05:碧き聖域に眠る最後の天使


 その少年は、孤児だと聞いた。
 紛争の多発する地域で、戦渦の中、両親が彼と妹を置いて逃げたのだ。そして少年は、親に棄てられたのだと認識するのに充分な年齢を重ねていた。
 難民キャンプで幼い兄妹を顧みる余裕のある者はおらず、満足な食料も得られないまま、妹は痩せ細り、蝿と蛆のたかる中、泣く力すら失って、少年の腕の中で息を引き取ったという。
『戦争が起きるなら』
 巨神機アトラス操縦者ドライバを育成する施設で共に戦闘訓練を受けていた時、ふと言葉を交わした折に、少年は、茶色の鋭い瞳に怒りを宿して言い放ったのだ。
『戦えって言う奴も、従って戦う奴も、何にもしようとしねェで傍観に徹する連中も、みんなみんな、殺しちまえば良いんだ』
 それでは自分自身にも死ねと言うのと同じだ。そう指摘すると。
『オレは許される』
 若さに似合わぬ、どこか恍惚とさえした表情で、彼は言い切った。
『オレにゃ、世界に復讐する権利がある』
 そうして訓練用の銃をこちらに向けて、バン。と、撃ってみせる真似をする。
『おめェにその権利があるかは、わかんねェけどなァ?』

 あの時のように、だが今はあの時よりも確実に明確な悪意と殺意を持って、ブラッド・フェイオンはユーリに銃口を向けていた。
「おめェの接続者スタブはもう、『世界の始まる場所』へ行った」
 互いに銃を掲げる形になっている。先に引鉄ひきがねを引けた方がこの場を制する。ユーリは緊張に身を固くするが、相手は、そんなものは些細な問題だとでも思っているのか。一歩、二歩、ゆっくりと近づいて来るのだ。
「オレが送り届けてやったんだァよ」
 にたり、と唇が歪につり上がる。
「なのに何で、おめェはまだ巨神機を求めるんだ?」
「お前に答える義理は無い」
 まるで無防備に、無遠慮に歩み寄って来るブラッドの心の臓の位置に、ユーリは油断無く照準を合わせる。つれない態度に、少年はそばかす顔を不機嫌そうに歪めたが、すぐに悪どい笑みを取り戻した。 「相変わらずだなァ、冷徹な心クールハートのユリアさんはよォ」
 増幅する殺気に、ユーリは引鉄にかけた指に力を込める。だが、先に銃声を響かせたのはブラッドの方だった。ユーリの手から銃が弾き上げられる。間髪入れず、二度目の銃の咆哮。銃弾が右腕をかすめ、苦悶の声をあげる彼女目がけて、三発、四発目が放たれる。うち一発は、右の二の腕を貫通した。
 後方へ弾かれる感覚に逆らえず、ユーリはあおのけに倒れた。受け身を満足に取れずに、後頭部から床にぶつかる。衝撃にぐわんぐわんと視界が回り暗転しかけたが、傷口を強く圧迫された痛みで、意識が現実に引き戻された。
 ブラッドが、傷を負ったこちらの腕を踏みつけて、にやにやとした笑みと銃を向けていた。その笑顔は、相手の生殺与奪の権利を握った征服者のそれだ。
「どうしてやろうかァ?」
 漆黒の銃口はゆったりと、ユーリの喉から胸を舐めるように行き来する。いずれにしろ、急所を狙った形である。ぎりぎりと与えられる痛みを、奥歯を食いしばって、辛苦に対して悲鳴をあげるなどと、相手の望む醜態は決して晒すまいと堪えていたユーリは、しかし、
「啼けよ、喚けよ、命乞いしろよォ」
 続けられたブラッドの言葉に、灰と緑の瞳を大きく見開いた。
「あの女みたいによォ!」
 少年が「あの女」と称した相手を即座に理解する。ブラッドに深く関わる女といえば、世界に唯一人の存在しか考えつかない。
「お前は、サラの、事を」
 言葉による返答の代わりに、少年の笑みが深さと邪悪さを増す。それが答えだった。

 彼女は名を、サラ・フランシスカといった。
 ユーリやブラッドと同じく、巨神機の操縦者育成施設で過ごした間柄で、ユーリ達より二つか三つ年上の、落ち着きと判断力と戦闘力、そして美貌を兼ね備えた、将来を有望視された操縦者候補であった。
 ブラッドは初めて顔を合わせたその瞬間から彼女を気に入り、氏名フルネームを訊き、年齢を訊き、私的な携帯端末の番号を訊き出し、少々執拗なくらいの接触アプローチをもって、『才女の恋人』という立場ポジションを勝ち得た。
