06:儚き幻影が見る永遠の夢


 白い軌跡を描きながら、『ベルボーグ』が赤い空を往く。西へ、西へ。『世界の始まる場所』へと。四百年前までの、人類の叡智が空を舞っていた時代を知る者がその姿を見たら、飛行機を思い出しただろう。
 接続者スタブであるセロがユリアに告げた地名は、かつて世界の標準時刻を司っていたそれであった。なるほど『世界の始まる場所』に相応しい。
 だが、ユリアの心はそんな感慨を覚えるよりも、今までに無いくらい激しい怒りに揺さぶられていた。
 そこで待つ者、その者が犯した所業に。

『世界の始まる場所』には、一体の巨神機アトラスが収められていた。その名は、UKI―999A『オールマイティ』。名前の通り、全ての巨神機を超える巨神機として造られた一機である。『ベルボーグ』同様、縮退作動フェールソフトを搭載し、あらゆる巨神機よりも遙かに巨大で、遙かに強大な力を有するという。
 だが、『オールマイティ』最大の存在意義は別にある。『世界の始まる場所』の最深部に存在する浄化装置に接続し、その巨体に蓄積された全エネルギーを解放する事で、世界中の地質と空気を浄化し、核によって汚染され荒れ果てた世界を一気に再生させる力を秘めているのだ。まさに全知全能オールマイティ、神の御業みわざである。
 だがしかし、『オールマイティ』をもって、己が救世の力を有していると世界に対して宣言――いや、最早脅迫だ――をすれば、世界の生死を手中に握る絶対的王者として君臨出来ると考えた操縦者ドライバが現れた。
 セロが口にした、神として降臨する不遜な幻想を抱く者の名は、ロバート・アスゲイ。四百年前、父の下で巨神機の研究をしていた、ユリアもよく知る人物であった。
 一研究者に過ぎなかった彼が、どのように操縦者となったのか。ユリアが知る術は無い。だがとにかくアスゲイは、己が目覚めた後、各地の接続者を強制的に目覚めさせ、操縦者の冷凍睡眠コールドスリープをも遠隔操作で解除し、彼らが出会い、『世界の始まる場所』を共に目指すように仕向けた。
 そして、辿り着いた接続者を『オールマイティ』に乗せ、操縦者はその『オールマイティ』の力で抹殺した。ブラッドが生き残れたのは、権力に固執せず、戦えればそれで良い戦闘狂である彼の性質と、手駒が欲しいアスゲイとの利害が一致したからに他ならない。彼以外の操縦者は、『オールマイティ』本来の役割を取り戻そうとする操縦者としての純粋な使命に従い、巨神機ごと惨殺された。
 そして、接続者もまた命長らえる事はなかった。『オールマイティ』はその力の大きさ故、接続者の意志を奪い、体力精神力をも半端ではない勢いで削り取る。三番目トレス四番目クアトロ九番目ヌェヴェ。ことごとくの接続者が、短期間に生命力を奪われ、精神も崩壊して、ごみのように『世界の始まる場所』の施設の深い穴へと打ち捨てられた。それらを、セロはあくまで淡々と他人事のように語った。
 セロが接続者として命をこそぎ取られなかったのは、ブラッドの言った通り試作品プロトタイプであったからだろう。名前の通り零番目セロで、通し番号ナンバー付きよりも劣ると判断された彼は、一番初めに、しかも『世界の始まる場所』で目覚めた接続者であるにも関わらず、『オールマイティ』の接続者候補から外され、ブラッドの相方として酷使される道を与えられた。
 セロ自身に、それを悔しいとか、腹立たしいとか、苦しいと思う感情は、無いように思える。ここまでの数日間の道程で、どう話をしても、あくまで平坦に、自分事ではないように、心身の痛みなど見せずに、事実を事実として語るのみだから、そう見えるのかもしれないが。
