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2026年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
#アルファズル戦記 Web公開25周年記念本、仮タイトルがほぼそのままタイトルになった、『アルファズルるぶ』作成中。
ほとんど設定説明だから、文章だけにするつもりだったんだけど、どこもかしこも中途半端に空白ができてしまうので、過去絵を引っ張り出し……まだ足りない……。
新規で着色までできないので、三枚はラフでいきます。あとはiPadの中を彷徨って掘り出してきた!!
ほとんど設定説明だから、文章だけにするつもりだったんだけど、どこもかしこも中途半端に空白ができてしまうので、過去絵を引っ張り出し……まだ足りない……。
新規で着色までできないので、三枚はラフでいきます。あとはiPadの中を彷徨って掘り出してきた!!
2026年8月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する
#語彙トレ2026 『この大地の上で』08/11~08/20まとめを、遅ればせながらしました。
語彙トレで連載する前のゴタゴタを、やっと回収するターンでした。
前→716
次→727
08/11-摩擦
「『元老院』は、時雨が言ってた通り、タヌキジジイどもの巣窟だよ。ヴァイシャを完全になめくさってる。草原諸国とジャオウの摩擦で火が起きるのは、時間の問題だね」
アナベラさんが、ため息ついて、お手上げ、ってばかりに、両手、掲げる。
それから、光さん、エクセルと一緒に、時雨とわたしのこと、見た。
「治められるとしたら、あんたたちだよ。各国の重要人物が出てきたら、あのジジイどもも、黙らざるを得ない」
やっぱり。そうなる、よね。
ラグナール兵は、わたしの言うこと、聞かない、あのひとが、怖いから。
でも、時雨と一緒に、草原諸国と交渉は、できるはず。
08/12-上古
「ジャオウとラグナール、草原諸国は、かつて約を交わしていた」
半月寝っぱなしで、自分の身体、って感覚が、戻らないのかな。ふらふらしてる時雨に、エクセルが肩、貸して、立たせる。
「互いに不可侵であること。だが、いずれかが約を破った時は、残る勢力が手を組み立ち向かうこと。恭司様が言っていた」
「んな上古に、納得するかね? 特に『元老院』は、あんたを表舞台に出したくなさそうだけど」
アナベラさんが、眉根、寄せるけど。
「納得させる」
時雨は、きっぱりと言い切った。
『じさまどもにはもう、ご隠居いただく時じゃ』
ジャオウ語で、にやりと、付け足して。
08/13-忘恩
ソフィアに支えられ、砦の作戦室へ向かう。
「草原諸国は、ジャオウの鎖国に口を出さずにきた」
ヴァイシャといったか。草原諸国の盟主は『元老院』に怯まず言い返しているようだ。
「それを無視して『ジャオウに従え』は、忘恩ではないか?」
『元老院』が言い返せずに言葉に詰まってるのがわかる。いい気味だ。
お前らはこれから、全員、奈落送りにしてやる。恭司様と細、そして死んでいったジャオウとホクナの民全員の仇を、俺が取る。
『じさまども』
作戦室に踏み込んだ俺は多分、鬼のような形相で笑っていただろう。
『お久しゅうございます』
爺どもが、一斉に凍りついた。
08/14-萎む
『元「星の忍」もおるかたがたが、太守のおられんとこでジャオウの代表面して虚勢張るとは、皇本家への反逆と取れるが?』
「黙れ! 跡取りでありながらジャオウの体制に逆らおうとした馬鹿息子の飼い犬が!」
ほら、少し煽れば本性を出す。じさまどもはそういう連中だった。見切れないで、細が恭司様を弑したと疑った自分を恥じる。
「時雨は、ジャオウの『星の忍』としても、ホクナの嫡男としても、太守様を守ろうと最後まで戦いました」
ソフィアが『ティアナ皇女』の顔をして、凛と言い切る。
「その間、あなたがたは、何をしていましたか? ただ恐怖に萎んで、逃げていませんでしたか?」
08/15-豊穣
「だ、黙れ!」
爺どものひとりが声を張り上げる。
「ジャオウの豊穣な聖地を狙ってきた、ホクナの腐れどもと、ラグナールの侵略者が、揃いも揃って!」
そして奴は、自分達の背後で縮こまってた少女を振り返る。
「高砂様! ジャオウ新太守として、こやつらの斬首を命じてくだされ!」
「ぼ、ぼくは……」
案の定、皇野高砂は縮こまって、しどもどしている。お飾りの太守だ。
「あなたは我々の意図を口にしていれば良いのです!」
怒声に、高砂がびくりとすくみあがった時。
「高砂」
落ち着き払った声が、作戦室に凛と響く。
ああ。エクセルとアナベラが、やってくれたな?
08/16-静寂
「高砂、もう良いのです」
高砂の母親は、穏やかに我が子に語りかける。
「『元老院』の首魁たる水原長音は、草原諸国の裏切り者、クラナハ・ニネヴェに殺られたんでしょ? 高砂より指揮権のある奴はいないはずだけど?」
アナベラの挑発に、作戦室が静寂に包まれた。
ソフィアが俺を見上げる。そうだな、今、やるしかない。
「誰のせいだとか、責任を押し付け合っている場合じゃあない。ゼノスに立ち向かう気概のある同志が、手を組む時だ」
俺の言葉に、ヴァイシャが興味深そうに眉を跳ね上げる。
「お前は、この爺どもよりは、話が通じそうだな」
『元老院』はすっかり萎縮した。
08/17-錯覚
『元老院』の爺どもは、錯覚でも見ているかのように、揃ってぽかんと口を開けていた。そりゃそうだ。場の主導権をあっという間に持っていかれたんだから。
「ついでに、皇野の奥方が、証言してくれたぜ」
エクセルが腕組みしてにやりと笑う。
「皇本恭司殿暗殺の真犯人について、旦那から聞いたとな」
まじか!? 叫びそうになったところに。
「ハッタリ」
光が小声で囁いた。
「でも、高砂の父君が、水原の尻尾を掴んで、幽閉されたのは事実。『元老院』を崩せる」
思わず、にやりと笑ってしまうのを自覚する。
ああ、恭司様、細。
やっと、あなたたちを陥れた奴らを排除できる。
08/18-翠黛
『じさまどもには、もう大人しゅうしといてもらいましょうか』
わざとジャオウ語で、とどめを刺す。意気消沈した『元老院』は、劾たちホクナの戦士たちに引っ立てられて、作戦室を出ていった。
「助かった」
ヴァイシャが、薄い笑みを見せる。
「私では、あのくそ爺どもにやりこめられるところだった」
そして、俺とソフィア、高砂、エクセル、アナベラと順に見渡して、笑みを消し、神妙な表情になる。
「ラグナールは、マアサルの翠黛を越えて、草原諸国を侵略してきた。その軍を率いていたのは、ラグナールに捕らわれ、行方不明になっていた、私の許婚、クラナハ・ニネヴェだ」
08/19-琥珀
ヴァイシャは、琥珀色の瞳を憂鬱に曇らせ、語り続ける。
「何故、クラナハがラグナールについたかはわからない。だが、草原諸国の多くの氏族が滅びかけ、奴の妹のエコーも視力を失った。盟主氏族の嫡子といえど、私は各氏族すべての信頼を得ている訳ではない」
俺と同じか年下だろうに、背負っているものが重すぎる。クラナハという男は、自分の許婚に苦労を押しつけてまで、ラグナールを大陸の覇者にしたいのか?
