02:夕闇色に染まる別れの言葉


『すまない』
 思い出の中の彼はいつも、背中を丸め、うなだれていて。
『すまない』
 重い罪の意識に苛まれて、苦悩に満ちた表情をしていた。
『このような役目をお前に与える私を、許してくれとは言わない。恨んでくれて構わない』
 そんな彼の、今生の別れとなった最期の言葉は、今も耳に焼き付いている。
『さらばだ、我が娘よ』

「……リ、ユーリ?」
 エルシスに名を呼ばれてはっと我に返る事で、ユーリは、己が物思いに耽っていたのを認識した。沈思していてもバイクはきちんとまっすぐに走らせていたのは、彼女が伊達に巨神機アトラス操縦者ドライバではない事を示している。
「どうしたの?」
「何でもない、気にするな」
 心配そうに小首を傾げるエルシスにそっけなく返して、ユーリはハンドルを握り込む。白いバイクは砂塵を巻き上げて、荒野を走り続けた。
 賊を倒したユーリは、その場に奴らを残して去り、再び渓谷に『チェルノボーグ』を潜ませた。『チェルノボーグ』は誰でも乗り込めるような汎用機と違い、ユーリの生体認証が無ければコクピットの計器類は一切起動しない。万一、他の巨神機を動員して持ち去ったとしても、一歩とて動かせないので、大きすぎる骨董品と同等の価値しか無い。そして今の世界で、大枚をはたいてまでそんな無用の長物を所持していたい人間は、そうそう存在しないだろう。盗られる、という確率は、ユーリの脳内ではほぼゼロに等しかった。
 それよりも、だ。
 後部座席にいる少年――エルシスと名乗った――だ。彼は巨神機と直接接続リンクし、機体の性能を高めてみせた。それは紛れもなく、彼が接続者スタブである事を示している。
 目覚めたのか。それならば、それ以前の記憶が無いのも頷ける。そして、だから操縦者である自分も目覚めたのか。
 だが、接続者であるなら名前が、と思考しかけて、ユーリは小さく頭を振る。呼び名などさしたる問題ではない。そう、現に自分も。
 名前などより現実的な問題は、世界が、接続者が目覚めるレベルまで回復したという事実だ。時が至ったのならば、自分はこの少年を連れて行かなくてはならない。
 彼のDNA遺伝子に刻まれているだろう至上命令を果たす為に、世界の果て、『世界の始まる場所』へ。
「ところでユーリ」
 エルシスの声で、ユーリは再び自分が思索に陥ろうとしていた事に気づく。エルシスには、今度は気取られなかったようだ。
「どこへ向かってるの?」
 ユーリは一瞬間を置き、それから答えた。
「私が世話になっている村だ」