 いずれにせよ、だ。父が生涯を懸けて造り上げた研究成果を、ただ野心の為に利用し振りかざす者がいる、しかもそれが、父の下にいて父の心情を重々承知していただろう者である事実は、ユリアの感情に激しい炎を燃え上がらせた。
 アスゲイには、必ずや裁きを下す。モーガン・クールハートの娘である自分が。この『ベルボーグ』、神の名を抱く巨神機をもって。

 黒く濁った波間を眼下に、『ベルボーグ』は海上を滑るように飛ぶ。セロの能力スキルを使って、一気に目的地へ向かう事も、ユリアが考えなかったはずはない。だが、接続者が能力を酷使すれば、激しい疲労と寿命の短縮をもたらすという。セロがやはり淡々と告げたのだ。
 彼自身には、我が身可愛さにその事を告げて、ユリアの考えを断念させようという意図などは一切無かったのだろう。ただやはり事実を事実として述べただけなのだ。だがそれを聞いたユリアは、瞬間転移を諦め『ベルボーグ』で飛んで往く手段を選んだ。
 最強の巨神機を有するアスゲイに対峙した時、接続者の力は絶対に必要だ。だから決戦までに彼を失いたくないという計算は、確かにあった。だが、それ以外にも。たとえ接続者といえども、ブラッドのように己の勝手で、命を削り取るような真似をさせて良いものか。そんな迷いがユリアの心に生じていた。
 ついこの間までの自分だったら、冷静に、非情に、セロを利用して一刻も早く敵地へ飛び込む道を突き進んでいたに違いない。だがユリアはその選択をしなかった。それが何故かを考えた時、ユリアの脳裏には即座に一人の少年の顔が浮かぶ。
 エルシス。どんなに冷たく接しても温かい笑みを向けて来た、少し頼りない容姿の少年。
 今ならわかる。彼に己の心への深入りを許さなかったのは、失うのが怖かったからだ。母が死んだ時のように、自分に近しい人を、自分を理解してくれた人を、失くしてしまう、多大な喪失感。冷凍睡眠から目覚めて荒廃した大地へ足を踏み出した時の、あの言いようの無い不安。自分を知る者は、最早誰一人いなくなってしまったのだと、胸をぎりぎり締め付けた、絶対的な孤独。
 あの感覚を二度と味わいたくなかった。だから、冷徹な心クールハートを装い、己を偽ってまで、無関心で無感情な人間を気取って生きて来た。そんなユリアの氷結した心を、エルシスは溶かした。理屈ではなく、共にいた時間の長短も関係無く。
 そうだ。世界を救うなどという高尚な理由ではないのだ。一人の人間として、友として、エルシスを救いたい。ユリアの心にある感情はただそれなのだと、彼女自身も最早認めざるを得なかったのだ。

「そろそろだ」
 セロの話しかける声によって、ユリアははっと思考の回廊から帰還した。黒の海が終わり、陸地が姿を見せて来る。『ベルボーグ』の眼下にばっと広がった地上には、大きく抉られた古いクレーターが残っていた。恐らく、終末の核戦争で都市ごとふっ飛ばされた、その名残なのだろう。赤黒く変色した土は再生する事なく、再生させる者もなく、四百年前の無残な傷痕をさらし続けている。
 そんな大地の様相を見送り、ユリアはその先を見据える。旅を始めた頃には遙か遠き地に思えた『世界の始まる場所』が、遂にその全貌を彼女の目の前に現したのだ。
 二十世紀には、『霧の都』と揶揄を込めて呼ばれたその都市は今、霧は勿論、その名の由来となった有害なスモッグも発生しておらず、赤い空の下、くっきりとその姿を見せていた。世界有数であったはずの古都はしかし、住む者のいなくなった旧い建物はことごとく無残に倒壊し、その代わりとして君臨するかのように、白い機械的な外見の建物が乱立して、景観を滅茶苦茶に破壊している。