 しかし。
『重いのよ』
 一月と経たず、彼女はユーリに悩みを洩らした。
 すぐに二人きりになろうとしては、人目のつかない所へ連れ込み、、身体的接触を求める。言葉による愛情表現をしつこく求める。こちらが乗り気でない日でも、煩わしいまでに身体を求める。それらが得られるまで決して満足せず、引く事も知らない。
 それは、幼い頃に家族から愛情というものを充分に受けられなかった少年の、愛情を求めたい反動なのだろうと、ユーリはわからなくもなかった。丁度その頃は、自分も父親の愛を疑っていた時期なのだから。だが、愛情の押し売りともいえる少年の行為に、サラの苦悩は日々深まるばかりだった。
 だが彼女の懊悩は、ある日突然終焉を迎える。彼女の死という形を取って。
 彼女は無残な姿で発見された。恐怖と屈辱を受けたのだろう、目を極限までかっと見開き、唇を醜く歪めたまま絶命していた。
 遺された体液から、施設の研究員である一人の男が犯人として逮捕された。ところが、証拠不十分により釈放される。その時ブラッドは狂ったように泣き叫び、逃げるかのごとく車に乗り込む男を罵り呪う言葉を叩きつけた。
 間も無い後、男は街の路地裏で、銃弾を全身に容赦無く撃ちこまれた屍と化していた。
 ユーリは、それを誰が行ったのかを正しく理解した。法で裁かれなかった凶悪犯に、世界に代わり、死刑を与えたのだろうと。
 だが、真実は違っていたとしたら。それはただの私刑だったのだとしたら。
「あいつらが悪ィんだよ」
 意識が思考から脳内に回帰すれば、ブラッドの狂気を宿した茶色の瞳がこちらに向けられている。いや、少年の瞳はユーリを通り越して、銃口を向けられた恐怖に怯え、滂沱しながら、理不尽だと思いつつも許しを請う言葉を発する女性の姿という、数百年前の光景を映しているのだろう。
『どこがいいの?』
 彼女に乞われて、一度だけブラッドに訊ねた事がある。少年は、そばかす顔にそれはそれは嬉しそうな喜色を浮かべて、ただ一言、答えた。
『全部』
 ユーリを介してそれを聞いたサラは絶句し、それから、深い溜息をついてかぶりを振った。
『全部、だなんて。人としてどこが良いと具体的に言えないなんて』
 彼女は疑っていたのだ。少年の胸の内に在るのは、愛情など高尚なものではなく、ただ下劣な欲情それだけではないのかと。
『私の身体だけを見ていて、中身を見ていないとしか、思えない』

「あの女が悪いんだァよ!」
 ブラッドが唾を飛ばしながら死者を罵る。
「あの女はオレのもの、オレだけのものでありゃ良かったのによォ、裏切るからだ!」
 サラは身の内に抱える苦悩を他の男に打ち明けたに違いない。二人が深い仲になるのに、そう時間は要らなかっただろう。そしてそれは少年にとっては、背信であり、ようやく手に入れた自分の依って立つ世界を全破壊する行為であった。
 だから彼は裁きを下した。己を裏切った者を。己の意のままにならなかった物を。彼にとって自分以外の命など、遊び倒すだけ遊び倒して、気に食わなくなればごみのように投げ捨ててもいささかも心が痛まない、玩具以下の存在だったのだ。
 許されるはずがない。ユーリの心に怒りの炎が灯る。
 幾ら愛に餓えていたにせよ、幾ら不幸な過去があったにせよ、己の欲望に任せて他者の命を蹂躙し、なおかつ侮辱する行為は、傲慢で、尊大で、不遜な事この上ない。
 誰かが、この哀れだが許されざる男に裁きの鉄槌を下さねばなるまい。その神の代行者を自分ごときが気取る事など、それもまた思い上がり甚だしいのだろう。しかし、屈辱を受けた当事者達に最早それが叶わない今、彼女らの代わりに手を汚すのは、自分だけで充分だ。
 ユーリは、へらへらと笑みを向けるブラッドの茶色い瞳を、オッド・アイで睨み返したまま、左手を床に這わせた。こつり、と、硬い感触に触れ当たる。先程手の中から失われて床を滑って行った銃、それをしっかと握り締める。
 急速に取り戻されたこちらの戦意に、ブラッドが笑いを引っ込め目を見開く。
「馬鹿か! 左手でェ!」
 反撃が来るより遙かに素早く、ユーリは左手を掲げ引鉄を引いた。狙った位置から一センチとずれず、銃弾はブラッドの右肩を貫く。
