『白雪異聞』

 小さな影が、黒き闇間を飛ぶように駆けた。
 人里離れた暗い竹林の中を走るその影は、もし目にする人間がいたならば、さては人ならざるものかと怯えただろう。
 だがそれは、戦場《いくさば》の武士よりもやや軽装な鎧をまとう、れっきとした人間の男の姿をとっていた。
 ただ、大人びた顔に反して、非常にこぢんまりとした体とやや短めな四肢を持っている。
 清平《きよひら》の名を持つその影は、小柄な体躯にできる限りの速さで、林の奥へと懸命に走った。
 ふっと横目で見やれば、竹の向こうにちらちらと、不定形の赤がいくつも見え隠れしている。
 松明の炎が躍っているのだ。
 清平は歯を食いしばって、走る速度を更に上げる。
 土を蹴る音と鎧がこすれあう音、そして自身の息づかいだけが、やけに大きく清平の鼓膜を震わせた。
 やがて竹が途切れ、その奥に隠し立てるようにして在った屋敷が姿を見せる。
 手入れする者もおらず荒れ放題なその屋敷は、住む者などいないのではないかと思わせる。
 しかし清平は一寸の迷いも無しに屋敷へ飛び込み、非常時であると己に言い訳して、具足を脱ぎもせずに奥の間へと進んだ。
「姫様」
 膝をつき頭《こうべ》を垂れて、御簾の向こうにいます主に呼びかける。
「この一帯はすっかり囲まれております。皇子の手の者、数は五十を下らないかと」
「・・・そうか」
 鈴を転がすような高い声が返ると同時、主が伏せていた面《おもて》を上げる気配がした。
 しばらくの後、そっと御簾を退けて、清平の主が顔を見せる。
 女子《おなご》が年頃の男に顔を見せるのは恥知らず、と嗤われても致し方ない無作法だ。
 だが清平は主にそれを指摘する事もできずに、ただ息を呑む。
 主は美しかった。
 歳のころは十五、六。
 まるで人形が魂を得て動き出したのではないかと錯覚するかのごとく端正な顔立ちで、目鼻筋整い唇は血色も形も良く、欠点を挙げる隙のない美貌だ。
 何故ここまで美しき娘が、かようにうらぶれた屋敷に住まわっているのかと、人は疑問に思うだろう。
 だが、誰もがすべからく、その疑念を抱く前に目を奪われるのだ。
 彼女の、長く艶やかで、まつげまで同じ色をした、抜けるような白い髪に。

 白雪の君。
 それがこの姫に与えられた名であった。
 今上帝の愛情を一身に受けときめく后《きさき》の娘で、帝の子としては十九番目、姫としては十番目として、この世に生まれ落ちた。
 だが誕生の時、産みの苦しみに堪えきれず母は他界した。
 更に父である帝は、産婆がとりあげた子を見て、その真っ白な髪に絶句したという。
 物の怪《もののけ》。
 帝が最初にその姫を呼んだ名は、我が子に対するにしてはあまりにも辛辣《しんらつ》なものであった。
 我が后は妖怪に命を喰われたと、帝は心の底から姫を疎んじた。
 やがて帝の寵は他の女に移り、新たな正妃となったその継母は、異彩を放ちながらも自分より美しく育つ姫が、いつしか己の立場をおびやかすのではないかと畏《おそ》れた。
 畏れはやがて憎悪に変貌する。
 継母は星詠みの占者に姫の運命を詠ませ、占者は「帝の傍にあっては、いずれ御代《みよ》を揺るがす者」との宣告を下した。
 自分に都合の良い結果を詠むように、継母が占者に金を握らせた可能性なども充分に考えられる。
 だが、真偽の程など誰もわからない。
 いずれにしろ、白雪の君は朝廷の一族として存在する事を許されず、都外れの竹林の奥へ押し込められ、世間から抹殺された。
 捨てられたのである。