 この地は風采を描き変えられたのだ。『世界の始まる場所』として都合の良い土地へと。
 息を呑むユリアの背後で、コクピットの壁の一部がスライドし、コードが生体に絡みつく音がする。セロが『ベルボーグ』に接続リンクしたのだ。
「『ベルボーグ』、出力を百三十パーセントまで上昇。機動性を百六十五パーセントに調整」
 機体の性能を上げて臨戦態勢を整える。それは、つまり。
「来るぞ」
 短い警告と同時、集音システムが地鳴りの音をとらえ、地上が強震するのが、メインカメラに映し出された。一見、何らの法則性も無く建っているように思えた無機質な建物が、実は深い深い大穴を取り囲むように造られていたのだと認識すると同時、その大穴から風が物凄い勢いで吹き出し、飛翔能力と高い安定性を誇るはずの『ベルボーグ』さえ吹き飛ばされそうになった。コクピット内にまでびりびりと振動が伝わる。
 巨神機に搭乗していて酔わない為の訓練は徹底的に受けたが、細かく長く続く揺れに、流石に吐き気を覚え、一瞬顔を伏せる。その時、モニターを埋め尽くすように現れた機体に、ユリアはすぐさま顔を元の高さに戻し、そして慄然とした。
 映し出されたのは、情報が一切無い初見だったならば、それと認識する事が出来ないかも知れないほどに、巨大で異質な、巨神機だった。
 甲虫のような角と爬虫類的な顔を有した頭部に、建物ひとつふたつくらいならば一手で容易く握り潰してしまえそうなほど、がっちりとした二本の腕。背には四対の、背後を守る刃にもなるだろう鋭い翼。下肢は無く、ただ尻尾が長く長く穴の奥まで伸びている。全長は完璧には測り知れないが、三十階建ての高層ビルならゆうに超えているだろう。
 そしてその巨体を彩るは、空と海と大地、この世界のかつての色、青と蒼と緑、全てを混ぜたような鮮やかなあお
 まるで、空想上の怪物である竜を模したようなその姿は、まさに神、『オールマイティ』の名に相応しい威容だった。
 その大きさと威圧感を前にして、頭ではどんなに平静を装っても、心の底までは誤魔化せない。知らず知らずの内に、レバーを握る手がじっとりと汗で湿っていた。今更ながら喉の渇きを覚えて、ごくりと生唾を飲み込む。
 意図的に動揺を押し隠して、ユリアは自機のコクピット内の映像を通信で相手機に送る。応えはすぐさま返り、モニターに、『オールマイティ』の操縦席に収まる、ひょろりとした座高のある、中年男の姿が映し出された。
『これはこれは、ユリアお嬢様』
 銀縁眼鏡のブリッジをついと押し上げて、その男は笑った。決して耳に慣れなかった、ねっとりとした嫌味を帯びる声は変わらない。変わったのは、姿。元々全体的に細長く、きょどきょどと落ち着きの無い鼠のようだった顔は、野心と力にとらわれた傲慢さを兼ね備え、青の瞳は、腐った心根を表すかのごとく酷く濁っている。
『よもやお嬢様が操縦者としてこの地まで辿り着こうとは。四百年ぶりにお会い出来て、このアスゲイ、感激の極みです』
 白々しい、と吐き捨てたくなる。ブラッドからユリアの存在は聞いていただろうに。
 いや、それ以前だ。各地の操縦者の冷凍睡眠を解除した時点で、誰が操縦者であり、どこにいるかなど、とうに把握していただろうに。知っていたからこそ、ブラッドに襲撃をかけさせたのであろうに。
「ロバート・アスゲイ」
 ユリアは灰色と緑の瞳を細めて、モニターに映し出された狡猾な顔を睨みつける。
「誰の許可を取ってその機体に乗っている。父が人生を懸けた、世界を救う手段を、己の欲望エゴに利用して」