 その集落は、木の板で組んだ高さ三メートルほどの壁に四方を囲まれていた。荒野から吹きつける砂塵を孕んだ風を除ける為と、唐突に襲い来る盗賊避けの為だ。だが、前者はともかく、後者は気休めだ、とユーリは思っている。略奪者は同時に破壊者でもある。こんなやわな防壁バリケード、その気になれば呆気無く崩壊に導く事が出来るだろう。
 ――あの頃なら、重機を用いてくろがね城塞じょうさいを造るなど、造作も無かった。
 そうは思うが、今の時代、この程度の壁を築く事さえ一苦労である事を、ユーリは知っているので、決して口に出したりはしない。
 防壁の門の上にある見張り台に、機関銃マシンガンを肩から提げて立っていた男が、バイク音に気づいてこちらを向き、誰だか認識してくれたらしく、村の中へ向けて大声を張りあげた。
「ユーリだ、ユーリが帰って来たぞ!」
 ユーリが門の前でバイクを止めると、男が手動の開門装置に取り付く。がたがたと年期の入った製作物である事を示す音を立てて、閉ざされていた門扉が上へと持ち上がった。
 ユーリはエルシスをバイクから降ろし、自身も降りると、バイクを手で押して村の中へと入った。たちまち、井戸端で洗濯をしていた女が、軒先で日向ぼっこをしていた老人が、そこらを駆け回っていた子供達が、わらわらとユーリを取り囲む。
「お帰りなさい、ユーリ!」
「無事で何よりじゃ」
「ねえ、今回はどれくらい悪い奴らをやっつけたの?」
 あまり愛想の良くないユーリの、想定外の人望に、エルシスはすっかり唖然としてしまった。淡々と彼らに応える少女の姿に、まじまじと見入ってしまう。
 だが、わいわいと楽しげな村人達の背後から、
「ふん、大した人気だね」
 友愛の欠片も無い声が浴びせかけられると、ユーリを取り囲んでいた者達は、しんと静まり返る。そちらを振り向けば、中年の小太りな女が、つりがちな目を更に険しくしてユーリを睨みつけていた。
「フラッとやって来て、ちょっと戦えるからって、誰も彼も用心棒としてあんたをちやほやするけどね。あたしはあんたみたいな余所者、信用してやいないよ」
 その視線が、エルシスもぎょろりとねめつける。
「ヘレネ」
 ユーリを囲んでいた中でも年かさの老人が女をたしなめるが、その毒舌は止められない。
「その上、得体の知れない仲間まで引き連れて来たのかい。せいぜい、厄介事をこの村に持ち込むんじゃないよ!」
 唾を吐き捨てそうな勢いで、言いたい事だけを言い放って、ヘレネはさっさと踵を返した。興を殺がれた村人達は互いに顔を見合わせ、それから、誰も彼もがユーリに申し訳無さそうな苦笑を向けながら、不自然に解散した。
「……何だか」
 物悲しそうに彼らの背を見送りながら、エルシスが呟く。
「歓迎されていないみたいだね」
「仕方の無い事だ」
 だが、ユーリはあくまで冷然として。
「今の世界で生きて行くには、そう簡単に外からの人間に心を許す訳にもいくまい。当然の反応だ」
 まるで自分事ではないかのごとく淡々と語るユーリの口ぶりは、事態を泰然と受け入れているようにも、全てを諦観しているようにも聞こえる。
 他人に心を許さない。それはユーリ自身もそうであるように思える。『チェルノボーグ』に、彼女の手足とも言える巨神機に接続したからだろうか。短い時間の間に、エルシスは、深入りを許さないユーリの心の壁を感じ取ったような気がする。
(君はそれで平気なの?)
 少年の問いかけは、誰の耳にも届く事無く、空に吸い込まれた。

 緩やかな時が流れていた。昼餉の支度に煙突から立ちのぼる煙。わずかながらも開墾した土地に水路を引き、作物を育てる農夫。笑いさざめき合いながら駆け回る子供達。村の入口には、武器を手にした見張りが立っている、決して穏やかとは言えない状況とはいえ、村の中では、長閑な光景を見る事が出来た。
 人の足で踏み固められた道を、村の様子を見回しながら歩いていたエルシスは、道端で地を割り咲いていた一輪の花を見つけて、歩を止め屈み込む。掌で握り込めば容易に散ってしまいそうな、幾重もの白い花弁を持つその花は、もう盛りを終えようとしているのだろう。しんなりと頭を垂れていた。
 エルシスは、惹かれるがまま花に手をかざした。温かい光が少年の手から零れ、花に注がれる。その途端、花は息を吹き返すかのごとく、重たげだった頭を起こし、しゃんと背を張った。
「……すごい」
 背後から聞こえて来た呟きに、エルシスははっとして振り返る。いつの間にいたのだろうか、栗色の髪を短く刈り込んだ、七、八歳くらいの少年が、尊敬の眼差しを緑の瞳に宿してエルシスを見つめていた。
「にいちゃんは、生き物を生き返らせられるの?」
 エルシスの心臓がどきりと脈打つ。この能力スキルは凡人が持たぬ技だから無闇に人前では見せないように、と、面倒を見てくれた老人に言い聞かせられていたのを失念し、周囲の様子もうかがわないで発動させてしまった。
 だが、見られてしまったものを見なかった事にするのは出来ない。エルシスは視線を彷徨わせ、少年の膝小僧に擦り傷を見つけると、
「生き返らせる事は出来ないけれど」
 相手の膝に手を伸ばす。温かな光は、たちまち少年の傷を跡形無く消し去った。
「これくらいなら、出来るんだ」
 少年は驚きを満たした目で己の膝を見つめ、それから、零れんばかりの笑顔をエルシスに向ける。
「君、名前は?」
「ヨハン」
「僕はエルシス。ヨハン、これは君と僕の間だけの秘密だよ」
 そうして、指切りの為の小指を、ヨハンと名乗った少年の眼前に差し出す。ヨハンは緑の瞳に、二人きりの秘密を共有した緊張と期待を溢れさせる。それから大きく頷くと、小指同士を絡ませた。