「ぐおああああっ!!」
 獣の咆哮のような絶叫をあげてブラッドが銃を取り落とした。ユーリは銃を左手に持ったまま、今度は意図して弾を相手の身体から外して、身を起こすと同時に床を蹴り、間合いを取る。
 左手に、銃を持ったまま。
 本気を出すのは実に四百年ぶりだった。左手では、あまりにも精密すぎる射撃が出来る為、或いは敵の急所を過たず刺し貫く事が出来る為、右手で万事を行うよう父が言い含めたのだ。他の操縦者も知らぬ間に行われた封印だったので、ユーリが生来左利きである事を知る者はほぼいなかった。そう、育成施設で共に訓練を受けていたブラッドさえ。
 あの頃は、所詮自分を操縦者として仕立て上げたいが故の父の言葉だったのだと、反発を覚えていた。だが今ならわかる。あれもまた、操縦者以上の暗殺者にされる事を恐れた父なりの、不器用な精一杯の気遣いだったのだと。
 しかし感傷に耽る暇はない。今は目の前の敵を倒す事を考えねば。ぽたぽたと床に赤い点を描く右肩をおさえながら巨神機『ブラッディペイン』に駆けて行くブラッドの姿を視界に映した事で、ユーリもまた、流血する二の腕を庇いつつ、巨神機戦を挑む事を決めた。
 シャッターの開いた格納庫へ飛び込むと、『チェルノボーグ』とほぼ同じ姿をした姉妹機に取り付く。血が流れ落ち、白い装甲に早速赤を刻む。
 似合いだ。ユーリは不謹慎にも口元を緩めて自嘲した。人の命を奪い、他者の、そして自身の血で汚れて来た自分には、純白の機体など釣り合わない。
 黒か、白か。そう問われれば、血の色の目立たない黒が自分には似合いなのだろう。だが、これは父が遺してくれた機体だ。父の愛が形を取った物だ。その想いに恥じぬ戦いをしよう。
 そう決意して、テンキーに暗証番号を叩き込む。『チェルノボーグ』と同じ番号でコクピットハッチは開いた。
 そうしてコクピットに身を滑り込ませようとした瞬間、己の視界に入って来た人影に、ユーリはびくりと身をすくませ、相手が誰かを認識するより先に、条件反射で銃を向けていた。
 銃口を突きつけられても崩れる事の無い無表情。顔や腕を覆う白い刺青のような光は、既に『ベルボーグ』に接続リンクしている証。エルシスと同じ顔をしているのに、彼が陽なら、こちらは陰。全くもって正反対の印象を与える接続者の青年、セロは、まるでそこが予め定められた己の席であるかのように自然に、シート後ろのスペースに収まっていた。
 一瞬考えを彷徨わせ、そういえば彼の能力スキルは空間転移のようだという事を思い出す。自分がブラッドと対峙している内に、閉ざされたこのコクピットに移って来る事は、彼には造作の無い事だったのだろう。
 それにしても、何故だろう。彼はブラッドに付き従っていたのではなかったのか。ユーリが疑問を覚えるとほぼ同時、接続者の接続によってシステムが自動で起動した『ベルボーグ』のモニターに、
『セロ、てめェ!』
 憤怒の表情のブラッドの映像が割り込んで来た。
『裏切ったなァ!?』
 怒りと痛みが入り混じった、そら恐ろしい形相で我鳴るブラッドとは対照的に、セロはあくまで淡々と落ち着いた声色で、当然のように告げる。
「接続者は、より強くより完璧な巨神機に惹かれる。それは摂理だ」
 それが真実であり、彼は本能的に『ベルボーグ』を『ブラッディペイン』より上位の機体と見なしたのだろう。彼にとっては、二頭の馬を提示された時、若くて毛艶が良く長距離を駆けられそうな駿馬を選ぶのと同じくらい、ごく自然な選択だったに違いない。
「恨むなら、我々にそのような遺伝情報を刻んだ製作者を恨め」
『セェロォァァァァ!!』
 狂気の叫びと共に、『ブラッディペイン』は、高さの足りない天井を突き崩しながら、右腕の刃を真っ直ぐこちらに向けて突進して来た。
 ユーリは咄嗟にコクピットのシートに身を収めると、左手だけでレバーを引く。彼女の指示に対して、『ベルボーグ』は『チェルノボーグ』よりも素早い反応を示した。『ベルボーグ』は踊るように華麗に身を捻り、『ブラッディペイン』の斬撃を容易くかわす。
「『ベルボーグ』は、翔べる」