「わたしを、氏族を説得する、材料にできませんか」
ソフィアが不意に言い出したので、ぎょっとして見下ろす。
「ラグナールへの盾として、わたしを、使ってください」
08/20-叙情
「わたしは、ティアナ・ラグナール。ゼノスの妹です」
ソフィアが覚悟を決めて、草原諸国に償おうとしているのがわかる。
「やめ……」「無理をするものではない」
俺が制止するより早く、ヴァイシャが首を横に振った。
「人質を取って反撃するなど、フェルガナの叙情詩にも乗せられぬ。むしろ、私から皆に助力を願いたいくらいだ」
「……あんた、めちゃくちゃ人間できてるな」
思わず素直な感想がこぼれると、ヴァイシャが照れくさそうにはにかんだ。こういうところは年相応だな。
「あんまり持ち上げると、嫉妬する奴がいるぞ」
エクセルに耳打ちされた。まずい。確かに視線を感じる。畳む
#アルファズル戦記
#この大地の上で
語彙トレで連載する前のゴタゴタを、やっと回収するターンでした。
前→716
次→727
08/11-摩擦
「『元老院』は、時雨が言ってた通り、タヌキジジイどもの巣窟だよ。ヴァイシャを完全になめくさってる。草原諸国とジャオウの摩擦で火が起きるのは、時間の問題だね」
アナベラさんが、ため息ついて、お手上げ、ってばかりに、両手、掲げる。
それから、光さん、エクセルと一緒に、時雨とわたしのこと、見た。
「治められるとしたら、あんたたちだよ。各国の重要人物が出てきたら、あのジジイどもも、黙らざるを得ない」
やっぱり。そうなる、よね。
ラグナール兵は、わたしの言うこと、聞かない、あのひとが、怖いから。
でも、時雨と一緒に、草原諸国と交渉は、できるはず。
08/12-上古
「ジャオウとラグナール、草原諸国は、かつて約を交わしていた」
半月寝っぱなしで、自分の身体、って感覚が、戻らないのかな。ふらふらしてる時雨に、エクセルが肩、貸して、立たせる。
「互いに不可侵であること。だが、いずれかが約を破った時は、残る勢力が手を組み立ち向かうこと。恭司様が言っていた」
「んな上古に、納得するかね? 特に『元老院』は、あんたを表舞台に出したくなさそうだけど」
アナベラさんが、眉根、寄せるけど。
「納得させる」
時雨は、きっぱりと言い切った。
『じさまどもにはもう、ご隠居いただく時じゃ』
ジャオウ語で、にやりと、付け足して。
08/13-忘恩
ソフィアに支えられ、砦の作戦室へ向かう。
「草原諸国は、ジャオウの鎖国に口を出さずにきた」
ヴァイシャといったか。草原諸国の盟主は『元老院』に怯まず言い返しているようだ。
「それを無視して『ジャオウに従え』は、忘恩ではないか?」
『元老院』が言い返せずに言葉に詰まってるのがわかる。いい気味だ。
お前らはこれから、全員、奈落送りにしてやる。恭司様と細、そして死んでいったジャオウとホクナの民全員の仇を、俺が取る。
『じさまども』
作戦室に踏み込んだ俺は多分、鬼のような形相で笑っていただろう。
『お久しゅうございます』
爺どもが、一斉に凍りついた。
08/14-萎む
『元「星の忍」もおるかたがたが、太守のおられんとこでジャオウの代表面して虚勢張るとは、皇本家への反逆と取れるが?』
「黙れ! 跡取りでありながらジャオウの体制に逆らおうとした馬鹿息子の飼い犬が!」
ほら、少し煽れば本性を出す。じさまどもはそういう連中だった。見切れないで、細が恭司様を弑したと疑った自分を恥じる。
「時雨は、ジャオウの『星の忍』としても、ホクナの嫡男としても、太守様を守ろうと最後まで戦いました」
ソフィアが『ティアナ皇女』の顔をして、凛と言い切る。
「その間、あなたがたは、何をしていましたか? ただ恐怖に萎んで、逃げていませんでしたか?」
08/15-豊穣
「だ、黙れ!」
爺どものひとりが声を張り上げる。
「ジャオウの豊穣な聖地を狙ってきた、ホクナの腐れどもと、ラグナールの侵略者が、揃いも揃って!」
そして奴は、自分達の背後で縮こまってた少女を振り返る。
「高砂様! ジャオウ新太守として、こやつらの斬首を命じてくだされ!」
「ぼ、ぼくは……」
案の定、皇野高砂は縮こまって、しどもどしている。お飾りの太守だ。
「あなたは我々の意図を口にしていれば良いのです!」
怒声に、高砂がびくりとすくみあがった時。
「高砂」
落ち着き払った声が、作戦室に凛と響く。
ああ。エクセルとアナベラが、やってくれたな?
08/16-静寂
「高砂、もう良いのです」
高砂の母親は、穏やかに我が子に語りかける。
「『元老院』の首魁たる水原長音は、草原諸国の裏切り者、クラナハ・ニネヴェに殺られたんでしょ? 高砂より指揮権のある奴はいないはずだけど?」
アナベラの挑発に、作戦室が静寂に包まれた。
ソフィアが俺を見上げる。そうだな、今、やるしかない。
「誰のせいだとか、責任を押し付け合っている場合じゃあない。ゼノスに立ち向かう気概のある同志が、手を組む時だ」
俺の言葉に、ヴァイシャが興味深そうに眉を跳ね上げる。
「お前は、この爺どもよりは、話が通じそうだな」
『元老院』はすっかり萎縮した。
08/17-錯覚
『元老院』の爺どもは、錯覚でも見ているかのように、揃ってぽかんと口を開けていた。そりゃそうだ。場の主導権をあっという間に持っていかれたんだから。
「ついでに、皇野の奥方が、証言してくれたぜ」
エクセルが腕組みしてにやりと笑う。
「皇本恭司殿暗殺の真犯人について、旦那から聞いたとな」
まじか!? 叫びそうになったところに。
「ハッタリ」
光が小声で囁いた。
「でも、高砂の父君が、水原の尻尾を掴んで、幽閉されたのは事実。『元老院』を崩せる」
思わず、にやりと笑ってしまうのを自覚する。
ああ、恭司様、細。
やっと、あなたたちを陥れた奴らを排除できる。
08/18-翠黛
『じさまどもには、もう大人しゅうしといてもらいましょうか』
わざとジャオウ語で、とどめを刺す。意気消沈した『元老院』は、劾たちホクナの戦士たちに引っ立てられて、作戦室を出ていった。
「助かった」
ヴァイシャが、薄い笑みを見せる。
「私では、あのくそ爺どもにやりこめられるところだった」
そして、俺とソフィア、高砂、エクセル、アナベラと順に見渡して、笑みを消し、神妙な表情になる。
「ラグナールは、マアサルの翠黛を越えて、草原諸国を侵略してきた。その軍を率いていたのは、ラグナールに捕らわれ、行方不明になっていた、私の許婚、クラナハ・ニネヴェだ」
08/19-琥珀
ヴァイシャは、琥珀色の瞳を憂鬱に曇らせ、語り続ける。
「何故、クラナハがラグナールについたかはわからない。だが、草原諸国の多くの氏族が滅びかけ、奴の妹のエコーも視力を失った。盟主氏族の嫡子といえど、私は各氏族すべての信頼を得ている訳ではない」
俺と同じか年下だろうに、背負っているものが重すぎる。クラナハという男は、自分の許婚に苦労を押しつけてまで、ラグナールを大陸の覇者にしたいのか?
「わたしを、氏族を説得する、材料にできませんか」
ソフィアが不意に言い出したので、ぎょっとして見下ろす。
「ラグナールへの盾として、わたしを、使ってください」
08/20-叙情
「わたしは、ティアナ・ラグナール。ゼノスの妹です」
ソフィアが覚悟を決めて、草原諸国に償おうとしているのがわかる。
「やめ……」「無理をするものではない」
俺が制止するより早く、ヴァイシャが首を横に振った。
「人質を取って反撃するなど、フェルガナの叙情詩にも乗せられぬ。むしろ、私から皆に助力を願いたいくらいだ」
「……あんた、めちゃくちゃ人間できてるな」
思わず素直な感想がこぼれると、ヴァイシャが照れくさそうにはにかんだ。こういうところは年相応だな。
「あんまり持ち上げると、嫉妬する奴がいるぞ」
エクセルに耳打ちされた。まずい。確かに視線を感じる。畳む
#アルファズル戦記
#この大地の上で
#語彙トレ2026 『この大地の上で』08/01~08/10をまとめました。
第二部開始です。
前→707
次→721
08/01-変容
ジャオウ陥落から、半月が過ぎた。
その、たった半月の間に、東の大陸は、大きな変容を、見せた。
鎖国とはいえ、壁になっていたジャオウを失って、都市同盟にも、ラグナール軍が攻め込んだ。
どこまで侵略されたか。今のわたしたちには、わからない。
ここは、草原諸国南果ての砦、ルーマン。
ラグナール軍に、最初に侵略された、草原諸国のひとびとが、反撃の機会をうかがって、生き残りを、集めてる。
そこに、ジャオウとホクナの生き残りを連れた、アナベラさんの隊商、つまり、わたしたちが、なだれこんだ。
砦は混乱してるけど。
草原を渡る風は、他人事の、ようで。
08/02-予言
「事後予言の成就ではないか!」
砦の廊下を、通った時に、いきりたった老人の怒鳴り声、聞こえた。
「我らが草原の民の予言士は、ジャオウの崩壊を見通していた。差し伸べようとした手を取らなかったのは、そちらの落ち度では?」
少し、部屋の中が、見える。わたしとそう歳が変わらなそうな、茶髪の女の子。彼女が、草原諸国の盟主、ヴァイシャ・フェルガナ。
