『かみさまのたまご』

「ぱーぱ、ぱーぱ」
 舌ったらずな声を出して、軽い足音が僕の後ろから追いかけて来る。振り返らずともそれが誰だかわかる。
 右手を差し出せば滑り込む、柔らかくて小さな手の感触。
 見下ろせば、幼い笑顔がきらきら輝いて無心に僕を見上げている。
 微笑みかけてみせれば、くしゃりと更なる笑みの花が咲く。この顔を見る瞬間が何よりの幸せだ。

 *******

 はじまりはある晴れた日の昼間。
 就職に失敗し、フリーターとしてのんべんぐらりと暮らしていた僕が散歩に出た時、ふと見上げた蒼空で何かがきらり光り、落ちて来るのが見えた。
 反射的に両手を差し出し、無事キャッチ。
 よくよく見れば、それは虹色の卵。
 何故卵? しかも空から? 一体誰が?
 疑問符で一杯になる頭を更に混乱させる事態が、その直後に起きた。
 ぴしり。卵にひびが入ってぱっかり割れたのだ。中から出て来たのは穏やかな寝息をたてる女の赤ん坊。
 一緒に入っていたメッセージカードに気づき広げてみる。

『この子は次代の神になる子です。大事に育ててあげてください』

 何の冗談かと思った。
 だがその時、赤ん坊が目を覚ましてむずがったかと思うと、大きな声で泣き始めたのだ。
 とりあえず、甥や姪を抱かせてもらった時の事を思い出しながらあやしてみるが、一向に泣き止む気配が無い。
 冗談じゃない。右往左往するもらちが明かない。
 困り果てた僕は、片手に赤ん坊を抱き、片手でスマホを操作して、姉に連絡を取ったのだった。
 子供を三人産んだ経験を持つ姉は、
『あんたどこでそんなだらしない事したの』
 と呆れながらも、すぐにやって来て、赤ん坊の抱き方からミルクのあげ方、沐浴の手順、おむつ交換などなど、あらゆる世話の仕方を教えてくれた。

 それから十年。

 神様の娘は十歳になってもまだ、まるで二、三歳の幼児のようだ。
 やはり人を超越した存在の成長は、僕ら凡俗とはスケールが違うものなのだろうか。
 十年で三歳。どんなに僕が長生きしても、この子が立派な神として振袖を翻すのを見届けられるかは、かなり微妙な線だと思う。

 我が子ではない。
「若いくせに男やもめ」と見られて結婚も出来なかった。
 それでも。
 波打つ金髪と、あの日卵の殻に包まれて落ちて来た空と同じ蒼の瞳。微笑みかける顔、僕を呼ぶ声。いつまで経っても拙い僕の料理をにこにこと食べてくれるそのまぶしさ。
 この子と過ごす一瞬一瞬が大切に輝く、至福の時間だ。
 僕が歳をとって寝たきりになる頃、
「もうしょうがないわね、お父さんは」
 と彼女が世話してくれるまで成長しているのを、実は今からこっそり期待している。
 だから、「ぱーぱちゅきー」と彼女が呼びかける度に僕は笑顔で返すのだ。

「僕も大好きだよ、僕の大事な大事な女神」

 *******

「大好きでした」
 腰まである長い金の髪を風になびかせ、百年も前の日々を思い出しながら女神は天使に語る。
「彼は私の全てでした。彼がいてくれたから、私はこうして一人前の神になれたのです」
 蒼い視線を下ろせば、腕の中にはすやすや寝息をたてる男の赤ん坊。
 女神の大切な人は老衰で亡くなったが、こうして次代の神の子として転生する。
 地上に降りて誰かに育てられ、緩やかな成長をして、再び天に昇るのだ。

「あなたが私にくれた幸せを、あなたが誰かにも与えてもらえますように」

 ぎゅっと抱きしめ頬を寄せ、微笑みながら語りかけると、女神は赤ん坊をメッセージカプセルと共に虹色のたまごに封じ込め、雲ひとつ無い蒼穹へと放つのだった。