04:荒野に咲き誇る希望の花


 そこは一面の青だった。
 荒野を渡ってすっかり黄ばんでしまった白いバイクを停め、ゴーグルを外して、ユーリは、旧時代の建物を埋め尽くすかのごとく咲き誇るその光景に、しばし見入る。
 目の覚めるような、果てしなく青い薔薇。
 自然界に無い色の花を咲かせる研究は、二百年以上、どんなに遺伝子を操作してもいずれ白やピンクに還り、自然繁殖では青を維持する事は出来なかった。
 核戦争で世界の摂理が狂った事によって、遺伝情報も決定的に書き換えられ、真っ青な薔薇が咲くようになったのだろう。破滅が、人類の達し得なかった夢や希望の領域への到達をもたらしたのは、皮肉としか言いようがない。
『チェルノボーグ』を破壊された後、ユーリは独りこの土地を目指した。完全に沈黙したと思われた『チェルノボーグ』のシステムが、最後の力を振り絞らんとばかりに、生きているモニターにこの場所の地図を示したのだ。
 接続者スタブであるエルシスが、ブラッド達と共に『世界の始まる場所』へ向かった今、ユーリの操縦者ドライバとしての使命は終わっている。巨神機アトラスに乗る必要も無い。
 だが、ユーリの心はそれで納得する事を拒んだ。あの、何の気後れも無く笑う少年が、エルシスではなく、六番目セイスという通し番号ナンバーで呼ばれ、道具のように扱われるのを、許せない自分がいた。
 しかしそれは自分も同じだったのではないか、と嘲笑する己もいる。接続者である。それだけで『チェルノボーグ』に乗せ、利用した。
 いや、だからこそ。自分は確かめなくてはならない。自分のエルシスに対する心が、情であったのか、それともただの計算であったのかを。『世界の始まる場所』まで彼を追って、彼に会って。
 その為の足は失われてしまったが、『チェルノボーグ』が最後に提示したこの地に、ユーリが答えへと辿り着く為に必要な何かがある。理屈ではなく直感でユーリはそう考え、最早使い物にならなくなった専用機を乗り捨て、バイクを飛ばして来た。
 ホルスターに収めた銃に充分な弾込めがなされている事を確認すると、ユーリはバイクから下りる。  そうして、青い薔薇に埋め尽くされた合間から、薄汚れ崩れかけてしまった、元は白い壁の建物の中へと歩を進めた。

 半ば風化した外見に反し、建物の中は朽ちる事なく、ここが造られた時代そのままの面影を残していた。生体に反応して青白い光が点灯する、節電を追求した証明ライトは今も正確に仕事をこなし、床にはちりも埃も積もる事はない。研究所であったと思われるこの手の施設には、研究者の手をわずらわせないように、全自動の掃除ユニットが配置されているのが常だった。それが今も機能しているのだろう。
 と、いう事は。この手の施設にありがちな、機密を守るための防衛機構も現役である事が、容易に想像出来る。そして、階層フロアを一段階降った時、ユーリの考えは単なる想像ではない事が証明された。
 階段を降り終えて廊下へと踏み出した途端、ごとりと靴先に何か固いものが触れる感覚に、ユーリは視線を落とし、そしてはっと息を呑む。白い床に不釣合いな黒焦げの、元は人間であったろうモノが転がっていた。周囲を見渡せば、それはひとつやふたつではない。
 思考するより先、ユーリはほとんど反射で階段まで身を引いた。直後、薄暗い廊下を一条の太い光線が薙いで、一瞬辺りを明るく照らし、すぐに消える。
 ホルスターから銃を抜いて、いつでも射撃体勢に移れるよう胸の前に掲げたまま、頭だけを廊下に出す。途端に二射目が襲い来て、ユーリはばっと頭を引っ込める。退ききらなかった髪が一房、じゅっと音を立てて、紫から焼け焦げた黒へと一瞬にして変わる。ひやりと背筋が冷えた。
 だが今の攻撃で、光線が廊下の上方に取り付けられた砲台から放たれている事は確認出来た。ユーリは銃を構えて廊下へ身を投げ出し、砲身が自動追尾でこちらを向くのに先んじて引鉄ひきがねを連続して引く。銃弾は一発たりとも目標を外さず、吸い込まれるように命中する。迎撃装置は、反撃を許されずに沈黙した。
 銃を構えたまま十数秒。本当にそれ以上の攻撃がやって来ない事を確認すると、ユーリはほうと息をつき、銃を持つ手を下ろして、それから、ずきりと身体に走る痛覚に息を詰め、顔を歪めてその場にうずくまった。
 ブラッドとの戦いで負った左脇腹の傷は、エルシスが塞いでくれたとはいえ、完治には至っていなかった。所持している鎮痛剤を服用しても、少しでも激しい動きをすれば、たちどころに鈍痛が繰り返しユーリを襲う。その時はこうやって屈み込み、無理矢理深呼吸をしながら、身の内で暴れ回る疼きという名の魔物が眠りにつくのを、待つしか無かった。
 やがて痛みが通り過ぎ、正常に呼吸が出来るようになると、ユーリは伏せていた顔を上げ、額の脂汗を拭う。それから銃をホルスターに収めた代わりに、ベルトの反対側に取り付けた道具鞄からサバイバルナイフを取り出す。そして、紫に染めた横の髪を掴むと、刃を起こして、焼け焦げた毛先をばさりと切り落とした。バランスがおかしくなってしまうので、反対側も同じくらいの長さを断つ。
 はらはらと床に舞う髪の毛には目もくれず、ユーリは立ち上がり、施設の奥へと歩を進めた。