そして、彼女に食いついてるのは、ジャオウの『元老院』の生き残り。
時雨の、仇たちが、のうのうと、生きている。
運び込まれた、瀕死の時雨を見るなり、
『厄介者が生きていたのか』
って、舌打ち、した。
08/03-隠遁
ジャオウの『元老院』は、隠遁しなかった元忍で、構成されているらしい。勿論、『星の忍』も何人か、入ってる。何人か、なのは、『星の忍』の死亡率が、かなり、高いから。
細さんが言ってた、『元老院』でも、偉いひと、水原長音、いるか、訊いてみたら。みんな、苦いもの飲んだような顔して、黙り込んだ。
あ、死んだな。暗殺。わたしにも、わかった。
というか、シラナミの民も、辺境のひとたちも、たくさんたくさん、犠牲になったのに。なんで、『元老院』は、こんなに生きてるんだろう。
時雨が知ったら、めちゃくちゃ、怒るだろうな。
考えながら、砦の一室に、入った。
08/04-掠れる
「……よ」
エクセルが、普段の飄々さが嘘みたいな、暗い顔して、こっち向いて、手を挙げる。視線を戻す先には、彼の、たったひとりの、弟。
時雨が、寝台の上で、眠ってる。
ジャオウが陥ちた、あの日。アナベラさんに、食いついて、シラナミに戻ってもらった。
城への道の真ん中で、ひどい傷と火傷で、動かなくなってる時雨を見つけた時は、心臓、止まるかと思った。
その場で応急に、エリオンの力、使って。その後も、何度も、癒しの力、使った。
おかげで傷は癒えたけど、時雨は、目を覚まさないまま。
「時雨」
掠れる声で、寝台に取りすがる。
「お寝坊さん。起きてよ」
08/05-白日
「まあ、こいつが目を覚ますまで、俺達は大人しくするしかねえ」
時雨にすがりつくわたしに、エクセルが、声、かけてくる。
「ジャオウの『元老院』のやらかしを、白日の下に晒すには、こいつの口から全部言わせないと、駄目だ」
ジャオウ太守跡継ぎの養子で、ホクナの嫡男。たしかに、その立場は、ひとを、動かす。
「そんな呑気なこと言って、その人が起きるのを待つの? その間に『元老院』は、自分たちの失態を消すために先手を打つわよ」
突然聞こえてきた、女性の声に、わたしと、エクセルは、驚いて振り向く。
「実際、私が舞岡細の『流星』を受け継がされたわ」
08/06-糠雨
東方には、珍しい。赤みがかった黒髪を、ふたつに結わいてる、女の子。ジャオウ式の服、着てるから、ジャオウ人、なんだろう。
「あたしは嵯峨光(さが ひかる)。父親が『星の忍』だったから、因縁を継がされた形ね」
「『星の忍』は公式処刑かなんかか?」
エクセルが、ちょっと、皮肉っぽく言う。途端に光さんが、むっとした顔、した。
「ホクナの側室の子は、お口がよろしくないようで」
あ、これ。似た者同士の同族嫌悪、起きるやつだ。
窓の外では糠雨がしとしと降ってる。エクセルと光さんは、お互い、睨み合ってる。
「……どういう状況だよ、これ」
その時、時雨の、声が。
08/07-輪廻
時雨が。うっすらと。目、開けてる。
わたしの力を使って、傷が癒えても、『目覚めるかどうか』って、医者も匙投げた、時雨が、起きた。
思わず、わっ、て泣き出して。時雨に、すがりついた。
輪廻って、いうんだっけ。天上から地獄まで彷徨うの。ずっと、地獄でもいい。時雨が生きていてくれるなら、わたしは、エリオンの力、時雨のためだけに、使ってもいい。
「……とりあえずさ」
時雨の手が、ぽんぽんと、わたしの背中を叩く。
「現状を説明してもらっていいか? なんで嵯峨良人(りょうじん)とこの跳ねっ返りまでいるんだよ」
「あんた、恭司様がいないと相変わらずの言い方!」
08/08-浅見
頬を膨らせる、光さんをよそに、エクセルが、時雨に説明した。
シラナミは陥ちたこと。アナベラさんの機転で、生き残りは、草原諸国へ、逃げてきたこと。
「劾も無事だ。ソフィアの力と、あいつ自身の異様なしぶとさで、もう戦える」
それを聞いた時雨は、「そうか、良かった」って薄く笑った。
「良くない」
光さんが、怒った様子で、拳、握り締める。
「『元老院』はほとんど生きてんのよ。あいつらの浅見で、皇本家の傍流が、『宿星』の『星の忍』になって、お飾りの太守候補にされてる」
時雨が、表情、険しくして、飛び起きようとして、失敗する。
「皇野高砂……か!?」
08/09-誘惑
「高砂(たかさご)はまだ十二とかだろう」
「おおかた、『元老院』が、『お母様に会えますよ』とか誘惑したんでしょ」
時雨と光さんの話に、わたしと、エクセルは、顔、見合わせる。
あ、大体読めた。
傍流が、本家に反逆しないよう、高砂って子のお母さん、人質に取ってた。それを盾にして、彼? 彼女? どっちかわからないけど、高砂を誘導した。
「で」
エクセルが、眉間に皺、寄せる。
「こっち側に引き込めそうなのか?」
「父さんが生きてたら、『元老院』を出し抜けたんたけどねえ」
「俺も高砂にはほとんど会ったことが無い」
光さんと時雨が、同時にため息、ついた。
08/10-均衡
「とにかく、『元老院』に高砂を握らせとくのはまずい。草原諸国との協力の均衡すら壊す」
時雨が、険しい顔して、唸るように洩らす。
「草原諸国には、ジャオウ・ホクナ連合と対等で接しないとやばい。奴らは氏族の繋がりを重んじる、絆の民だからな。反撃されたらひとたまりもねえぞ」
エクセルが、腕組みして、目を閉じるけど。
「それが、草原諸国も揺れてるっぽいんだよねえ」
新たに場に現れたのは、アナベラさんだ。
「どうも、盟主のフェルガナ族の嫡子ヴァイシャの許婚が、草原諸国をラグナールに売ったらしい。それで両氏族の長が死んで、ヴァイシャが今、長に立ってるんだって」畳む
#アルファズル戦記
#この大地の上で
第二部開始です。
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08/01-変容
ジャオウ陥落から、半月が過ぎた。
その、たった半月の間に、東の大陸は、大きな変容を、見せた。
鎖国とはいえ、壁になっていたジャオウを失って、都市同盟にも、ラグナール軍が攻め込んだ。
どこまで侵略されたか。今のわたしたちには、わからない。
ここは、草原諸国南果ての砦、ルーマン。
ラグナール軍に、最初に侵略された、草原諸国のひとびとが、反撃の機会をうかがって、生き残りを、集めてる。
そこに、ジャオウとホクナの生き残りを連れた、アナベラさんの隊商、つまり、わたしたちが、なだれこんだ。
砦は混乱してるけど。
草原を渡る風は、他人事の、ようで。
08/02-予言
「事後予言の成就ではないか!」
砦の廊下を、通った時に、いきりたった老人の怒鳴り声、聞こえた。
「我らが草原の民の予言士は、ジャオウの崩壊を見通していた。差し伸べようとした手を取らなかったのは、そちらの落ち度では?」
少し、部屋の中が、見える。わたしとそう歳が変わらなそうな、茶髪の女の子。彼女が、草原諸国の盟主、ヴァイシャ・フェルガナ。
そして、彼女に食いついてるのは、ジャオウの『元老院』の生き残り。
時雨の、仇たちが、のうのうと、生きている。
運び込まれた、瀕死の時雨を見るなり、
『厄介者が生きていたのか』
って、舌打ち、した。
08/03-隠遁
ジャオウの『元老院』は、隠遁しなかった元忍で、構成されているらしい。勿論、『星の忍』も何人か、入ってる。何人か、なのは、『星の忍』の死亡率が、かなり、高いから。
細さんが言ってた、『元老院』でも、偉いひと、水原長音、いるか、訊いてみたら。みんな、苦いもの飲んだような顔して、黙り込んだ。
あ、死んだな。暗殺。わたしにも、わかった。
というか、シラナミの民も、辺境のひとたちも、たくさんたくさん、犠牲になったのに。なんで、『元老院』は、こんなに生きてるんだろう。
時雨が知ったら、めちゃくちゃ、怒るだろうな。
考えながら、砦の一室に、入った。
08/04-掠れる
「……よ」
エクセルが、普段の飄々さが嘘みたいな、暗い顔して、こっち向いて、手を挙げる。視線を戻す先には、彼の、たったひとりの、弟。
時雨が、寝台の上で、眠ってる。
ジャオウが陥ちた、あの日。アナベラさんに、食いついて、シラナミに戻ってもらった。
城への道の真ん中で、ひどい傷と火傷で、動かなくなってる時雨を見つけた時は、心臓、止まるかと思った。
その場で応急に、エリオンの力、使って。その後も、何度も、癒しの力、使った。
おかげで傷は癒えたけど、時雨は、目を覚まさないまま。
「時雨」
掠れる声で、寝台に取りすがる。
「お寝坊さん。起きてよ」
08/05-白日
「まあ、こいつが目を覚ますまで、俺達は大人しくするしかねえ」
時雨にすがりつくわたしに、エクセルが、声、かけてくる。
「ジャオウの『元老院』のやらかしを、白日の下に晒すには、こいつの口から全部言わせないと、駄目だ」
ジャオウ太守跡継ぎの養子で、ホクナの嫡男。たしかに、その立場は、ひとを、動かす。
「そんな呑気なこと言って、その人が起きるのを待つの? その間に『元老院』は、自分たちの失態を消すために先手を打つわよ」
