロに刻まれた白の光が一層の輝きを放ったかと思うと、『ベルボーグ』内の計器類が、機体の限界値、二百パーセントの力まで解放された事を示す。それと同時、セロの姿が揺らぎ、ふっと消えた。瞬間転移の能力スキルを使ったのだ。
 だが、彼が宣言した通り、『ベルボーグ』の力は接続者が接続していない状態に戻る事は無かった。最高出力を維持したままの機体に命じると、『ベルボーグ』は今までに無い反応速度で、再度こちらに向けて放たれた光線をかわす。
 ユリアはレバーを押し込む。『ベルボーグ』は『オールマイティ』に向け突進すると、振りかぶっていた刃を一閃、左腕の装甲を打ち砕いた。
 もし地上からこの戦いを見届けている者がいたら、『ベルボーグ』が白い残像の軌跡すら描いて碧き竜の巨体の周りを飛び回る、その光景に、息をするのも忘れて見惚れただろう。
 連続で放たれる光線を、機体をきりもみさせて避ける。一発、回避行動が追いつかずに、右腕をかすって小爆発したが、ユリアの咄嗟の判断で、誘爆を引き起こす前に肘から下を解離パージして切り捨てる。左利きのユリアにとって、巨神機アトラスの右腕は飾りに過ぎない為、深刻な被害を受ける事は無かった。
『小癪な小娘が!』
 口汚くアスゲイが罵る。先程までの余裕はどこへやら、これこそがこの男の本性なのだろう。
『我が大望を邪魔する事は、何者にも許さぬ!』
 大望などと可愛げのあるものか。欲望。それ以外の何物でもあるまいに。野望、と、大仰に言うのすらおこがましい。
 光線が思うように相手をとらえない事に苛立ったのだろう、掴みかかって来る碧い手を容易く逃れ、背後に回る。
 鋭い翼がいきり立つように広がって、鈍い音と共に、『ベルボーグ』の頭部を撥ね飛ばした。メインカメラを失って正面のモニターが死んだが、補助サブのカメラはまだ生き残っている。
 まだ、戦える。その事実がユリアに力を与えた。レバーを引いて機体を一端退かせ、二撃目を避けた後、再度押し込む。『ベルボーグ』は刃を振りかぶり、『オールマイティ』の翼に斬りかかった。
 先程までの力だったら、これだけ大きな翼に刃を突き立てる事など無駄な労力だったに過ぎまい。だが今、『ベルボーグ』の出力は限界まで上がっている。刃の強度さえ保てば、翼の一枚をもぐ事も不可能ではあるまい。
 そして白の機体は、ユリアの期待に見事に応えてくれた。代償に、甲高い音を立てて刃は真っ二つに折れたが、『オールマイティ』の翼を一枚、斬り落とす事に成功した。くるくる回転しながら宙を舞うそれを残る左腕でしっかと掴み止めると、切断された部分が爆発を起こすのから逃れて、『ベルボーグ』は再度『オールマイティ』に真正面から向き合った。
『ば、馬鹿な……』
 真っ黒になったモニターの片隅、小さな映像内のアスゲイが完全に狼狽えるのが、見て取られた。最強の巨神機を、専用機とはいえたかが一機がここまで追い詰めるなどとは、彼の予想の範疇を遙かに超えていたのだろう。鼠のような顔を底知れぬ恐怖に歪め、怯えた表情を浮かべていたが、数秒後、血走ったまなこでぎんとこちらを睨んで、唾を飛ばす。
『邪魔はさせん、誰にも、私の邪魔はァッ!!』
 最早照準を無視して闇雲に光線が放たれる。あまりにも滅茶苦茶なその射線は、『ベルボーグ』の機体をかすめて白い装甲を多少焦がしこそすれ、ダメージを与えるには至らない。
 いける。ユリアは確認した。今ならこの男を討つ事が、この機体を沈める事が、出来る。
 空中で、碧い翼を刃となして正眼に構え、
「ユリア・クールハートに、不可能は……」
 言いさして、瞬間、口を噤む。
 人間には、不可能も限界も存在する。だが、それでも。
「……それでも、人は」
 再度、口を開く。決然と。
「意志の力で、事を成し遂げる!」
 そう。人々は世界を蘇らせるだろう。愚かな振る舞いを二度と起こさぬよう努力する者も、多く現れるだろう。
「だがそれは、我々旧世代の人間の役目ではない。今を生きる人々が成すべき事だ!」
 ユリアが宣言すると同時、『ベルボーグ』は『オールマイティ』へと真っ直ぐに突っ込んで行った。恐慌したか、アスゲイは女のような悲鳴をあげながらやたらめったらに光線を放つ。一撃が左脚をもぎ、一発は右肩から先を完全に持って行ったが、それで『ベルボーグ』の勢いを止めるには至らなかった。
 碧い刃が、滑り込むように碧い巨体に埋まり込んだ。『ごふうっ』と断末魔の喀血を残して、『オールマイティ』内部を映していた映像が消える。
 刃は巨体の胸部、コクピットを、過たずに貫いている。ユリアは、愚かな一人の男の欲望が遂に潰えた事を確信した。