 捨てられたというのならば清平も同じであった。
 父親は高い官位を持つ公家の者だと聞いたが、本当の所は知らない。
 とにかく、誰かが興味本位で夜這いをかけた後放置した下級貴族の姫のもとに、最初から捨てられた形で生を受けた事だけは、確かである。
 その姫には子供を育てるだけの財力も後ろ盾も無かったので、子は、年老いても跡継ぎを得られずにいた武家の老人に、養子として引き取られた。
 最初に何という名を貰ったかは、覚えていない。
 物心ついた時には別の名で呼ばれていたからである。
 子供を引き取ってすぐに、老人の若い伴侶が男子《おのこ》を生んだのだ。
 その男子は喜びを運ぶ子、喜運丸《きうんまる》と名付けられ、大事に大事に育てられた。
 一方で養い子の彼は要らない子になった。
 小柄で細っこい姿を嘲るかのように、小さな捨て子、小捨丸《こすてまる》などと愛情のかけらも無い名前を与えられ、かえりみられる事が無かった。
 弟がよちよち歩き始めたのを皆がはやし立てる、そんな庭の片隅でただ無言で剣を素振り、食事の時間も一人別室で飯を食べた。
 いや、愛情が無いと感じていたのは、一方的な思いこみであったのかもしれない。
 たまに養父母が何かを言わんと呼び止めようとした時や、はじけんばかりの笑顔で後ろからちょこちょこついて来る幼い弟を、逃げるように避けて無視していたのは、小捨丸の方だった。
 良い顔を見せた後に嫌われるくらいなら、最初から深い関わりなど持たずに遠ざけていた方が傷つかない、と距離を置いたのだ。
 やがて孤独感が募りいたたまれなくなって、小捨丸は家を飛び出した。
 彼は、自分で自分を追いつめ、小捨丸ではなくなれる可能性を自ら捨てたのだ。
 その後、あてどなく町を彷徨《さまよ》い、ならずものにからまれこてんこてんに蹴り殴られて、金と唯一持ち出した刀も奪われた。
 降りしきる雨の中、あざを作った顔とはだけた着物という無様な格好で、橋のたもとに大の字に転がった。
 そして、もういっそこのまま死んでも構わないと思っていたところに、深く笠をかぶったかの人が通りかかったのだ。
 その人は笠の下からじいっと小捨丸を見下ろし、今と変わらぬ美しい声で問いかけた。
「そなたも捨てられたのか?」
 と。
 彼女は小捨丸を屋敷に連れ帰り、傷の手当てをして、質素ながらも十分な飯を食わせてくれた。
 そして、小捨丸が帰る場所が無いと言うと、「では」と微笑んで告げたのだ。
「私がそなたを拾おう」
 清平という名は、その時にもらった。
 清い心を持つ、拾《ひら》った・・・転じて、心平らかなる男子である、と。

 清くなどない、穏やかでもない。
 清平は自分をそう評価する。
 劣等感から自分の居場所を捨てた、そんな己の姿は、白雪の君にはどう映ったのだろう。
 聞いた事は無い。
 姫は清平の生い立ちを知っても、ただ、白いまつげを同情するようになかば伏せて。
「そなたも難儀をしておったのだな」
 と、ひとつ嘆息しただけ。
 清平の弱気を責める事も、彼の家族について悪態をつく事も無かった。
 その後の生活の中でも、清平が、山菜や茸を採り、春には筍を掘り出して、朝夕に火を熾《おこ》し食事を用意すると、黒目がちな眼を細めて礼を言う。
 いつまで経ってもみてくれはそこそこだが味のついてこない料理を、口に運んでは、おいしい、と返してくれる。
 時折、人里近くまで降りて季節の花を摘んで来ると、それはそれは嬉しそうに受け取り、艶やかな色の花を白い髪にさして笑顔をほころばせる。
 この人の口から、悪しき言葉を聞いた事は無かった。
 本来ならば、宮中できらびやかな着物をまとって大勢の家臣にかしずかれ、少なくとも貧乏による不自由などとは一切縁の無い暮らしを出来るはずの人なのに。
 なのに。
 世間から隔離され忘れ去られても、彼女が清平の前で父や継母やその他諸々の人間に恨み言をもらした事は、一度も無い。
 彼女はその名に違わず、無垢《むく》で何色にも染まらない白い心をもって、誰を憎む事も無く生きていた。