『欲望!』
 ハッ! と、嘲笑にも近い失笑が、歪に曲げられたアスゲイの口から洩れた。
『欲望とおっしゃるか、世界を救う機体を駆るこの行為を』
 どんよりと澱んでいた瞳に、虚ろな光が宿る。
『ですが、誰かがこの「オールマイティ」を動かさねば、世界は永遠に荒れ果てたまま救われまい。私は、誰かが選ばねばならない役割を、覚悟をもって請け負ったまで』
「その思想が傲慢だというのを、何故気付かない」
『傲慢?』
 喉の奥でアスゲイはまたも笑う。
『己の頭脳ひとつで世界を救えると思った、モーガン博士こそ、驕りたかぶった不遜な思想の持ち主だったのではありませんかな?』
 その言葉に、ユリアの頭の芯がかっと熱くなった。
「父を」
 レバーを握る手に力を込め、強く押し込む。
「愚弄するな!」
 滞空していた『ベルボーグ』が空を舞い、射程距離まで近づくと、『オールマイティ』に向け機関銃マシンガンを構え、引鉄ひきがねを引いた。『オールマイティ』の巨体に対して『ベルボーグ』が有する銃弾など、蜂どころか、蚊に刺された程度にしかならないかもしれない。だが、心の奥底から溢れ出す怒りを、何らかの形で敵にぶつけなければ気が済まないほど、ユリアの感情は昂揚していた。
「――セロ!」
「了解。出力を更に二十パーセント上昇」
 背後の接続者に声を飛ばし、『ベルボーグ』を急降下させながら銃を仕舞って、仕込まれた刃へと武器を持ち替える。がきぃんと鈍い金属音を立てて、刃は『オールマイティ』の肩の装甲を欠けさせた。
 いける。絶対の無敵では無い。根気良く攻撃を加えれば、いつかは決定打を与えられるやもしれない。希望的観測がユリアの脳裏をかすめたが、それは一瞬後に粉々に打ち砕かれる羽目になる。
『オールマイティ』が、天を仰いで咆哮するかのごとくのけぞったかと思うと、欠けたはずの装甲が生物のように胎動し、瞬時に元の形を取り戻した。マシンガンで空けたはずの穴もことごとく塞がってゆく。
『はっはははは、こそばい、こそばいですぞ、お嬢様』
 ユリアは唖然とし、それから気を取り直して、モニターに映し出されているアスゲイの嘲笑をぎんと睨みつける。だが、その持ち直しかけた気持ちが再び折れそうな衝撃に、息をする事さえ忘れて彼女は瞠目した。
 アスゲイの背後に隠れて見えていなかった、『オールマイティ』の接続者の姿に、やっと気づく。『オールマイティ』と同じ碧に輝く、刺青のような光を纏う、銀髪の少年。だが、柔らかく屈託無い笑みを浮かべていたその顔は今、何らの感情を宿さず、黒の瞳には意志が感じられない。
「エルシス!」
六番目セイスですよ、ユリアお嬢様』
 ユリアがようよう息を吸い込んで吐き出した名前を、アスゲイはくつくつと喉を鳴らしながら否定した。
『六番目の能力は修復。その程度の攻撃、「オールマイティ」の前では』
 ぐん、と機体が上昇する勢いに、身体を引っ張られる。セロが接続者の権限で『ベルボーグ』を緊急回避の為に動かしたのだと、考えが至るより先。
『無意味、無意味!』
 アスゲイが嘲るように無意味と二回繰り返すと同時、最前まで『ベルボーグ』が滞空していた空間を、極太の光線が一条薙いだ。『ベルボーグ』が収められていた研究所の防衛装置のそれなどとは比べようが無い、強烈な光。それは『オールマイティ』が掲げる腕に備え付けられた砲身から放たれたものであった。
 第二波を予感して、今度はユリア自身がレバーを引き、『ベルボーグ』は空中を急旋回する。一歩後を追うように、光線は二発、三発、四発と、赤い空に白色の軌跡を描いた。