 唐突に短く、背後からセロの声がかけられると同時、手元で白く明滅するスイッチが目に入った。それを押し込むと、飛翔状態モードに移った事を示す文字がモニターに流れ、巨神機が床を離れて浮き上がる感覚が訪れる。
 直後、ベルボーグは、従来の巨神機からは想像のつかぬ推進力を発揮し、飛翔した。どれほどの強度を持っているのか、格納庫の天井を突き破り、建物の階層全てを崩して、屋外へとその身を飛び出させる。眼下で、建物が地下に向けて陥没するように崩れ落ちてゆく。
 その一部始終を、赤い太陽によって純白が赤銀色にすら照らされる『ベルボーグ』のコクピットから、ユーリは感嘆をもって見下ろしていた。
 建物が崩壊する衝撃波に、周辺の青い薔薇の花弁が吹き上げられ、『ベルボーグ』の周りを蝶のように舞う。もし今この光景を地上から見上げている詩人がいたら、赤い輝きを放ち、青を纏った『ベルボーグ』は、荒れ果てた世界に降臨せしめた天空よりの御使いとさえ、表現しただろう。
 ユーリがレバーを押し込んで命じると、『ベルボーグ』は非常に軽やかに、巨神機なのに豪快な音を立てていないのではないかという動きで、ふわりと青い薔薇の中に降り立った。しかしユーリはすぐさま飛翔状態を解除する事無く、倒壊した建物をモニター越しにじっと見つめる。
 この崩壊に巻き込まれて押し潰されたならば、これ以上戦う事も無い。手を下す必要は無い。そんなユーリの淡い、願いにも近い思いはしかし、瓦礫の山が、ごとりと音を立てて下から崩される事で打ち砕かれた。コンクリート片を苛立たしげな動作で放り投げ、赤い機体が姿を現す。生きていたのか。遺憾と緊張を覚える。
『ユゥリアァァァァッ!』
 怒りに燃える声が届いた直後、先程以上に狂乱した表情のブラッドの姿がモニターに映し出された。
『許さねェぞ、てめェ、絶対に、殺る!!』
 流石に無傷では済まなかったのか、あちこちに擦過傷がつき、凹んだ箇所も有る『ブラッディペイン』は、刃を振りかざし瓦礫を踏み分けて、こちらへ突っ込んで来た。ユーリはレバーを捻り、『ベルボーグ』を再度飛翔させてその一撃をかわす。
『逃げんのか、逃げんなよォォォッ!』
 悔しさを怒気に変えてブラッドが吼える。その怒りは聞こえているはずなのに、セロは、自分が仕えていた操縦者に対して何ら感情を動かす事無く、ユーリの肩に白い光を帯びる手を置くと、淡々と告げた。
「『ブラッディペイン』に接触しろ」
 その行動の意味がわからずユーリが思わず振り返ると、セロは疑念には答えず、別の言葉を提示する。
「『ベルボーグ』は縮退作動フェールソフトだ。多少のダメージでは停止しない」
 その単語を聞いたユーリは息を呑んだ。縮退作動。それは、機体が深刻なダメージを受けた時に全ての活動を停止する安全作動フェールセーフとは正反対で、どれだけダメージを受けようとも、心臓部の機関を決定的に破壊されない限り動く機能である。極端な話、操縦者が戦闘不能に陥っても、接続者の権限で機体を動かし続ける事さえも可能なのだ。
 父モーガンは、巨神機開発の初期からこれを構想してはいたが、決して巨神機に搭載しなかった。機体も人間も死ぬまで戦い続けるこの機能は、戦争抑止力という、父の巨神機に対する認識とは大きな隔たりがあったからだ。
 それを娘の為の機体に載せた。最後まで戦え、と同時に、何が何でも生き残ってくれ、という、父のメッセージを託されたようで、胸に迫るものがある。下を向いて、こみ上げるものをぐっと我慢して抑えると、ユーリは顔を上げ、モニターに映し出される赤い機体をぎんと睨み、
「ブラッド、お前を倒す」
 いつもの自己暗示の台詞を、感情を込めて舌に乗せた。
「ユリア・クールハートに、不可能は無い!」
 ユーリは、いや、己の真名を名乗ったユリアはレバーを押し込み、左手――左利きのユリアの為に武器は装備されていた――に仕込まれていた刃を振りかぶると、『ブラッディペイン』目がけて急降下した。ぎいんと刃同士がぶつかり合い、火花を散らす。