 二人きりの秘密。
 それを、当事者である二人に気付かれない場所から、ユーリは見届けていた。身を隠し気配を消す芸当は、戦場を駆ける彼女にとっては、食事を摂る事と同じくらい自然に出来る。彼女は一流の操縦者というだけでなく、白兵戦を行う戦士としても優秀であった。かつてそうして、戦場を駆けた。
 弊害はある。
 いつでも弾込めされた銃をホルスターに収めて携帯していなければ、落ち着かない。いつどこから敵となる存在が襲い来るか。常に神経をぴりぴりと張り詰めさせている。
 忘れようと思っても、忘れられないのだ。硝煙のにおい立ち込める、命懸けの戦場。巨神機に踏み潰され、人としての原型も尊厳も失った死体。心臓を刺した人間が崩れ落ちてゆく時の、背筋を這う怖気おぞけ。鮮烈に刻み込まれた記憶は、時に夢という形を取って、幾度も幾度も彼女を追いかけて来る。何度、床から飛び上がるように目覚めた事か。
 平穏な村の中でさえ、白昼夢に襲われる事がある。赤茶けた大地を更に赤黒く染めて、累々と横たわる屍の山を、無意識の内に脳裏に描く。はっと一息呑むと、幻は消え失せて、変哲の無いひとつの集落の光景が広がるばかりなのだが。
 そうして思い出す。父の懺悔を。
『お前にこのような思いをさせて、本当にすまない』
 口を開けば詫びてばかりだった父に、苛立ちを覚えなかった訳が無い。謝るくらいなら、最初から巻き込まなければ良かったのだ。最初にあの大国から逃れたように、兵器の開発や世界の研究などから手を引いて、自分さえ捨てて、何事からも逃げ出せば良かったものを。
――いや、もう過ぎた話だ。運命を嘆き呪う事ならばとうの昔に済ませた。今はそんな事を思い出している場合ではない。頭を振って思考を振り替える。
 エルシスが見せた能力。父の研究が最終段階まで上手く行っていたのなら、接続者は、巨神機に接続する以外にも、何か一つ常人とは異なる異能を持っているはずだ。エルシスの場合、生命の持つ回復力を活性化させる修復の能力を発現したのだろう。
 そんな接続者と出会った今、自分は自分に与えられた役目を果たさねばならない。
 その為だけに自分は存在し、生き続けているのだから。

 見張り台の上で、男は大きな欠伸あくびをした。機関銃を抱えている風体からはかけ離れた、緊張感の欠片すら所持しない挙動だ。
 だが、無理もない。ユーリが来てからこちら数ヶ月、時折襲い来るごく少数の野党がいても、ほぼ一人で立ち回り撃退してしまう彼女の存在により、村の自警団は形式ばかりのものになっていた。村の見回り経路ルートも単純化され、自警団の男達の仕事といえば、こうして見張り台にのぼり、変わる事の無い赤茶けた荒野を眺めているばかりだ。
 ゆるゆると過ぎる時間の中では、眠気すら襲って来る。しょぼしょぼした目をこすり、再度村の外へ目を遣った時、それまで変哲の無かった光景に異変を見つけて、男は首から提げていた双眼鏡を手に取り、覗き込んだ。
 それを確認した時、彼の中から眠気は完全に吹き飛んだ。ざっと血の気が引き、背筋がぞっとうそ寒くなる。
「あ、あ、あ」
 震える唇が何とか言葉を紡ぎ出そうと努力する間にも、それは脅威という形を露に真っ直ぐ村を目指して接近して来る。彼は言の葉を紡ぐ事を諦め、傍にあったハンマーを手に取ると、見張り台に設置してある金属製の鐘を、力一杯に殴りつけた。がんがんがんと、村中に警報が響き渡る。
 見張人としての重要な役目を、完璧にでは無いが初めて立派に果たした彼は、次の瞬間、見張り台ごと押し潰され、意識を永遠に手放す事となる。
 鉄色の巨神機によって。