突然聞こえてきた、女性の声に、わたしと、エクセルは、驚いて振り向く。
「実際、私が舞岡細の『流星』を受け継がされたわ」
08/06-糠雨
東方には、珍しい。赤みがかった黒髪を、ふたつに結わいてる、女の子。ジャオウ式の服、着てるから、ジャオウ人、なんだろう。
「あたしは嵯峨光(さが ひかる)。父親が『星の忍』だったから、因縁を継がされた形ね」
「『星の忍』は公式処刑かなんかか?」
エクセルが、ちょっと、皮肉っぽく言う。途端に光さんが、むっとした顔、した。
「ホクナの側室の子は、お口がよろしくないようで」
あ、これ。似た者同士の同族嫌悪、起きるやつだ。
窓の外では糠雨がしとしと降ってる。エクセルと光さんは、お互い、睨み合ってる。
「……どういう状況だよ、これ」
その時、時雨の、声が。
08/07-輪廻
時雨が。うっすらと。目、開けてる。
わたしの力を使って、傷が癒えても、『目覚めるかどうか』って、医者も匙投げた、時雨が、起きた。
思わず、わっ、て泣き出して。時雨に、すがりついた。
輪廻って、いうんだっけ。天上から地獄まで彷徨うの。ずっと、地獄でもいい。時雨が生きていてくれるなら、わたしは、エリオンの力、時雨のためだけに、使ってもいい。
「……とりあえずさ」
時雨の手が、ぽんぽんと、わたしの背中を叩く。
「現状を説明してもらっていいか? なんで嵯峨良人(りょうじん)とこの跳ねっ返りまでいるんだよ」
「あんた、恭司様がいないと相変わらずの言い方!」
08/08-浅見
頬を膨らせる、光さんをよそに、エクセルが、時雨に説明した。
シラナミは陥ちたこと。アナベラさんの機転で、生き残りは、草原諸国へ、逃げてきたこと。
「劾も無事だ。ソフィアの力と、あいつ自身の異様なしぶとさで、もう戦える」
それを聞いた時雨は、「そうか、良かった」って薄く笑った。
「良くない」
光さんが、怒った様子で、拳、握り締める。
「『元老院』はほとんど生きてんのよ。あいつらの浅見で、皇本家の傍流が、『宿星』の『星の忍』になって、お飾りの太守候補にされてる」
時雨が、表情、険しくして、飛び起きようとして、失敗する。
「皇野高砂……か!?」
08/09-誘惑
「高砂(たかさご)はまだ十二とかだろう」
「おおかた、『元老院』が、『お母様に会えますよ』とか誘惑したんでしょ」
時雨と光さんの話に、わたしと、エクセルは、顔、見合わせる。
あ、大体読めた。
傍流が、本家に反逆しないよう、高砂って子のお母さん、人質に取ってた。それを盾にして、彼? 彼女? どっちかわからないけど、高砂を誘導した。
「で」
エクセルが、眉間に皺、寄せる。
「こっち側に引き込めそうなのか?」
「父さんが生きてたら、『元老院』を出し抜けたんたけどねえ」
「俺も高砂にはほとんど会ったことが無い」
光さんと時雨が、同時にため息、ついた。
08/10-均衡
「とにかく、『元老院』に高砂を握らせとくのはまずい。草原諸国との協力の均衡すら壊す」
時雨が、険しい顔して、唸るように洩らす。
「草原諸国には、ジャオウ・ホクナ連合と対等で接しないとやばい。奴らは氏族の繋がりを重んじる、絆の民だからな。反撃されたらひとたまりもねえぞ」
エクセルが、腕組みして、目を閉じるけど。
「それが、草原諸国も揺れてるっぽいんだよねえ」
新たに場に現れたのは、アナベラさんだ。
「どうも、盟主のフェルガナ族の嫡子ヴァイシャの許婚が、草原諸国をラグナールに売ったらしい。それで両氏族の長が死んで、ヴァイシャが今、長に立ってるんだって」畳む
#アルファズル戦記
#この大地の上で
8月になりました。
橘紀里さんご主催のブルスカ企画 #語彙トレ2026 も、今のところ、今日までの全お題を書いております。
1ヶ月ずれてますが、7月に『この大地の上で』第一部が一旦終わりましたので、その前に書いていた『灰になるまで君を呼ぶ』、『雪が解けて春になる』番外編も込みで、人物紹介と、一気読み用まとめを作りました。
それぞれ別の話ですが、『アルファズル戦記』というひとつのシリーズの別大陸の話なので、語彙トレのレギュレーションは満たしているだろうと、ぽつぽつ書きためて、ここまで来ました。
お盆の頃に~ってお話があったので、作ろう作ろう思ってたら、もう来週お盆やんけ! ということで、慌てて作っています。
雪春はほとんど登場人物の名前を出していないので、誰やねんお前状態ですが、無いよりはいい! の精神でやりました。
以下、人物紹介と、全文(この上は長いので、10日ごとのまとめ記事への目次)への目次を作りましたので、夏休みの時間潰しに目を通していただけると幸いです。
708 『灰になるまで君を呼ぶ』人物紹介
711 『灰になるまで君を呼ぶ』本文
709 『雪が解けて春になる』人物紹介
712 『雪が解けて春になる』番外編
710 『この大地の上で』人物紹介
713 『この大地の上で』目次
#アルファズル戦記
#灰になるまで君を呼ぶ
#雪が解けて春になる
#この大地の上で
#語彙トレまとめ
橘紀里さんご主催のブルスカ企画 #語彙トレ2026 も、今のところ、今日までの全お題を書いております。
1ヶ月ずれてますが、7月に『この大地の上で』第一部が一旦終わりましたので、その前に書いていた『灰になるまで君を呼ぶ』、『雪が解けて春になる』番外編も込みで、人物紹介と、一気読み用まとめを作りました。
それぞれ別の話ですが、『アルファズル戦記』というひとつのシリーズの別大陸の話なので、語彙トレのレギュレーションは満たしているだろうと、ぽつぽつ書きためて、ここまで来ました。
お盆の頃に~ってお話があったので、作ろう作ろう思ってたら、もう来週お盆やんけ! ということで、慌てて作っています。
雪春はほとんど登場人物の名前を出していないので、誰やねんお前状態ですが、無いよりはいい! の精神でやりました。
以下、人物紹介と、全文(この上は長いので、10日ごとのまとめ記事への目次)への目次を作りましたので、夏休みの時間潰しに目を通していただけると幸いです。
708 『灰になるまで君を呼ぶ』人物紹介
711 『灰になるまで君を呼ぶ』本文
709 『雪が解けて春になる』人物紹介
712 『雪が解けて春になる』番外編
710 『この大地の上で』人物紹介
713 『この大地の上で』目次
#アルファズル戦記
#灰になるまで君を呼ぶ
#雪が解けて春になる
#この大地の上で
#語彙トレまとめ
#語彙トレ2026 前半まとめ②
『雪が解けて春になる』番外編全文
目次→714
04/01-鮮烈
『私はこの世界「アルファズル」で起きた、大きな戦乱と、その先にある始祖種と神の戦いを、生涯を懸けて、物語として記すことにした。
その為に、東西南北四つの大陸を旅し、現地のひとびとから伝説を語り聞いて、懸命に書き留めた。
北の大陸フィムブルヴェートで聞いた伝承も、始祖種ダイナソアの竜兵と人間の王子の愛の物語は、私の心に鮮烈な印象を焼きつけた。
しかし、それは本伝「雪が解けて春になる」に書くとして、この番外編では、本伝で語られることの無い小さな出来事を記してゆこう。』
(シフィル・リードリンガー著『アルファズル戦記 異聞録』)
04/02-呪文
呪文のように繰り返された。
「そなたは英雄リヴァティの正統なる子孫。生まれながらにしての王の器なのですよ」
だから傲然とあった。なのに格下の連中は自分を恐れて離れていった。
「下々の顔色など疑わなくて良いのです。失礼な者は切り捨てなさい」
言われた通りにした。誰も自分をまっすぐに見なくなった。正面から見てくるのは、弟だけになった。
「あのような下賎な血を引く者と、そなたが、対等などとあり得ないのです」
心地の良い呪いの言葉にすがった。
結果、母は毒の入った茶を飲んでひっくり返った。
命じたのは自分だ。
ああ、やっと解き放たれる。
04/03-追憶
母の祖国へ、一度だけ行ったことがある。叔母を埋葬するためだ。彼女が悪意を受け続けた国に弔うのは嫌だと、母が言ったのだ。
薄ピンクの桜が舞う中、母方の祖父が立ち会った。叔母は庶子で皇女とは認められなかったが、祖父はきちんとこのひととその母親を愛していたのだと思い知った。
墓石の前で、はなをすすり上げながら泣く、幼い従弟の手を握り、この子は自分が守らないといけないと誓った。自分に優しかった叔母の分まで。
なのに。
兄の凶刃の前に、従弟は桜のように儚く散った。
追憶の中で、あの子は今も朗らかに笑っているのに、もう握る手はここに無い。
04/04-摩耗
「お前は本当に馬に乗るのが下手だな」
親友兼相方のマイケルに馬上から見下ろされて、ニーザは軽く舌打ちした。
「なんでお前はそんなしれっと乗りこなしているんだ」
主君のヒオウ王子さえ、やんちゃな馬に振り回され、手こずっている。ニーザに至っては、何回振り落とされたかわからない。心が摩耗して折れても仕方無いくらいだ。
なのに、このなんでもそつなくこなす幼馴染は、主君の先すら超えて、馬をどうどうとなだめている。
『マイケルは本当にすごいな』
お世辞でもなんでもなく、あるじは言うのだ。