「遊んでいるのか!?」
 苛立ちを覚えてユリアが舌打ちした直後、何かのぶつかる衝撃がコクピット内に走った。ユリアは全身に力を込めてしのいだが、つかまる場所の無いセロは壁に叩きつけられる。しかし彼は低く呻いただけで、あからさまな苦悶の声をあげなかった。
 即座に機体をチェックする。『オールマイティ』から放たれた光線が、『ベルボーグ』の左脚をかすめ、膝から下を奪い去っていた。『ベルボーグ』は縮退作動であるがゆえ、停止する事の無いダメージだった事と、咄嗟にセロが機体制御を行い機体の均衡バランスを保った事で、墜落するのだけは避けられた。
 続けざまに放たれる光線をぎりぎりの距離でかわし、『ベルボーグ』は『オールマイティ』の背後へ回り込む。真後ろならば腕からの光線は届くまい。向き直るまでに、一撃くらいは見舞う事が出来るだろう。
 だが、相手の方が一枚上手だった。『オールマイティ』は、振り向きもせぬままこちらに向けて翼をがばりと広げ、まるでうるさい虫でも払うかのように、『ベルボーグ』を跳ね飛ばした。『ベルボーグ』の機体は逆さまになり、コクピット内も天地が逆転した。頭に血がのぼり嘔吐えずきそうになるのを、ユリアは奥歯を噛み締めて堪える。セロがどういう体勢になっているか、気を回す余裕は無かった。
『良くやった、セイス』アスゲイの冷笑が耳に届く。『流石は接続者』
 エルシスがやったのだ。接続者として、操縦者の注意が届かない範囲へ対応したのだ。エルシスの意志とは一切関係無く。
 怒気を孕む操縦の中、必死に機体の制御を取ろうとしていると、殴りつけんばかりの勢いの更なる衝撃が『ベルボーグ』を襲った。『オールマイティ』の巨大な手がこちらをわしづかみにし、手近な建造物へと叩きつけたのだ。シートに身体を押しつけられ、一瞬、息が詰まる。
 血が逆流して意識が朦朧とする中見れば、モニターを埋め尽くさんばかりに接近した『オールマイティ』が、砲身をこちらにしっかと向ける光景が視界に入り込んだ。
『せめてもの慈悲に、一撃で命を奪ってさしあげましょう』
 アスゲイの口が三日月形に象られる。
『セイス』
『了解』アスゲイの呼びかけに、エルシスはやはり感情の灯火が宿らぬ声を返す。『「オールマイティ」の出力を百八十パーセントまで上昇』
 砲身の奥で、先程より更に強力な光が宿り、放たれるのはまだかまだかと低い唸りを洩らす。
『私の行く手を阻む者は、誰であろうと叩き潰すのみ』
 アスゲイが、くつくつと嫌味な笑いを洩らした。それはやがて哄笑へと変わる。
『私は世界の絶対者として君臨するのだ。永遠に、永遠に!』
 その言葉に、遠のきかけていたユリアの意識ははっと現実に返って来る。
「永遠など……」
 意志を伝えるまでもなく、セロが出力を上げてくれたのだろう。レバーを押し込むと、『ベルボーグ』が、ぐぐ、と『オールマイティ』の手を押し返す。
「絶対など、あるものか!」
 狂っている。ユリアはアスゲイをそう判じた。永遠などという幻想を抱き、力に固執する、愚かなことこの上ない前世界の残滓ざんし。それを振り払わねばならない。同じ旧時代の人間である、己の身を滅ぼしてでも。
 だが。ユリアは思う。自分とアスゲイ以上の道連れを作る必要は無い、とも。
 エルシスを巻き込みたくない。それがユリアの本音だった。彼には生きて、この後の世界で、人間らしく生き延びて欲しい。その為には、『オールマイティ』を破壊する前に、今ここでエルシスを目覚めさせ、巨神機から降ろす必要があるのだ。