 ユーリが警鐘を耳にしてはっと村の入口を見やった時には、巨神機『オフィサー』が、防壁を紙のように易々と打ち破り、村の中へと足を踏み入れて来る所だった。
『俺様をコケにしやがった女はどこだァ!』
『オフィサー』のスピーカー越しに銅鑼声が聞こえて来る。
『ミンチ肉にしてやる!!』
 先程のした連中が『オフィサー』の修復を行ったのだろう。一台だけとはいえ、実に執念深い奴等だ。短時間で巨神機を復旧させるだけの実力があるなら、もっと他の役立つ事に貢献出来ないものか。
 愚痴った所で、奴が大人しく退却してくれるはずもない。そして、巨神機に対抗するには巨神機を使うしかない。ユーリは人々が混乱の叫びをあげながら逃げ惑う村の中を駆け、バイクの元へ辿り着いた。素早くエンジンをふかし、
「エルシス!」
 ヨハンをかばうように立っていた銀髪の少年に声を飛ばす。
「来い!」
 エルシスはこちらを向き、数瞬戸惑いを見せたが、すぐに自分の求められている役割を察したようだ。ヨハンに何かを耳打ちし――その短さから恐らく、「逃げて」とか、「気をつけて」といった類の台詞だろう――、真っ直ぐユーリの元へ駆けて来た。
 エルシスを後部座席に乗せ、『チェルノボーグ』の隠し場所へ向かうべく、バイクを発進させようとする。
「逃げる気かい!?」
 きんきんした罵りが投げかけられたのは、その時だった。
「やっぱりあんたは所詮余所者だ。こんな村ごとき、見捨てても何とも思いやしないんだろ!?」
「違います! ユーリは」
 エルシスが反論しようとするのに先んじて、声の主――ヘレネは、早口で容赦無い悪意をぶつけて来る。
「災い持ち込んどいて、危なくなったら自分達だけとんずらかい。そうやって、何人、何十人殺してきたんだい!? やっぱりあんたは思った通り、疫病が」
 みだ、までをヘレネは言い切る事が出来なかった。ごっ、と鈍い音と共に、その身体が変な方向へ折れて宙を舞う。たまたま『オフィサー』の進路上に居合わせた彼女が、巨神機の爪先に蹴り上げられたのだ。驚愕に見開かれた血走った目と、ユーリは視線を合わせてしまった。逸らす事が出来ずに、その目が虚ろになって焦点を合わせなくなり、身体が地に叩きつけられるまでの一部始終を、見届けてしまう。
「か……かあちゃん!」
 ヨハンが甲高い叫びをあげ、動かなくなったヘレネに向かって走り出そうとしていた。それを背後から、危ないと言い聞かせる大人にがしりと捉まれ、腕の中で「かあちゃんが、かあちゃんが!」と暴れる。
 ユーリは灰色と緑のオッド・アイにその様子を映し出していたが、不意に、振り切るように視線を外すと、バイクを走り出させた。
「ユ、ユーリ!」
 背後でエルシスが焦り気味の声をあげる。戻れとでも言う気か。この状況下で。
「考えろ」
 敢えて後ろめたい思いを突き放すように、ユーリは感情を一切乗せない声色で言い放った。
「今、私達は何を一番にするべきなのか」
 バイクはあっという間に壊れた防壁をすり抜け荒野へと飛び出し、『チェルノボーグ』が潜んでいる渓谷へと向かう。崖に身を預けて座り込んでいるような体勢の機体を駆けのぼり、コクピットの横にあるテンキーに暗証番号を叩き込んでハッチを開く。シートに飛び込みレバーを握ると、『チェルノボーグ』はユーリの生体情報に反応して、計器類を作動させた。
 続いて乗り込んで来たエルシスが、座席の後部スペースに収まり、スライドする壁から出て来たコードと己を接続させた。輝きを持つ黒い紋様が、彼を覆ってゆく。
「『チェルノボーグ』、起動」
 先程までの動揺はどこへやら、エルシスが淡々とした口調で紡ぐ。
「出力百四十パーセント、運動性を百二十五パーセントに調整」
 それを耳に刻み込みながら、ユーリはレバーを押し込んだ。『チェルノボーグ』は渓谷を飛び出し、バイク以上の速度で村への道を疾走する。
 村からは、幾筋もの食事の用意とは異なる煙が、そして炎が立ちのぼっていた。『オフィサー』が、所持していた火薬をあちこちの家へ投げ込んだに違いない。それが竈(かまど)の火に引火して、幾つもの爆発を起こしたのだ。
「酷い……」
 エルシスが、自分の身に傷を刻まれたかのように苦しげに呻く。その声すら、ユーリの耳には届いていなかった。彼女の視界には、頭部のカメラを通してコクピット内に映し出される村の惨状ではなく、異なる光景が映し出されている。
 燃え上がる街。炭化してごろごろと転がる屍。『チェルノボーグ』から見下ろした、かつての戦場の記憶。
「ユーリ!」
 エルシスの警告で、ユーリの意識ははっと引き戻された。現実、目の前には、こちらへ向かって突っ込んで来る『オフィサー』がいて、その操縦者ががなり声をあげる。
『潰れろやァ!』
 ユーリがレバーを引くより早く、『チェルノボーグ』は軽快に身を引き、敵の突進をかわした。接続者には、操縦者の対応が追いつかない場合、緊急回避や反撃を行う権限が用意されているという。知ってか知らずか、エルシスがそれを行ったのだろう。
 ユーリはオッド・アイを細め、一声獣のように吼えると、突撃を避けられてよろめく『オフィサー』の頭を左手でがしりと掴んだ。そして右手の機関銃を、巨神機のコクピットにあたる胸に突きつける。
『ひっ』
 己にもたらされた恐怖に敵がスピーカーから戦慄の声を洩らすのも、まるで他人事にして、ユーリは引鉄ひきがねを引く。がぁん! と、恐らく外で直に聞いている村人達にとっては鼓膜を破りかねない轟音をあげて、弾丸は『オフィサー』を貫いた。
 心臓部を撃ち抜かれ、安全作動フェールセーフ機能を搭載した巨神機は、その一撃で動きを止めた。コクピットにいる人間そのものの命も奪っただろう。だがユーリはそれで終わらせずに、銃撃を浴びせ続けた。
 執拗に、何度も、何度も。弾が尽きるまで。