『ニーザも。よく諦めない』
本当に、悪気が無いから、困ったひとだ。
04/05-逆説
「おはよう、コウ」
やたら野太い声が聞こえる。自分をその名で呼ぶ者は、ひとりしかいない。
振り返ると、筋骨隆々として、自分より背の高くなった、銀の髪に金の瞳の竜兵が、軽々と自分を抱き上げた。
「ゼファー!?」
驚いた自分の声が高い。
「はは、コウは可愛いね」
言われて自分の身をあらためる。髪が伸びて、男には無い凹凸がある。
悲鳴をあげたところで、寝台の上にがばりと起き上がって目が覚めた。
「願望が逆説的に叶った夢じゃないですか」
あまりにもあんまりだったので、軍師にこぼしたら、彼は腕組みして『そんな話を俺にするな』とばかりにうんざりしていた。
04/06-桎梏
『隷属国の娘の子が、王子面をして』
血筋を尊ぶ連中は、そう言って嗤った。
『あなた様こそが、この国の希望なのです』
民は兄のいない隙に、すがりついてきた。
どう足掻いても自由にならない、桎梏で雁字搦めにされた人生で終わるのだと思っていた。
それなのに。
「コウ!」
君が私のもうひとつの名前を呼ぶ度に、どれだけ嬉しくなったことか。その笑顔に、磨り減った精神をどれだけ救われたことか。
だから、君の力になろう。若くして大陸の命運を背負った君の槍に、盾になって、守り抜こう。
幼い頃、誰かを守ることの大切さを教えてくれた、君のために、この命を懸ける。
04/07-沈殿
母の言葉は呪いだった。
『神にもなれる血筋なのに、兄の役にすら立てないとは、そなたは失敗作であることよ』
『ああ、ああ、あの女の息子のようにうざったい。その顔をわたくしに見せるでない』
『おまえなぞ、産むのではなかった』
自分勝手な言葉は、わたしの心の泉に、毒を沈殿させていった。
王宮の奥に押し込められて、使用人にも無視されて、泣いてばかりの日々。
『ぴいぴい泣くな。うっとうしい』
そうぶっきらぼうに言いながら、白い薔薇を手折って差し出した兄の顔は、逆光でどういう表情をしているかわからなかった。
だけど、たしかに彼はわたしの太陽になった。
04/08-昏迷
この大陸は、ひとを『鬼』にする『霧』に覆われている。いつからそうなのかわからない。ただ、かつて外の大陸との交流はあり、『霧』によってそれが全て遮断されたのはたしかだ。
僕の叔母も、水を汲みに行って、うっかり『霧』に触れてしまった。叔父がどんなに呼びかけても、昏迷に陥ったように応じず、虚ろな顔は次第次第に白く変わっていった。
『娘にこんな母親を見せるくらいなら』
叔父は剣を持ち出し、反応しない叔母を斬った。白い血を噴き上げながら仰向けに倒れてゆく叔母は、ひとならざる顔で、ゆるりと優しく微笑んで。
『……ゴメンネ』
と涙一筋をこぼした。
04/08-逸脱
竜族は、過ぎたる力を持ってこの大陸を脅かす、摂理から逸脱した存在だと、ひとびとが騒いだ時代があった。
「まだ、竜族が始祖種の代わりに大陸の守護者として生まれたのだと、認識されてない頃だったからね」
湖畔で語る竜王の言葉に、幼い竜兵達は表情を曇らせる。
「だが」
美しい竜王がぱちんと指を鳴らすと、湖面が波立ち、獣の姿を取った。
「『竜王に害意がある者を決して通さない』この湖が、こうして不届き者を追い返し、当時の竜王を守ったのだよ」
「やはり竜王様はすごいんですね!」
興奮気味になる竜兵の長兄に、竜王はゆるりと笑み返してみせた。
04/10-郷愁
ノスタルジア、という地域がある。郷愁の名を冠したその地には、古くから吸血鬼が棲んでいた。
『鬼』とは異なる生態系を持ち、『鬼』とは違ってひとの姿に近く、理性も保っている。だが、ひとの血を好んですすり、不死者の眷属を増やすあたりは、フィムブルヴェートのどの種族とも違う。
彼らがどこから来たのか。『霧』に閉ざされた世界では最早わからない。たしかなのは、彼らがひとに害をなす脅威であることだけだ。
「……害獣と同じだな」
心臓を貫かれて朝日に溶けてゆく吸血鬼を、蒼い瞳で見下ろしながら、吸血鬼狩りの青年は、仕込み杖の刃についた血を振り払って、納刀した。
04/11-忘我
歌声が聞こえる。この集落一番の歌い手と言っても過言ではない少女が歌っているのだ。
この大陸が『霧』に包まれる前から歌い継がれてきた、英雄歌。誰を謳ったのか、何の英雄なのか、どんな偉業を為し遂げたのか。言葉が違ってわからないのだ。ただ、歌詞だけが意味をなさないまま、世代を渡ってきた。
忘我に耽って聞き入ってしまう。ほかにも手を止め聞き惚れてしまう者達がいる。
そんな中、ぽつ、と頭に水滴が落ちた。かと思うと、あっという間にざあっと空が泣き出す。
この砂漠地帯恒例のスコールだ。たちまち誰もが我に返り、歌声がかき消される帰り道を走った。
04/12-収奪
ヴィフレスト王国は、破壊の権化『ユミール』を倒して『黒き太陽戦役』を終わらせた英雄リヴァティの興した国である。
『霧』に囲まれたこの大陸で、人間を守る盟主国として、また、戦役以降険悪になった有翼人・防人との折衝を務める先陣として、長く守護者の座にあった。
だが、肥料を入れない畑で作物を育て続ければ、いつか土壌は枯れる。
英雄の遺志を忘れた歴代の王は、他国へ侵略し、隷属国として併呑し、富を搾取し、誇りと命を収奪した。
そして今、『鬼王』と名乗る、史上最悪の王が、大陸制覇に乗り出した。
ひとびとは祈るしかない。奴を止める救い主の出現を。
04/13-暗転
母は側室で、正妃に影に日向に嫌がらせを受けていた。手を差しのべる者は少なく、大半が正妃の顔色を窺って、母と自分を蔑んだ。父は凡庸で、あからさまな助け舟は出さなかった。
そんな中で母が心身を病まないはずは無く、一時期母方の祖母の故郷へ療養に退いた。
そこでの出会いは新鮮で、その後の自分の人生に大きな影響を及ぼすほどだった。
やがて母は寛解して、国に戻った。正妃を正面から見据えられる強さを身につけた母は、まるで別人になったかのように頼もしく思えた。
だが、暗転は突然で。
「無理が祟ったのでしょう」
医師は言ったが、母の腕には紫の斑点が浮かんでいた。
04/14-爛れる
村が燃えていた。
ずけずけと食糧を漁りに踏み込んできたヴィフレスト兵士に、駆け回っていた子供がぶつかった。それだけで、子供は斬り捨てられ、火が放たれた。
「ダイナソアの言葉を読めるガキは、重宝できましてよ」
けばけばしい軍師の女が、隊長の男にしなだれかかって笑っている。
深傷を負い、焼け爛れてかっと目を見開いたまま息絶えた弟を抱き締めて、花の名を持つ少女は誓う。
この傍若無人な連中に、必ず報いをと。今は利用されても、必ずマグノリアのように咲き誇って、鋭い一撃を、こいつらの首魁の心臓に突き立ててやるのだと。
04/15-浸透
竜族は得体の知れない種族。そういう考えはまだひとびとの間に浸透している。
だからクリミアも、竜兵として母たる竜王メディリアの代わりに大陸を巡りながらも、積極的にひとの世界に介入することはあまり無かった。
だが、元は熊だったろう大きな『鬼』に追われる人間の一家を見つけ、思わず飛び出し、弓を引いた。『鬼』は白い粒子と化し、消えてゆく。
「まだ仲間がいるかもしれない。早くこの場を離れて」
声をかけると、おとな達は青い顔で頷き走り出す。
「おねえちゃん、ありがとう!」
小さいこどもが手を振る。
何故か、胸のあたりがふわりと温かくなった。
04/16-朦朧
燃え尽きて、煙が立ちのぼる集落を、ふらふらと歩く。焼け焦げた、元は人だったものの左薬指に、見慣れた揃いの銀の指輪を見つけた時、自分でも訳のわからない叫びが口から迸るのを、他人事のように感じていた。
軍師の座を捨て、国を離れて裏通りに引きこもり、くすんだ指輪をもてあそびながら、朦朧とした意識の中で、彼女が責めてくる幻聴に苛まれた。
それを鋭い呼びかけで断ち切り、現実に引き戻した、銀髪に金の瞳の竜兵。己の弱さも未熟さも無知も認めた上で、導き手として自分を求めた。
もう一度、立てるだろうか。『虹王国稀代の軍師』は。
もう、身近な誰かを失わせずに。
04/17-渇望
もっと力が欲しかった。
主君の従兄を守れるくらいに。彼自身も、周りの護衛騎士達も強いのに、自分は茶を注いで彼の馬のくつわをとることくらいしかできない。
主君の師匠に槍を教わったが、
『あんたは素質が無いよ』
とばっさり切り捨てられた。代わりに飛び道具の扱い方を教えてもらった。
あの方の剣であり盾でありたいのに、
『お前はそのままで良い。人をあやめる術を覚えなくて良い』
そう諭されて、逆に強さへの渇望は増した。
だからかもしれない。竜族の聖域へ助力を借りに行く者を募る時に、ひとりで行くと言い張った。
あの方を守る力があるのだと、証明したくて。
04/18-審判
当代の竜王メディリアが、まだ先代竜王の竜兵だった頃。竜族の聖域に、人間の盗賊達が入り込んだことがある。
竜は大陸中のお宝を集めていると思い込んだ連中の、身勝手な侵入だった。