 がしゃあん、と、『オールマイティ』の右手の指を通常とは反対方向にひしゃげさせて、『ベルボーグ』は敵機の拘束から逃れた。すぐさまエルシスの能力で修復されるだろうが、間合いを取るだけの猶予は与えられる。
『ベルボーグ』が飛翔して『オールマイティ』との距離を取り、
「――エルシス!」
 ユリアが呼びかけるのと、『オールマイティ』の砲身が再度『ベルボーグ』に照準を合わせるのは、ほぼ同時だった。臨界に達して光線を放とうとしていた腕は、しかしそこで止まり、砲身が不満の唸りをあげ続けている。
「目を覚ませ、エルシス!」
 届くかどうかなど解らない。昔の自分ならば、意味の無い行為と、最初からこんな事をしなかっただろう。だが今は万が一の可能性を信じて、ユリアは声を張り上げていた。
「お前はセイスではない、エルシスだ。自分でそう名乗っただろう。接続者ではなく、人間として生きる権利が、お前にはあるはずだ!」
『何を今更』
 アスゲイが嘲笑する。
『「オールマイティ」の支配は絶対。届くはずなど有りませぬ。無駄、無駄!』
 この男の嫌味を二回繰り返す口癖には、いらいらする。だが今のユリアは、いちいちそれに腹を立てるよりも、エルシスに呼びかける事の方が圧倒的に重要だった。
「言葉を交わす事で、気が楽になる事、わかり合える事があると言ったのは、お前自身だろう! それを思い出せ! お前の口で語れ!」
 そう、自分とエルシスにはその余地があったはずだ。言葉を交わし、心を通わせ、互いを理解し合う。その命数を数える時間が己に許されていないとしても、エルシスには残っていて欲しい。
 多くの人と語り合い、その笑みを向けて、自分の心を解かしたように、誰かの心を開かせて。それが自分ではないのが少々癪な、この感情が何であるか。頭の片隅でわかっていても、認めたくない己の想いに、ユリアは一瞬、苦笑した。
「エルシス!!」
 いよいよ光線が撃たれるという瞬間、ユリアは再度、願いを込めて呼びかける。
 と、臨界状態にあった砲身から急速に光が失われていった。
『何?』
 アスゲイの狼狽える声に、モニター内の相手側の映像を見て、ユリアは目を瞠った。『オールマイティ』内のシステムが次々とダウンしてゆくのがわかる。アスゲイの驚きから察するに、彼の意図でそうしているのではないという事も。
『馬鹿な、「オールマイティ」の支配を抜け出すなど』
 柄にもなく、心臓が早鐘を打っている。ユリアが凝視する先、慌てふためくアスゲイの背後で、うつむき加減になっていた少年がゆっくりと顔を上げた。その黒の瞳に、はっきりと意志の光を灯して。その唇が、喜びを乗せた声を紡ぎ出す。
『……ユーリ』
 それは間違いなく、明るく人懐っこい、エルシスのものだった。
『ありがとう、ユーリ』
 エルシスはおずおずと、まだどこかぎこちない笑みを浮かべる。
『ありがとう、ここまで来てくれて。僕に呼びかけてくれて』
「……そんな事はどうでもいい」
 自分も笑い出したい衝動を押し込めて、ユリアは自機を『オールマイティ』に近づかせ、右の掌を差し出した。
「そこから出て来い」
 少年は、二、三度瞬きし、それから、『うん!』と嬉しそうに笑み零れると、大きく頷いた。『オールマイティ』胸部のコクピットハッチが開き、接続を解除して、碧い光の消えたエルシスが『ベルボーグ』の掌に向けて飛び出そうとした、その刹那。
 乾いた銃声が一発、辺りに響き渡る。
 一瞬後、ハッチから身を乗り出していたエルシスの胸に、ばっと血の花が咲いた。

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