 夕暮れの空に幾筋もの煙が立ちのぼる。炎はようやっとその勢いを失くし、沈静化しようとしていた。
 だが、村に静寂は訪れなかった。死体が地面に整然と並べられ、人々の嘆き悲しみが、動かなくなった家族の名を呼んで叫ぶ悲嘆が、あちこちからあがっている。
「かあちゃん、かあちゃん!」
 ヨハン少年も、かっと目をむいたまま絶命した母親に取りつき、涙も鼻水も流れるままに母を呼び続けていた。その背後にユーリとエルシスが近づくと、彼はがばりと顔を上げ、
「エルシスにいちゃん」
 すがるようにエルシスの服を掴んだ。
「にいちゃんなら出来るだろ、かあちゃんを助けてよ。生き返らせてよ!」
 約束の指切りなど忘れ、少年は一縷の望みに賭けようと懇願する。エルシスは、少年の哀願を真正面から受けて、黒い瞳を戸惑いに揺るがせた後、その目に申し訳無さを満たして顔を伏せた。
「ごめん」
 少年が絶望に目を見開く。
「僕には、死んでしまった人を生き返らせる事は」
 相手と目を合わせる事が出来ず、エルシスは辛そうに、もう一度声を絞り出す。
「本当にごめん」
 ヨハンの緑の瞳が震え、そしてあっという間に潤み、やがて宿るのは、明確な怒りだった。
「なんで駄目なんだよ。かあちゃんがユーリに冷たかったから? にいちゃん達を悪く言ったから?」
 そうではないと、理不尽だと、本人も自覚しているのだろう。だが、突然家族を失った悲しみは、刃を向ける矛先を求められずにはいられない。
「嫌いだ。にいちゃんなんか嫌いだ。どこにでも行っちまえ!」
 それにつられて、さざ波が大波をなしてゆくかのように、そうだ、この少年がいなければ、という囁きは広がり、遂には、ユーリがいなければこんな事にはならなかったという結論さえ導き出される。
 違う。エルシスは反論しようとした。僕を責めるのは構わない。だけどユーリは。ユーリは今までずっと、貴方達を守ってきてくれたじゃないか、と。
 だが、声を荒げようとしたエルシスの肩をつかんで止めたのは、そのユーリ自身だった。オッド・アイは、哀切も悔恨さえも、何らの感情をも宿さずに、ただエルシスを真っ直ぐに見すえ、それから静かに首を横に振る。
 出て行け。誰かが声をあげた。出て行ってくれ。そして二度とこの村に近づくな。
 村人達の唱和を、ユーリは甘んじて受けた。責任を取れとか、死んだ者達の代わりに死ねなどと言われなかっただけましだと思っているのだろうか。村の外に停めてあった『チェルノボーグ』に向けて歩き出す。
 その後を追おうと、エルシスも足を踏み出そうとし、そして立ち止まった。
 恨み言のひとつくらい吐いても良かったのだろう。だが、ぐっとそれを飲み込んで、代わりに深々と頭を下げ、別れの言葉を舌に乗せた。
「さようなら」

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