メディリアはきょうだいの竜兵達と共に、盗賊達を迎え打った。結果は火を見るより明らかで、愚か者共は全員あえなく縛り上げられた。
「どうしてやろうか」
竜王は盗賊達の前で腕組みし、にやりと牙を見せて、「メディリア」と己が子の名を呼んだ。
「湖に投げ込め」
聖域の湖は、『竜王に害意のある者を決して通さない』。
「御意」
メディリアも、下される審判を思い、牙を剥き出して笑った。
04/19-浄化
掲げた手から、踊るように水魔法が放たれる。水流はひとびとのあいだをうねりながら通り過ぎて、砂にまみれた彼らの身体を浄化してゆく。
「エリア様は、さすが盟主様のご息女だ」
「次代の防人を導くお方として、申し分無い魔力を持っていらっしゃる」
翼持つ民、防人が、南方砂漠に追いやられて四百年。かつてひとりの男の野望により、フィムブルヴェートの支配者の座を追われた彼らは、自分達が人間より優れているというプライドを捨てられず、力を持つ者を持ち上げ、持たざる者を貶める。
美しい少女を遠くから見つめる、魔法の使えない少年は、それでも彼女の隣を、諦めたくはなかった。
04/20-冒涜
「竜族の盟主サマなんて、信用置けないよなあ」
「ヒオウ様にもエリア様にもいい顔してさ」
人間達が聞こえよがしに言い合っているのを、鋭い聴覚は拾い上げる。胸に棘が刺さって、唇を噛み締めた時。
「では、ゼファーを信頼している私やエリア殿、軍師であるウィルも信用ならぬということだな」
安心させるように、肩に大きな手が置かれる。見上げると、紫の瞳は冒涜した連中を睨み付けている。
「そ、そういう訳では」
「申し訳ございません、ヒオウ王子!」
連中が慌てて去る。
「……ありがとう、コウ」
おずおずと礼を述べると、険の消えた瞳が、優しく笑み返してくれた。
04/21-偏在
その昔、有翼人は高い魔力を持つゆえ、フィムブルヴェートの支配者として、大陸中に遍在していた。
しかし、ウリエルというひとりの男が、破壊の使者『ユミール』と化して大陸に危機を呼んだ時、彼らは大陸の守護者『防人』を名乗って、人間に、自分達に従属してウリエルを討つことを強要した。
結局二者の関係は泥沼になり、英雄リヴァティが調停するまで、『ユミール』すら無視した争いが続いた。
戦後、人間達の冷たい視線を浴びた防人は、南方砂漠に身を退くことになる。英雄リヴァティの交渉も虚しく、防人は辺境に偏在して、覇権を取り戻す日を狙っているという。
04/22-饗宴
「なんだ、それ?」
「始祖種が受け継いでた本だってよ」
胡乱げにこちらの手元を覗き込むキルシスに、マギーはあっけらかんと返す。どれだけの年代を経たのかわからないぼろぼろの表紙には、ダイナソアの言語で『饗宴』と書かれているらしい。
「プラトンなんて、誰なんだか」
「竜族でも知らねーぞ、そんな奴」
始祖種は古代、空からやってきたという。かれらがこのフィムブルヴェートにたどり着く前から存在していた本ならば、著者はとっくに天上に昇って久しいだろう。
「で、何が書いてあるんだ?」
「わかんね。なんか言い争ってた」
キルシスの問いに、マギーは肩をすくめた。
04/23-帰趨
『ユミール』は竜の牙から作られた槍『グラディウス』と、竜王の捨て身、そして数多の犠牲の末に、地に沈んだ。
『黒き太陽』は晴れ、朝が来る。『霧』の晴れることの無い、フィムブルヴェートの朝が。
戦いの帰趨を見届けたメディリアは、もはや竜兵ではなく、竜王を受け継いで、竜族の聖域に戻った。聖域はいつも通り、静謐をもって彼女を出迎える。
竜王を守る湖面を歩いて渡り、竜王の神殿に入る。今までは、父たる先代の王しか入れなかった部屋に踏み込むと、机の上に手紙があることに気づく。
文字に目を滑らせる。
「……お父様」
独りぼっちが沁みて、ひとしずくが手紙に滲んだ。
04/24-薫風
風薫る、という表現があったらしい。初夏の爽やかさを表す風のことだという。
「この大陸が『霧』に覆われる前の話ですかねェ」
竜兵は糸目を更に細めて、口角を持ち上げる。
「ま、そんな芸術もなにもかも、『ユミール』の前にはあえなく消えるのですがねェ?」
血のにおいが充満し、ひとの変じた『鬼』がうろつく中、彼はまるで安楽椅子のように、骸の山へ腰を下ろしている。
『鬼』にとって、そして竜族にとって、互いに天敵であるはずの両者が、食らい合うことも無く。
「ああ、楽しみだ、楽しみだァ!」
両手を広げ、じっとりした、薫風無き空をあおいで、竜兵は嗤った。
04/25-眩惑
「上玉だ、逃がすなよ!」
ヴィフレスト兵に追われる美しい姉妹に、アバロンが出くわしたのは、本当にたまたまだった。
『ユミール』が関わらない人間の欲望に、竜兵が介入する義理は全く無い。だが、下賎な連中の身勝手な欲望に、辟易したのは確かだ。
翼を広げて姉妹の前に降り立ち、「目を閉じてください」と声をかける。新手にびくつきながらも、姉妹が言うことを聞いてくれた気配を感じ取ると、追手に向けて光魔法を放つ。
「このまま走って」
相手が眩惑されている間に囁くと、
「あ、ありがとうございます!」
と姉妹は駆け去った。
「さて、あとは下衆の始末だけですか」
04/26-撹乱
『霧』は、フィムブルヴェートの在り様を根底から変えるほどの脅威だ。それに触れたものを『鬼』と化し、ひとびとを襲う。
生態系を撹乱するほどのこの現象が、いつ、どうして生まれたのか、現代には伝わっていない。
「せめて、始祖種の話を聞くことができれば、真相を知ることができるのでしょうか」
モリエールが史書を閉じながらつぶやくと、教師役の義兄が、虚を衝かれたように目をみはった。
「お前は、始祖種が真実を知っていると思うのか?」
「はい」
問いかけに毅然と答えれば、義兄は苦笑する。
「自分の勘を信じるところは、姉妹揃ってか」
果たして、褒められたのだろうか?
04/27-翠緑
カワセミが、翠緑の翼をひるがえして、窓の外を飛んでゆく。
「犯人は」
少年はきらりと眼鏡をきらめかせて、師匠を見上げた。
「Bだよね」
正答だとばかりに、同盟軍正軍師は両肩をすくめる。
「もうお前に出せる推論問題は、俺すら持ち合わせていないな」
高評価に、少年は得意気に鼻の下をこすった。
軍師として寝食を惜しんで働き回っているのに、彼はこうしておしかけ弟子の勉強に付き合ってくれる。
「冷たい」
「鬼軍師」
「何考えてるかわからなくて怖い」
師匠をよく知らない連中は彼をそう評する。だが実際は、彼はそういう連中までも生かす策を、常に練っているのだ。
04/28-童心
「ゼファーが子どもになりました」
アバロンが、五歳くらいの小ささになった銀髪の竜兵を連れてきたので、ヒオウは目を点にして立ち尽くしてしまった。
「何でだ? 外界(メタ)の作用か?」
ウィルソンがよくわからないことを言って、頭を抱えている。
金の瞳がこちらを向く。その目が嬉しさ一杯に見開かれ、長兄の手を振りほどくと。
「コウー! だいすきー!!」
全体重をかけて飛びつかれた。まあ、五歳の全体重などたかが知れているのだが、動揺が過ぎてよろめきながら受け止める羽目になる。
「童心に返ったほうが素直になるものですねえ」
アバロンがのほほんと笑っていた。
04/29-腐食
進軍の途中で、古い砦にたどり着いた。変色して緑に沈んだ金属の階段を、ゼファーは駆け登る。
「わあ、すごい!」
屋上から見渡す景色は、『霧』ではるか遠くまでは見えないとはいえ、なかなかのものだ。
竜族の聖域では見られなかった光景に見入って、屋上の柵に手をかける。途端、腐食していた取っ手がぽきりと折れた。
そのまま前のめりに何も無い空中に放り出されそうだったところを、背後から力強い腕が抱き留めてくれる。
「気をつけるんだ」耳元で囁く声がする。「いくら竜兵でも、この高さではひとたまりもあるまい」
「う、うん、ごめん」
緋色の髪が触れた頬が火照った。
04/30-歪み
いつからだろう。この世界の歪みに気づいたのは。
物心つく頃には、『霧』に覆われた空に、黒い星が垣間見えていた。
その正体を知りたくて、同胞に異端と嘲られても、始祖種と交友を結び、かれらの知る天の摂理について調べきった。
調べきった結果、この歪みはひとの手では正せないと思い知った。
だから、私は破壊者になろう。
『霧』を取り込み、破壊の化身『ユミール』となって、破壊に破壊をぶつけるのだ。
私を愛してくれた女性は泣きながら、やめてくれと懇願したが、私の意思は変わらない。
どうか、現れてくれ。
『私』を制し、フィムブルヴェートを救う英雄よ。畳む
#アルファズル戦記
#雪が解けて春になる
#語彙トレまとめ
『雪が解けて春になる』番外編全文
目次→714
04/01-鮮烈
『私はこの世界「アルファズル」で起きた、大きな戦乱と、その先にある始祖種と神の戦いを、生涯を懸けて、物語として記すことにした。
その為に、東西南北四つの大陸を旅し、現地のひとびとから伝説を語り聞いて、懸命に書き留めた。
北の大陸フィムブルヴェートで聞いた伝承も、始祖種ダイナソアの竜兵と人間の王子の愛の物語は、私の心に鮮烈な印象を焼きつけた。
