『灰色の世界』

彼女の視界には、赤しか映らなかった。
自分を守って、敵の剣に貫かれ、
「愛しておりました」
と告げて、息絶えた、彼の流した血の赤。
膝の上に乗せた彼の顔は綺麗で、身体はまだ温かくて。
名を呼べば、その目を開いて、笑いかけてくれそうである。

大事な、騎士だった。
王城が陥ちたあの日、親兄弟と共に、命運を共にする覚悟を決めていた王女を連れ出したのは、彼だった。
近衛騎士といえど、まだ新米で、王族と言葉を交わす機会など無かった彼を、父王は呼び出して、娘を護るように願った。
炎に包まれる城内を、強く手を引かれ、二人で脱出した。
左手で王女の手を引き、右手の剣で、次々襲い来る敵を屠って、彼は活路を切り開いた。

全てを失った彼女を、彼は甘やかさなかった。
瓦礫の中で、ひとふりの剣を差し出し、命を絶って死するか、復讐に生きるか、選択を迫った。
後者を選び、王女としての恵まれた人生を棄てた彼女に、彼は剣を教え、生き抜く術を教え。
そしてやがて、特別な感情を抱く事を、教えてくれた。
絶望的な生の中で、たったひとつの、しかし大きな喜びを分かち合った二人には、過去を忘れて、どこかでひっそりと、静かに暮らしてゆく生き方も、あったかもしれない。
だが、故国の仇というものを忘れられなかった彼女の進む道を、彼は認め、共に歩んだ。
「もし」
ひとつの約束を、彼女に求めて。
「私が道半ばで斃れる事があっても、貴女は生きてください。どんなに絶望しても、決して命を絶たないで、生きてください」

彼との約束がある。
彼女は、生き続けなければならない。
だが。
彼を喪って生きる世界に、復讐を果たして、手に入れる未来に、一体どんな希望が在るというのだろう。
彼女の視界から、血の赤が、色褪せてゆく。
全てが、色を失くして、静かに沈黙する。
彼女の瞳に、愛すべき人を永遠に喪った世界は最早、灰色一色にしか、映らなかった。