 次の瞬間、にわかには信じ難い現象が起きた。右腕の焼けつくような痛みが、まるで嘘のように消散すると同時、金属が砕け散る音を立てて、『ブラッディペイン』の右の二の腕が弾けたのである。まるでユリアの傷を引き受けたかのように。
『野郎ァァァッ!!』
 ブラッドが吼え、『ブラッディペイン』が左腕で殴りかかって来た。レバーを引き、宙で舞うように後転して、『ベルボーグ』は突撃を易々とかわし、がしりとその腕をつかむ。すると今度は、
『ぐあぁぁぁッ!!』
 ブラッドが脇腹を押さえ込んで唸った。対照的に、じりじりとユリアの身体をさいなみ体力を奪い続けていた、脇腹の痛みが消え去る。
 しばし思考を巡らせて、ユリアは答えに思い至った。背後を振り返る。こちらの肩に手を置き、無表情で前方を見据える接続者の青年に。
『セロ、てめェ、てめェェェッ!!』
「今まで貴様が俺に行って来た行為を、返しているだけだ」
 恨みがましいブラッドの絶叫と、あくまで端然としたセロの返答が、確信を与えた。そうだ、彼の能力は空間転移。だがそれだけに留まらず、接触しているものなら、人間や物質を問わず、保持している状態そのものを転移させる事が可能なのだとしたら。
 セロは転移させたのだ。ユリアの傷を、『ブラッディペイン』に、そしてブラッド自身に。
「貴様が俺に行って来た行為」とセロは言った。改めて見てみれば、彼の身体には、大小を問わぬ傷痕が幾つも幾つも刻まれている。恐らくセロの能力を知ったブラッドが、己の傷を彼に転移させていたのだろう。そしてこの数は、戦闘で負った傷だけでは済むまい。わざと深く自傷し、それを接続者に請け負わせては嗤う。そんな少年の狂気の姿を想像する事は、ユリアには難く無かった。
 終わらせよう。断ち切ろう。この狂える少年の道を。ユリアは凛とした瞳で前に向き直ると、『ベルボーグ』に指示を送った。白い機体は即座に応え、実に滑らかな動きで回転蹴りを繰り出し、『ブラッディペイン』の頭部カメラを破壊する勢いでめり込んだ。完全にバランスを崩した赤い機体は、どうと音を立てて青い薔薇の中に倒れ込む。
 ユリアは、『ベルボーグ』の左腕の仕込み刃を折り畳むと、腰に装着マウントされていた機関銃マシンガンを手にした。まるで己自身の手でそれを掴んでいるかのような素早い動きで、銃は『ブラッディペイン』のコクピット部分に狙いを定める。
「あの世でサラに詫びる言葉は考えたか」
 問いかけにブラッドは答えなかった。実際には、血走った目を見開き、涎を流しながら、何かを叫んでいたのだが、最早明確な言葉をなしていなかった為、ユリアには理解出来なかったのだ。
 理解出来ない方が良い。恨み言という余計な重荷を負わなくて済む。そんな考えに自嘲した後、ユリアはマシンガンの引鉄を引いた。
 恐るべき速さで銃弾が『ブラッディペイン』のコクピットに命中し、モニターに映っていたブラッドの映像が、ぷつんと途切れる。十分過ぎる量の銃弾を打ち込んだ後、『ベルボーグ』が離れると、『ブラッディペイン』は各所から火花を散らし、そうして、どおおおん、と、辺り一帯に響く爆音をあげて最期の炎を噴き上げたのだった。
『――死ぬ?』
 いつか訓練中に教官が投げかけた、「戦場で死が間近に訪れた場合どうするか」という問いに対して少年が発した台詞が、脳裏を巡った。
『俺ァ絶対死なねェよ。殺って、殺って、そして、生き残る。最後まで!』
「絶対に死なない人間なんていないんだよ、ブラッド」
 もう応える事の無いかつての仲間に向けて、ユリアは呟いた。が。
「接続者として、『世界の始まる場所』に行くべき力と資格を得た操縦者に伝えよう」
 感傷に浸る暇など彼には無用の長物なのか。セロが相変わらず平坦な物言いで、さらりと告げる。
「『世界の始まる場所』で待つ者、そして、接続者がそこで果たすべき役割を」
 そうして語られた真実は、ユリアが、表情を次第次第に凍らせて、灰色と緑の目を見開き、言葉を失うには充分だった。
 セロの話し方に全く抑揚が乗らぬ分、ユリアの心底からの驚きと、そして底知れぬ怒りを煽るにも。

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