しかし、それは本伝「雪が解けて春になる」に書くとして、この番外編では、本伝で語られることの無い小さな出来事を記してゆこう。』
(シフィル・リードリンガー著『アルファズル戦記 異聞録』)
04/02-呪文
呪文のように繰り返された。
「そなたは英雄リヴァティの正統なる子孫。生まれながらにしての王の器なのですよ」
だから傲然とあった。なのに格下の連中は自分を恐れて離れていった。
「下々の顔色など疑わなくて良いのです。失礼な者は切り捨てなさい」
言われた通りにした。誰も自分をまっすぐに見なくなった。正面から見てくるのは、弟だけになった。
「あのような下賎な血を引く者と、そなたが、対等などとあり得ないのです」
心地の良い呪いの言葉にすがった。
結果、母は毒の入った茶を飲んでひっくり返った。
命じたのは自分だ。
ああ、やっと解き放たれる。
04/03-追憶
母の祖国へ、一度だけ行ったことがある。叔母を埋葬するためだ。彼女が悪意を受け続けた国に弔うのは嫌だと、母が言ったのだ。
薄ピンクの桜が舞う中、母方の祖父が立ち会った。叔母は庶子で皇女とは認められなかったが、祖父はきちんとこのひととその母親を愛していたのだと思い知った。
墓石の前で、はなをすすり上げながら泣く、幼い従弟の手を握り、この子は自分が守らないといけないと誓った。自分に優しかった叔母の分まで。
なのに。
兄の凶刃の前に、従弟は桜のように儚く散った。
追憶の中で、あの子は今も朗らかに笑っているのに、もう握る手はここに無い。
04/04-摩耗
「お前は本当に馬に乗るのが下手だな」
親友兼相方のマイケルに馬上から見下ろされて、ニーザは軽く舌打ちした。
「なんでお前はそんなしれっと乗りこなしているんだ」
主君のヒオウ王子さえ、やんちゃな馬に振り回され、手こずっている。ニーザに至っては、何回振り落とされたかわからない。心が摩耗して折れても仕方無いくらいだ。
なのに、このなんでもそつなくこなす幼馴染は、主君の先すら超えて、馬をどうどうとなだめている。
『マイケルは本当にすごいな』
お世辞でもなんでもなく、あるじは言うのだ。
『ニーザも。よく諦めない』
本当に、悪気が無いから、困ったひとだ。
04/05-逆説
「おはよう、コウ」
やたら野太い声が聞こえる。自分をその名で呼ぶ者は、ひとりしかいない。
振り返ると、筋骨隆々として、自分より背の高くなった、銀の髪に金の瞳の竜兵が、軽々と自分を抱き上げた。
「ゼファー!?」
驚いた自分の声が高い。
「はは、コウは可愛いね」
言われて自分の身をあらためる。髪が伸びて、男には無い凹凸がある。
悲鳴をあげたところで、寝台の上にがばりと起き上がって目が覚めた。
「願望が逆説的に叶った夢じゃないですか」
あまりにもあんまりだったので、軍師にこぼしたら、彼は腕組みして『そんな話を俺にするな』とばかりにうんざりしていた。
04/06-桎梏
『隷属国の娘の子が、王子面をして』
血筋を尊ぶ連中は、そう言って嗤った。
『あなた様こそが、この国の希望なのです』
民は兄のいない隙に、すがりついてきた。
どう足掻いても自由にならない、桎梏で雁字搦めにされた人生で終わるのだと思っていた。
それなのに。
「コウ!」
君が私のもうひとつの名前を呼ぶ度に、どれだけ嬉しくなったことか。その笑顔に、磨り減った精神をどれだけ救われたことか。
だから、君の力になろう。若くして大陸の命運を背負った君の槍に、盾になって、守り抜こう。
幼い頃、誰かを守ることの大切さを教えてくれた、君のために、この命を懸ける。
04/07-沈殿
母の言葉は呪いだった。
『神にもなれる血筋なのに、兄の役にすら立てないとは、そなたは失敗作であることよ』
『ああ、ああ、あの女の息子のようにうざったい。その顔をわたくしに見せるでない』
『おまえなぞ、産むのではなかった』
自分勝手な言葉は、わたしの心の泉に、毒を沈殿させていった。
王宮の奥に押し込められて、使用人にも無視されて、泣いてばかりの日々。
『ぴいぴい泣くな。うっとうしい』
そうぶっきらぼうに言いながら、白い薔薇を手折って差し出した兄の顔は、逆光でどういう表情をしているかわからなかった。
だけど、たしかに彼はわたしの太陽になった。
04/08-昏迷
この大陸は、ひとを『鬼』にする『霧』に覆われている。いつからそうなのかわからない。ただ、かつて外の大陸との交流はあり、『霧』によってそれが全て遮断されたのはたしかだ。
僕の叔母も、水を汲みに行って、うっかり『霧』に触れてしまった。叔父がどんなに呼びかけても、昏迷に陥ったように応じず、虚ろな顔は次第次第に白く変わっていった。
『娘にこんな母親を見せるくらいなら』
叔父は剣を持ち出し、反応しない叔母を斬った。白い血を噴き上げながら仰向けに倒れてゆく叔母は、ひとならざる顔で、ゆるりと優しく微笑んで。
『……ゴメンネ』
と涙一筋をこぼした。
04/08-逸脱
竜族は、過ぎたる力を持ってこの大陸を脅かす、摂理から逸脱した存在だと、ひとびとが騒いだ時代があった。
「まだ、竜族が始祖種の代わりに大陸の守護者として生まれたのだと、認識されてない頃だったからね」
湖畔で語る竜王の言葉に、幼い竜兵達は表情を曇らせる。
「だが」
美しい竜王がぱちんと指を鳴らすと、湖面が波立ち、獣の姿を取った。
「『竜王に害意がある者を決して通さない』この湖が、こうして不届き者を追い返し、当時の竜王を守ったのだよ」
「やはり竜王様はすごいんですね!」
興奮気味になる竜兵の長兄に、竜王はゆるりと笑み返してみせた。
04/10-郷愁
ノスタルジア、という地域がある。郷愁の名を冠したその地には、古くから吸血鬼が棲んでいた。
『鬼』とは異なる生態系を持ち、『鬼』とは違ってひとの姿に近く、理性も保っている。だが、ひとの血を好んですすり、不死者の眷属を増やすあたりは、フィムブルヴェートのどの種族とも違う。
彼らがどこから来たのか。『霧』に閉ざされた世界では最早わからない。たしかなのは、彼らがひとに害をなす脅威であることだけだ。
「……害獣と同じだな」
心臓を貫かれて朝日に溶けてゆく吸血鬼を、蒼い瞳で見下ろしながら、吸血鬼狩りの青年は、仕込み杖の刃についた血を振り払って、納刀した。
04/11-忘我
歌声が聞こえる。この集落一番の歌い手と言っても過言ではない少女が歌っているのだ。
この大陸が『霧』に包まれる前から歌い継がれてきた、英雄歌。誰を謳ったのか、何の英雄なのか、どんな偉業を為し遂げたのか。言葉が違ってわからないのだ。ただ、歌詞だけが意味をなさないまま、世代を渡ってきた。
忘我に耽って聞き入ってしまう。ほかにも手を止め聞き惚れてしまう者達がいる。
そんな中、ぽつ、と頭に水滴が落ちた。かと思うと、あっという間にざあっと空が泣き出す。
この砂漠地帯恒例のスコールだ。たちまち誰もが我に返り、歌声がかき消される帰り道を走った。
04/12-収奪
ヴィフレスト王国は、破壊の権化『ユミール』を倒して『黒き太陽戦役』を終わらせた英雄リヴァティの興した国である。
『霧』に囲まれたこの大陸で、人間を守る盟主国として、また、戦役以降険悪になった有翼人・防人との折衝を務める先陣として、長く守護者の座にあった。
だが、肥料を入れない畑で作物を育て続ければ、いつか土壌は枯れる。
英雄の遺志を忘れた歴代の王は、他国へ侵略し、隷属国として併呑し、富を搾取し、誇りと命を収奪した。
そして今、『鬼王』と名乗る、史上最悪の王が、大陸制覇に乗り出した。
ひとびとは祈るしかない。奴を止める救い主の出現を。
04/13-暗転
母は側室で、正妃に影に日向に嫌がらせを受けていた。手を差しのべる者は少なく、大半が正妃の顔色を窺って、母と自分を蔑んだ。父は凡庸で、あからさまな助け舟は出さなかった。
そんな中で母が心身を病まないはずは無く、一時期母方の祖母の故郷へ療養に退いた。
そこでの出会いは新鮮で、その後の自分の人生に大きな影響を及ぼすほどだった。
やがて母は寛解して、国に戻った。正妃を正面から見据えられる強さを身につけた母は、まるで別人になったかのように頼もしく思えた。
だが、暗転は突然で。
「無理が祟ったのでしょう」
医師は言ったが、母の腕には紫の斑点が浮かんでいた。
04/14-爛れる
村が燃えていた。
ずけずけと食糧を漁りに踏み込んできたヴィフレスト兵士に、駆け回っていた子供がぶつかった。それだけで、子供は斬り捨てられ、火が放たれた。
「ダイナソアの言葉を読めるガキは、重宝できましてよ」
けばけばしい軍師の女が、隊長の男にしなだれかかって笑っている。
深傷を負い、焼け爛れてかっと目を見開いたまま息絶えた弟を抱き締めて、花の名を持つ少女は誓う。
この傍若無人な連中に、必ず報いをと。今は利用されても、必ずマグノリアのように咲き誇って、鋭い一撃を、こいつらの首魁の心臓に突き立ててやるのだと。
04/15-浸透
竜族は得体の知れない種族。そういう考えはまだひとびとの間に浸透している。
だからクリミアも、竜兵として母たる竜王メディリアの代わりに大陸を巡りながらも、積極的にひとの世界に介入することはあまり無かった。