 所々爆発を起こし、崩れ落ちるように深い穴へと沈んでゆく『オールマイティ』の姿を、殆どが死にかけたモニターがかろうじて映し出すのを見届けながら、ユリアはシートの背もたれに己の体重を預けた。
『オールマイティ』は縮退作動フェールソフトだ。操縦者ドライバが命を失っただけでは、完全に倒したとは言い難い。だが、この穴の下で眠りについて、誰かが見出す事が無ければ、父の研究が二度と悪用される事も無いだろう。
 それに最早、確実に破壊してとどめを刺すだけの余力が、ユリアの方にも残っていなかった。『ベルボーグ』は満身創痍で、早く無事に地上のどこかに降下しなければ、『オールマイティ』と心中する事態になりかねない。
 だが、それでも良いかとすらユリアは思っていた。
 エルシスの仇は討った。操縦者としての役目が終わった身で一人漫然と生きてゆくのは、性に合わない。それに、彼のいない世界と向き合って生きてゆく勇気が、無い。
 いつからこんなに弱くなったのか。緊張が解けて疲労が一時に訪れた身の、ぼんやりとする頭で考え、嗚咽を堪えて唇を噛み締める。我慢しようとしても岸水寄せて、温かいものが頬を伝い落ちる。温かいと感じるのは、まだ生きている証だ。それすら厭わしく思えたその時、コクピット内に己以外の人の気配が生じるのを感じて、ユリアは慌てて顔を拭い身を起こした。
 現れた銀髪の接続者セロは、相変わらずの無表情だったが、
「ユリア」
 いつに無く優しい、労わるような声色でこちらの名を呼び、勝利の対価だとばかりに、腕に抱いていた者をそっとユリアの腕に渡す。託された者の顔を見て、ユリアは目を瞠った。
 セロと同じ色だが、彼より少しくせっ毛で、柔らかい銀髪。セロと同じ造りだが、遙かに幼くて、人懐っこそうな印象を与える顔。そして、少年の割には大きめで、気負い無く真っ直ぐに自分を見つめて来る、黒の瞳。
「ユリア」
 唇が笑みを象り、高めの声が名を呼ぶ。気恥ずかしさから伝えた愛称ではなく、彼には伏せていた真名を。
「やっと呼べる。君の本当の名前を」
「……エルシス」
 歯を食いしばり、込み上げるものを堪えようとしたが、無理だった。涙声で少年の名を呼び、溢れる感情のままに任せて、彼を抱き締める。
 エルシスも抱擁を返し、二人はしばらくの間、ただただ互いの温もりを確かめ合っていたのだが、不意にユリアは思い返す。
 エルシスは傷を負っていたはずだ。銃で胸を撃ち抜かれたのだ。即死していてもおかしくは無い。いくら修復の能力スキルが働いたとしても、短時間でここまで回復出来るのだろうか。
 思考しつつ視線を彷徨わせ、ユリアは一点で目を止めた。二人を一歩退いた場所から見つめている青年。その胸部にじんわりと赤い血が滲んでいる事に、ようやく気がついて。
 まさか。彼の能力を思い出したユリアが目を見開くと、セロは瞬間、困ったような笑みを口の端に浮かべた気がした。だが一瞬後、それが幻だったかのごとく、彼はいつもの揺るがない顔を取り戻し、口を開く。
「エルシスの能力で即死はまぬがれたが、長くはもつまい」
 ユリアとエルシスが戸惑いつつ見つめても、セロはあくまで、まるで他人事のように語り続ける。
「俺は行く」
「どこへ?」
 ユリアは訊ねたが、青年は答えなかった。納得がいったような顔をしているエルシスの目線を追うと、モニターの片隅の、大穴へ墜ちてゆく碧い巨体が目に入った。
「接続者の権限で、『オールマイティ』本来の役目を果たす」
 つまり、『オールマイティ』に接続して、機体の全エネルギーを解放し、世界の再生をはかるのだ。接続者は、より強く、より完璧な巨神機に惹かれる。自然の結果ではあるものの、アスゲイが試作品プロトタイプとして見捨てたセロがその役割を務める羽目になったのは、皮肉としか言いようがない。だが。
「だが、そんな事をすれば、お前は」
『オールマイティ』のエネルギー解放は同時に、周囲数十キロメートル単位での大規模な爆発を起こすだろう。周辺にいる者は勿論、搭乗している者自身の命は一切保証されない。
「構わない」
 しかし、あくまで淡々とセロは告げるのだ。
「どうせ使い古されて、棄てられるだけのはずだった命だ。執着は無い」
 だが、と、黒い瞳が、ユリアとエルシス、二人を順繰りに見つめる。
「お前達は、まだこの世界で生きる余地があるはずだ。生きろ。そして、世界の行き先を見届けてくれ」
「ま、待て……!」
 ユリアが止める間も無く、セロの姿が揺らいで、あっと言う間に消えかける。
「ユリア。俺に接続者としての道を与えてくれた事、心から感謝する」
 本当に感謝しているのか少々解りかねる声色を残して、セロは『ベルボーグ』のコクピット内から完全に消えた。
「……ありがとう」
 青年の消えた空間に向けてエルシスが深々と頭を下げる。しばらくの時間そうした後、少年は顔を上げてシート後ろのスペースに飛び込み、己と『ベルボーグ』を接続させた。白い光が刺青のように彼の身体を覆う。だが、これが彼が『ベルボーグ』に接続する、最初で最後になるだろう。
「行くよ、ユリア」エルシスが呼びかけるので、ユリアははっとレバーを握り直した。「出来る限り、ここから離れる」
 最後の力を振り絞り、『ベルボーグ』は飛翔状態モードで『世界の始まる場所』から飛び立った。
 十分に距離を取った所で、それを待っていたかのように、赤い空を青く輝かせんばかりの目映い閃光が『世界の始まる場所』から発せられた。『ベルボーグ』の白い機体が、青く染め上げられる。
「ありがとう」
 エルシスが再度、既にこの世を去っただろう相手に向けて礼を述べる。それを耳にしながら、ユリアは、頬を流れ落ちるものもそのままで、噴き上がる爆炎をモニター越しに見つめていた。