 いや、ただ一度だけ、彼女が他人に対して嫌悪感をあらわにした事があった。
 ずっと屋敷にこもっていては気鬱《きうつ》になるだろうと清平が気遣って、姫を遠乗りに連れ出した時だ。
 清平の駆る馬の背に二人で乗り、人気の少ない川辺へ行った。
 日除けの笠をかぶり岸に座り込む姫の前で、清平は着物の裾をたくしあげてざぶざぶと川へ入り、素手で魚を捕りにかかった。
 手づかみしようとすれば、つるつる、つるつる。
 踊るように手の中をすり抜けてゆく川魚を必死につかもうと、自分まで踊りを踊っているような動きになる清平。
 それを見ていた白雪の君は、はじめは抑えてくすくすと、次第に大きな声をあげ腹を抱えて笑い転げた。
 それにつられて清平も笑顔を返し、魚をつかんだ手を振ると、そこからするりと魚が逃げる。
 追いかけようと身をひねった瞬間に、今度は清平自身がつるりと足を滑らせ、勢いの良い水音を立てて川の中へと倒れ込んだ。
 流石に青い顔になった姫が立ち上がりかけると、びしょぬれになった身を起こした清平が、照れくさそうに笑みを見せる。
 それでほっとした姫が、再び砂利の上に腰をおろそうとした時。
 川そばの林から一頭の鹿が飛び出して来た。
 鹿はよろよろとふらつきながらこちらへ向かって来る。
 見れば後足に矢が刺さって、点々と地面に赤い染みを作っている。
 姫が再度腰を浮かせ、鹿に近づこうとした時。
 びゅん、と風を切る音ひとつを立てて飛来した矢が、どっと鹿の首を射抜く。
 鹿は黒目がちな瞳をすがるように姫に向けたまま横様に倒れ、しばらく痙攣《けいれん》していたが、やがて力つき動かなくなった。
 清平は川からあがって姫のもとへ駆け寄った。
 この姫が、死んだ動物を目にするのは初めてではない。
 清平が狩猟で得て来た鳥や動物をさばいて肉塊にするところを、厨《くりや》に入って来て興味深げに見ていた事は、よくある。
 だが、目の前で命が消えるのを見たのは、無かったはずだ。
 いつもは血色の良い唇が色を失って震えている。
 そこへ、幾つかの足音がばらばらと林から近づいて来るのを聞いて、清平は姫をかばうように立ち、連中を待ち受けた。
 一目に質が良いとわかる着物を着、弓矢を携えた男達が、二人の前に現れた。
「なんだ、なんだ、こんな所へ女連れか?
 いいご身分だな」
 着物とは対照的にいやみたらしい下卑た笑いを垂れ流しながら、一人の男が近づいて来る。
 姫が笠の下で明らかに不快を示した。
「お姫様よ。こんなちびすけを相手にしていないで、俺達と一緒に楽しくやろうや」
 男はそう言い放つと、清平があっという間も無く姫の笠をはぎとり、直後、息を呑む。
 姫の美貌が現れ、その白い髪が陽の光を受けてよりいっそう眩しく輝いた。
「白雪の・・・!」
 男達がその名を呼んで、どよめいた。
 姫はさっと笠を拾って再度深々とかぶったが、男達の目に焼き付いた白は消せなかった。
「これはこれは」
 そんな男達の間から進み出て来る者が居た。
 周りの者より更に良い着物を羽織っているが、こざっぱりとしすぎて印象の薄い顔をした、若者と呼ぶには少々その年齢を過ぎている男だった。
「噂に聞いていた我が一族の末姫に、このような所でお会いするとは」
 その言葉で、清平は目の前の男が皇族に連なる者である事を悟る。
「貴様ら、このお方は帝の二の皇子、智早皇子《ちはやのおうじ》だぞ。
 頭が高い、頭が高い!」
 取り巻きが声高に男の名を明かす。
 だが清平は、この男に対して膝をつく気にはなれなかった。
 この無垢なる姫の前で血を流した、それを許す事が出来なかった。
 じろりと鋭い眼光を返す清平に、皇子はひるむ事も咎めを告げる事もしなかった。
 ただ、とるに足りない小物を相手にするかのように肩をすくめると、清平の脇をすりぬけ姫のもとへと近づいた。
「このような小鬼にまつわりつかれて、そなたも迷惑しておるだろう。
 私のもとにおいで。
 私の妻となれば皇族に戻れるし、何の不自由も無い」
 清平の心の臓が、どきりと大きく脈打った。
 姫がこの皇子の手を取れば、彼女はきらびやかな暮らしへ戻れる。
 もう、ぼろ屋敷で暮らしたり粗末な食事をしたりする必要も無い。
 そして自分は捨てられるだろう、また独りだ。
 だが、姫は。
「侮るな!」
 その場の空気をぴしゃりと叩き、居合わせる者がとっさに背筋を伸ばすような気迫で声をあげ、皇子をぎっと睨みつける。
「貴様の見え見えの下心にすがるほど、私は心まで落ちぶれてはおらぬ!」
 そうして、皇子が差し出した手をぱしんとはたいた。
 皇子はしばしぽかんと呆けていたが、やがて意地悪そうに口が三日月をかたどって。
「それは残念だよ、我が妹。
 後悔するだろう、私の温情を受けなかった事を」
 取り巻きの男達を連れて立ち去りながら、そんな捨て台詞を吐いたのだった。