 侵入者を撃退する装置は、先にも用意されていた。同じように死体が転がっているので、それがある、というのを認識出来たし、対応する事は、ユーリの腕では苦ではなかった。死体の数が徐々に減ってゆくのは、ほとんどの人間が最初の時点で淘汰されたからだろう。恐らく、前時代の自動迎撃装置の仕組みなど知らない、現代の盗掘者がのこのこと入り込んだ結果に違いない。
 地下を三層まで降りた時、廊下の向こうから聞こえて来る機械音に、ユーリは身をこわばらせ、油断無く銃を構えた。暗闇から現れたのは、三つ足で滑らかに床を進んで来る、人間の膝辺りまでの背丈しか無い掃除ユニットだった。成程、この大きさでは死体は片付けられまい。
 これが二十二世紀当時の通常の建物内ならば、「何だ掃除機か」でやり過ごす事が出来る。だがここは、何らかの機密を抱えた研究所跡。掃除機が『掃除』する物がごみだけとは限らない。部外者を、いや、設定されたセキュリティレベル次第では、施設内で動き回る全ての生命を排除する機能さえ搭載されているかもしれない。
 ユーリは銃口を真っ直ぐ掃除ユニットに向ける。ユニットは規則的な駆動音を立てながら、時折、吸い口ノズルから埃を吸い上げつつ、ユーリの方へと近づいて来た。迂闊に手を出せばたちまち、殺戮機械と化す事も、仲間を呼ぶ事も、施設全体の防衛装置が一斉にユーリを始末しにかかって来る事も、起こり得るかもしれない。悪い想像は幾らでもきく。戦場で常に最悪の事態を想定して生きて来た悲観的ネガティブ思考の癖が、抜けていないのだ。
 相手の動きが異様なまでに鈍く、待つ時間は長く感じられ、じりじりと焦れる。銃を向けられているなど些細な問題ですらないとばかりに、掃除ユニットは何らの異常動作イレギュラーを起こす事なく床を滑り、ユーリの脇を通り抜け、そして彼女に一切の危害を加える事もなく、廊下の奥へと姿を消した。
 訪れた安堵感に、ユーリは緊張の解けるに任せて、銃を持つ手をだらりと下げ、肩で大きく息をつきつつ壁に背を預けた。いつの間にかじっとりと湿っていた掌をスカートにこすりつけて、汗を拭く。  気を張り詰めていたせいで、脇腹がまたしくしく痛み出す。だが、耐えられないほどではない。呼吸を整え、壁から身を離すと、ユーリは施設の更に下層へと向かった。

 地下五階が最下層だった。そう広くはない室内にモニターが置かれ、右手には明らかに巨神機の格納庫へ向かう入口があるのだが、分厚いシャッターで厳重に閉ざされている。
 恐らくこの隔壁の向こうにある物こそ、『チェルノボーグ』が最期に示したかった物だろう。まずはシャッターを開ける事が先決だと、ユーリはモニターの前へ行き、備え付けられたパネルに手を触れた。起動音と共に、パネルとモニターに灯が入る。システムはまだ健在のようだ。
 過去の記憶を駆使してパネルの上に素早く指を走らせ、シャッターを開く為の操作命令を打ち込む。昔取った杵柄、頭を動かすより先に身体が覚えていた。その操作の中で知る。このシステムに内蔵された時計がほとんど狂いを見せていないならば、今日は西暦において、二五七四年五月十六日。ブラッドが「四百年ぶり」と称した通り、ユーリ達が本来生きて死にゆくべきだった時代より四世紀の時間が流れた後になる。そしてこのシステムの自動記録機能が確かなら、ユーリが冷凍睡眠(コールドスリープ)についてわずか三年後、世界は核戦争で死滅していた。
 ロック解除作業は淀み無く進んだ。だが、ある一点に来た所で、ユーリの指は動きを止める。
合言葉パスワード?」
 最後の施錠を解く為に合言葉を要求されたのだ。自分のあずかり知らぬ場所で設定された、四百年も前の語句を、ユーリが知るはずがない。誰かに訊ねようにも、問いただすべき人間は、最早この世には存在しない。するはずが無い。
 これさえクリアすれば、開かずの扉はその先へと自分を導いてくれるだろうに。焦燥に駆られてユーリは唇を噛み、右手の中指で苛立たしげにパネルの上を無駄に叩く。
 が、その指がふと中途に止まった。思案する。ルービックキューブの六面が、何かの拍子で元の配色へと戻せるように、きっかりと、かっちりと、思考が予測と結論を弾き出す。
 ユーリの専用機である『チェルノボーグ』がこの場所を示した。防衛装置も、ユーリの足を決定的に止めるには至らず、まるで彼女がそれを征服するのを予見していたかのようだった。だとすれば、ここに眠っている物は、誰の為に、誰が用意した物か。
 ユーリは叩き込む。母国語の綴りで。

