『サクラサク』

千鳥が淵の桜は満開だった。
皇居へと続く道、靖国の参道、昔誰かが「タマネギ」と唄った武道館の屋根まで、見渡す限り、見事に桜色。
平日だというのに、人出はすごい。
花見客と、彼らから精一杯稼ごうとする屋台が、所狭しとひしめきあう。
武道館では、どこぞの大学の入学式が行われている。まさにサクラサク、といったところか。
そんな光景を、私は、道端のベンチに腰掛けて、ぼんやりと見送っていた。
私を振り返る人はいない。
私に気づく人はいない。
気づく訳が無い。彼らに私は見えるはずが無い。
幸せそうな表情をした彼らは皆、知る由も無いだろう。
つい一週間前まで、ここの桜がまだ五分咲きだった事を。
ましてやその日――北の方で火山が噴火し、次の日には総理大臣が倒れたあの日、この桜並木を見下ろせる病院で、一人の人間がこの世を去った事なんて。

人は生まれた時から、死に向かって生きているとは、誰かが言った言葉だと記憶している。人は必ず老いて死んでいくものだ、醜いと目を逸らすなとは、何時かの授業で聞いた事。
だが、全ての人間が必ずしも「老い」によって死んでいくわけでは無い。
何らかの理由によって、「老い」のプロセスを通り越して死に至る者は、世界中にごまんといる。
私も、その部類に入ってしまっただけだ。
悪性腫瘍。所謂癌だ。
現代医学なら、手術や薬剤によって、末期でも回復する可能性もあるという。
だが、それは本当に一握りの、運の良い人達の例である。
そして幸運は、私のような一般人の前に降りてくる事は無かった。

死の宣告をくらった去年の春は、病院の屋上から、夜桜を見下ろした。
ライトアップされた桜並木、そこを行き交う賑やかな人波は、道路一本挟んですぐ目の前にあるのに、ひどく遠い場所の光景に見えて、思い切り泣いた。
「来年の桜は見られるかどうか怪しい」と言われながら、次の桜も見たいと望んだ。
次こそは、あの人波の中に交じって、花見に興じたいと、そう思っていたのに。
今年に限って、桜前線はやたらと遅かった。
そして、開花を待つ事無く、桜より先に散った命。

ベンチから立ち上がって、その必要も感覚ももう無いけれど、両の足で地面を踏みしめて歩いてみた。
すれ違う人達は私に気づかず、肩はぶつかる事も無くすり抜けた。
降り注ぐ桜吹雪も、私の手のひらを通り抜けていった。
桜並木を間近で見る。
生前あんなに望んだ事が今はできるのに、桜は去年より遠くに見えて、悲しくなって泣いた。

桜は咲く。去年も、今年も、来年も、きっと変わる事無く。
人は来る。その顔ぶれは変わっても、桜を見に訪れる人が絶える事は無い。
私達は、この満開の桜の下にいる「大勢」の中の一人。
その一人がどういう思いで桜を見ているかなど、ましてその人間の生き死になんて、他の誰も知ったものでは無い。ひどくちっぽけな事なのだ。

東京の桜は、もうすぐ終わる。