 皇子の意趣返しは迅速で周到だった。
『我が義母君が畏れる妖《あやかし》の姫と、付き従う小鬼を成敗せんが為に』
 と、后である継母の顔を立てる名目で、私兵を率いて白雪の君の屋敷を守る竹林を取り囲んだ。
 成敗など建前だ。
 彼は姫の守護者たる清平を排除し、力ずくで姫を手に入れようとするだろう。
 味方は居ない。
 清平だけで戦わねばならない。
 だが、清平の中に悲壮感は無かった。
 捨てられた自分を拾って名を与え、頼りにしてくれた、自分を見捨てなかった女《ひと》。
 彼女を守る為に散る命なら、どんなに無様な死に方をしても後悔はしない。
「・・・姫」
 清平は頭を垂れたまま、白き姫に告げる。
「私が皇子の兵を相手し、隙を作ります。
 その間にお逃げください」
 しかし姫は首肯しなかった。
 髪も肌も白い中、それだけがひときわ鮮やかに映える赤い唇を薄く笑みの形にすると、御簾を上げきって全身を清平の前にさらす。
 その姿はいつもの、粗末ながらも女性らしさを失わない楚々とした着物姿ではなく、清平より更に軽装の戦装束に身を包み、腰には小太刀をはいていた。
 姫に請われて、剣術を仕込み軽鎧のまとい方も教えた事はあるが、これはまさか。
 あっけにとられる清平の前で姫は懐刀を抜き放つと、ぶつりと。
 長く美しい白髪をうなじのあたりで勢い良く切り落としたのである。
「いつまでも白雪などという名前に胡座をかいて、自ら手を汚さぬ人間ではいられまい」
 はらはらと白が畳に舞い散る中、姫は決然とした瞳で清平を見つめる。
「たとえ血に汚れても、私は私の身と誇りを守る為に戦う覚悟を決めた」
 清平は瞬きし、そしてはっと現実に立ち返ると、深々と主の前に額《ぬか》づく。
「・・・お供いたします、どこまでも」
 白は血に汚れれば紅に染まる。
 だが、このひとの白き心までは何色にも染められまい。
 自分が守り抜こう、このひとを。
 このひとの、白雪のごとき心を。

 都にはある噂があった。
 いわく、都外れの竹林には美しく白い女鬼とそれを守る小鬼が棲み着いていると。
 ある時、皇族の一人が兵を率いて征伐に向かったが、手痛い反撃に遭っただけで首を取る事はかなわなかったという。
 その後、彼らがどこへ行ったかは誰も知らない。
 ただ、遥か東国に、人目をしのんでひっそりと暮らす白き美姫と小さきその従者の逸話が残るばかりである。