 愚かな旧人類が夢見た楽土は、碧い竜と共に沈んでいった。
 だが、新たな楽園もまた、ここから始まるのかも知れない。

『世界の始まる場所』は、存在どころか名前すら知る者は、今の時代にはいなかった。だから、そこで何があったのか、知る者もいない。
 ただ、いつからか、昼なお赤かった空は青く澄み渡り、海は蒼をたたえ魚が泳ぎ、大地には緑の草が萌えるようになった。
 かつて持っていた色を取り戻した世界。住める場所が急速に広まった事で、人々は新たな集落を開拓し、より肥沃な土地を求めて旅に出、野生の獣と住み分ける事を覚え、やがて生活が安定した事で、蛮族の数は激減した。
 そうして、親や老人が小さな子供に、昔の苦労話として、見渡す限りの荒野だった世界の姿を語る事が出来るだけの時間が、ゆっくりと、しかし確実に流れた頃、とある集落に住む夫婦の存在が、人々の間で噂にのぼるようになった。
 銀髪の夫と、オッド・アイの妻は、更に若い時分、旧時代の遺物を駆り世界を救ったのだという話が、まことしやかに語られたりもしたが、当の本人達はただ無言で笑みを浮かべるだけで、肯定も否定もしなかった。
 なので、噂自体も、かつての日本ジャパンという国で七十五日と喩えられたように、あっという間に風化し、その内誰も夫婦を特別視しなくなった。

 青い花の咲き乱れる野原で二人の子供が遊んでいる。男の子と女の子だ。男の子は亜麻色の髪に黒の瞳。女の子は透き通る銀髪に緑の瞳。
 花に覆われた金属製の、大きめな何かの残骸の上で、旧い反戦歌をそれと知らずに口ずさみながらじゃれ合っていた二人は、遠くから両親が名を呼ぶ声に、非常に良く似通った顔をがばりと上げて、見合わせた。
 黒と緑の視線を絡ませ、ころころ笑い出すと、子供達は金属の遊び場から飛び降り、ふざけ合いながら駆けてゆく。
 今ではすっかり緑に包まれたその残骸が、かつてはそれぞれ黒と白に彩られ、大地を駆け、空を舞った、巨神機と呼ばれる二体の姉妹機である事を、子供達が知る由はない。

 世界は変わり、大いなる過ちを過ぎ去りしものにして、滔々と息づいてゆく。希望溢るる、遙かな未来へと。

―完―

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