 Julia Coolheart

 己の名前を。
 システムが合言葉を照合し、認証した合図音を返す。数秒の後、前もってそう動作するように仕組まれていたのだろう、モニターに、一人の白衣の男の映像が映し出された。その男を見て、ユーリは瞬間、息を呑む。
 画像はややノイズが混じり不鮮明で、収録したカメラがかしいでいたのか、微妙に角度が曲がっている。だが、映っている人間を認識出来ないほどではない。いつも猫背で、研究に没頭するあまりに剃る事も忘れた無精髭は、記憶より更に伸びていた。
 母が死んで以降、覇気や精彩というものを欠いていた灰色の瞳には今、強い意志の光が宿って、真っ直ぐにこちら側を見つめている。
「……父さん」
『ユリア』
 決してユーリの呟きに応えた訳ではないだろうが、非常にタイミング良く、画面の中の男、ユーリの父、モーガン・クールハートは口を開いた。恐らく世界の終焉が迫った状態の時に収録され、画質や音質にまで気を配る余裕が無かったのだろう。多少の雑音も入っている。
『お前が今これを見ているという事は、世界は、私の予想した通りの道を歩んでいるのだろう』
 父の予測したのは、世界の終焉、その後の緩やかな回復。そして、それを助長する為の接続者と、彼らをサポートする操縦者の目覚め。巨神機戦においては接続者が操縦者を補助するように見せかけて、実際は操縦者が巨神機をもって接続者を『世界の始まる場所』まで守り導き、助ける役目を負っていたのだ。
『そして、お前がここを訪れたという事は、何らかの事情で「チェルノボーグ」を失い、代わりの手段を、巨神機を求めているに違いない』
 やはり。ユーリは確信する。父はこのような事態が起こるのを見越して、研究所ひとつを丸々使って、自分の為に遺すべき物を遺したのだ。
 だがそれは、『娘』の為だろうか。あくまで『操縦者』としての自分に対しての、温かみなど一切存在しない、ただの対処ではないのだろうか。自問するユーリの横で、シャッターががらがらと音を立てて持ち上がり、自動的に照明がついて、その奥に格納された物を照らし出した。
 それを目のあたりにして、ユーリは瞠目する。そこにいたのは、予想に違わず、巨神機だった。『チェルノボーグ』に極限まで似ながら、更に洗練された造形フォルム。だが、『チェルノボーグ』と決定的に違うのは、その塗装が今までの黒とは対極の、傷も汚れも一切無い、輝ける白である事か。
『RSY―095B「ベルボーグ」』
 巨神機の名を父が告げた。『黒い神チェルノボーグ』という、スラブ神話の神になぞらえた前の機体に対し、対の『白い神ベルボーグ』の名を与えたのだろう。
『もし今のお前に必要ならば、この力を授けよう』
 純白の機体に見入るユーリの耳に、父の言葉が届く。
『だが、その時は』
 父が告げる。
『操縦者の使命などに縛られず、お前自身の揺るぎない意志で、この「ベルボーグ」を使ってくれる事を、切に願う』
 その言葉にユーリははっとモニターを振り返った。相変わらずノイズの多い、不鮮明な画像の中の父はしかし確かに、母を失ってから無感情だった顔に、慈しみの表情を浮かべていた。
『ユリア、幼いお前を顧みられない、身勝手な父親ですまなかった。せめて、目覚めた先の世界で、お前が幸せに生きられる事を、祈っている』
 ユーリの涙腺が緩んだ。何故今更そんな事を言うのか。生きている内に面と向かって聞きたかった、謝罪以外の言葉を。本当に、我が親ながら何て不器用な人だろう。涙が一筋、ユーリの頬を伝う。
『愛しているよ、我が娘』
「父さん」
 私だって、本当は。
 画面の向こうの故人には最早届かないと判っていても、モニターに向けてそう返そうとした瞬間、背後から飛んで来た殺気に、ユーリは身を伏せ横様に床を転がった。直後、銃声が響き、モニター内の父の顔に穴が開き、ひび割れる。
 銃声は何度か繰り返され、モニターを修復不可能なまでに破壊した。咄嗟に頬の涙を拭い去り、脇腹の痛みを堪えながら身を起こすと、ホルスターから銃を抜いて、入口の闖入者に向ける。
「よォ」
 人を小馬鹿にしたような口調で、赤毛の少年が気安く片手を挙げる。もう片方の手は、銃を掲げたまま。
父娘おやこの労りごっこは全身むず痒くなりそうでェ、見てらんなくてよ。つい邪魔しちまったぜ」
 嗤うブラッド・フェイオンの背後に、唐突に巨神機『ブラッディペイン』が出現する。接続者であるセロという男の能力スキルだろう、転移して来た巨神機は、高さの足りない天井を突き崩して、地獄へと誘う遣いのようにユーリの前に立ちはだかった。

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