だが、元は熊だったろう大きな『鬼』に追われる人間の一家を見つけ、思わず飛び出し、弓を引いた。『鬼』は白い粒子と化し、消えてゆく。
「まだ仲間がいるかもしれない。早くこの場を離れて」
声をかけると、おとな達は青い顔で頷き走り出す。
「おねえちゃん、ありがとう!」
小さいこどもが手を振る。
何故か、胸のあたりがふわりと温かくなった。
04/16-朦朧
燃え尽きて、煙が立ちのぼる集落を、ふらふらと歩く。焼け焦げた、元は人だったものの左薬指に、見慣れた揃いの銀の指輪を見つけた時、自分でも訳のわからない叫びが口から迸るのを、他人事のように感じていた。
軍師の座を捨て、国を離れて裏通りに引きこもり、くすんだ指輪をもてあそびながら、朦朧とした意識の中で、彼女が責めてくる幻聴に苛まれた。
それを鋭い呼びかけで断ち切り、現実に引き戻した、銀髪に金の瞳の竜兵。己の弱さも未熟さも無知も認めた上で、導き手として自分を求めた。
もう一度、立てるだろうか。『虹王国稀代の軍師』は。
もう、身近な誰かを失わせずに。
04/17-渇望
もっと力が欲しかった。
主君の従兄を守れるくらいに。彼自身も、周りの護衛騎士達も強いのに、自分は茶を注いで彼の馬のくつわをとることくらいしかできない。
主君の師匠に槍を教わったが、
『あんたは素質が無いよ』
とばっさり切り捨てられた。代わりに飛び道具の扱い方を教えてもらった。
あの方の剣であり盾でありたいのに、
『お前はそのままで良い。人をあやめる術を覚えなくて良い』
そう諭されて、逆に強さへの渇望は増した。
だからかもしれない。竜族の聖域へ助力を借りに行く者を募る時に、ひとりで行くと言い張った。
あの方を守る力があるのだと、証明したくて。
04/18-審判
当代の竜王メディリアが、まだ先代竜王の竜兵だった頃。竜族の聖域に、人間の盗賊達が入り込んだことがある。
竜は大陸中のお宝を集めていると思い込んだ連中の、身勝手な侵入だった。
メディリアはきょうだいの竜兵達と共に、盗賊達を迎え打った。結果は火を見るより明らかで、愚か者共は全員あえなく縛り上げられた。
「どうしてやろうか」
竜王は盗賊達の前で腕組みし、にやりと牙を見せて、「メディリア」と己が子の名を呼んだ。
「湖に投げ込め」
聖域の湖は、『竜王に害意のある者を決して通さない』。
「御意」
メディリアも、下される審判を思い、牙を剥き出して笑った。
04/19-浄化
掲げた手から、踊るように水魔法が放たれる。水流はひとびとのあいだをうねりながら通り過ぎて、砂にまみれた彼らの身体を浄化してゆく。
「エリア様は、さすが盟主様のご息女だ」
「次代の防人を導くお方として、申し分無い魔力を持っていらっしゃる」
翼持つ民、防人が、南方砂漠に追いやられて四百年。かつてひとりの男の野望により、フィムブルヴェートの支配者の座を追われた彼らは、自分達が人間より優れているというプライドを捨てられず、力を持つ者を持ち上げ、持たざる者を貶める。
美しい少女を遠くから見つめる、魔法の使えない少年は、それでも彼女の隣を、諦めたくはなかった。
04/20-冒涜
「竜族の盟主サマなんて、信用置けないよなあ」
「ヒオウ様にもエリア様にもいい顔してさ」
人間達が聞こえよがしに言い合っているのを、鋭い聴覚は拾い上げる。胸に棘が刺さって、唇を噛み締めた時。
「では、ゼファーを信頼している私やエリア殿、軍師であるウィルも信用ならぬということだな」
安心させるように、肩に大きな手が置かれる。見上げると、紫の瞳は冒涜した連中を睨み付けている。
「そ、そういう訳では」
「申し訳ございません、ヒオウ王子!」
連中が慌てて去る。
「……ありがとう、コウ」
おずおずと礼を述べると、険の消えた瞳が、優しく笑み返してくれた。
04/21-偏在
その昔、有翼人は高い魔力を持つゆえ、フィムブルヴェートの支配者として、大陸中に遍在していた。
しかし、ウリエルというひとりの男が、破壊の使者『ユミール』と化して大陸に危機を呼んだ時、彼らは大陸の守護者『防人』を名乗って、人間に、自分達に従属してウリエルを討つことを強要した。
結局二者の関係は泥沼になり、英雄リヴァティが調停するまで、『ユミール』すら無視した争いが続いた。
戦後、人間達の冷たい視線を浴びた防人は、南方砂漠に身を退くことになる。英雄リヴァティの交渉も虚しく、防人は辺境に偏在して、覇権を取り戻す日を狙っているという。
04/22-饗宴
「なんだ、それ?」
「始祖種が受け継いでた本だってよ」
胡乱げにこちらの手元を覗き込むキルシスに、マギーはあっけらかんと返す。どれだけの年代を経たのかわからないぼろぼろの表紙には、ダイナソアの言語で『饗宴』と書かれているらしい。
「プラトンなんて、誰なんだか」
「竜族でも知らねーぞ、そんな奴」
始祖種は古代、空からやってきたという。かれらがこのフィムブルヴェートにたどり着く前から存在していた本ならば、著者はとっくに天上に昇って久しいだろう。
「で、何が書いてあるんだ?」
「わかんね。なんか言い争ってた」
キルシスの問いに、マギーは肩をすくめた。
04/23-帰趨
『ユミール』は竜の牙から作られた槍『グラディウス』と、竜王の捨て身、そして数多の犠牲の末に、地に沈んだ。
『黒き太陽』は晴れ、朝が来る。『霧』の晴れることの無い、フィムブルヴェートの朝が。
戦いの帰趨を見届けたメディリアは、もはや竜兵ではなく、竜王を受け継いで、竜族の聖域に戻った。聖域はいつも通り、静謐をもって彼女を出迎える。
竜王を守る湖面を歩いて渡り、竜王の神殿に入る。今までは、父たる先代の王しか入れなかった部屋に踏み込むと、机の上に手紙があることに気づく。
文字に目を滑らせる。
「……お父様」
独りぼっちが沁みて、ひとしずくが手紙に滲んだ。
04/24-薫風
風薫る、という表現があったらしい。初夏の爽やかさを表す風のことだという。
「この大陸が『霧』に覆われる前の話ですかねェ」
竜兵は糸目を更に細めて、口角を持ち上げる。
「ま、そんな芸術もなにもかも、『ユミール』の前にはあえなく消えるのですがねェ?」
血のにおいが充満し、ひとの変じた『鬼』がうろつく中、彼はまるで安楽椅子のように、骸の山へ腰を下ろしている。
『鬼』にとって、そして竜族にとって、互いに天敵であるはずの両者が、食らい合うことも無く。
「ああ、楽しみだ、楽しみだァ!」
両手を広げ、じっとりした、薫風無き空をあおいで、竜兵は嗤った。
04/25-眩惑
「上玉だ、逃がすなよ!」
ヴィフレスト兵に追われる美しい姉妹に、アバロンが出くわしたのは、本当にたまたまだった。
『ユミール』が関わらない人間の欲望に、竜兵が介入する義理は全く無い。だが、下賎な連中の身勝手な欲望に、辟易したのは確かだ。
翼を広げて姉妹の前に降り立ち、「目を閉じてください」と声をかける。新手にびくつきながらも、姉妹が言うことを聞いてくれた気配を感じ取ると、追手に向けて光魔法を放つ。
「このまま走って」
相手が眩惑されている間に囁くと、
「あ、ありがとうございます!」
と姉妹は駆け去った。
「さて、あとは下衆の始末だけですか」
04/26-撹乱
『霧』は、フィムブルヴェートの在り様を根底から変えるほどの脅威だ。それに触れたものを『鬼』と化し、ひとびとを襲う。
生態系を撹乱するほどのこの現象が、いつ、どうして生まれたのか、現代には伝わっていない。
「せめて、始祖種の話を聞くことができれば、真相を知ることができるのでしょうか」
モリエールが史書を閉じながらつぶやくと、教師役の義兄が、虚を衝かれたように目をみはった。
「お前は、始祖種が真実を知っていると思うのか?」
「はい」
問いかけに毅然と答えれば、義兄は苦笑する。
「自分の勘を信じるところは、姉妹揃ってか」
果たして、褒められたのだろうか?
04/27-翠緑
カワセミが、翠緑の翼をひるがえして、窓の外を飛んでゆく。
「犯人は」
少年はきらりと眼鏡をきらめかせて、師匠を見上げた。
「Bだよね」
正答だとばかりに、同盟軍正軍師は両肩をすくめる。
「もうお前に出せる推論問題は、俺すら持ち合わせていないな」
高評価に、少年は得意気に鼻の下をこすった。
軍師として寝食を惜しんで働き回っているのに、彼はこうしておしかけ弟子の勉強に付き合ってくれる。
「冷たい」
「鬼軍師」
「何考えてるかわからなくて怖い」
師匠をよく知らない連中は彼をそう評する。だが実際は、彼はそういう連中までも生かす策を、常に練っているのだ。
04/28-童心
「ゼファーが子どもになりました」
アバロンが、五歳くらいの小ささになった銀髪の竜兵を連れてきたので、ヒオウは目を点にして立ち尽くしてしまった。
「何でだ? 外界(メタ)の作用か?」
ウィルソンがよくわからないことを言って、頭を抱えている。
金の瞳がこちらを向く。その目が嬉しさ一杯に見開かれ、長兄の手を振りほどくと。
「コウー! だいすきー!!」
全体重をかけて飛びつかれた。まあ、五歳の全体重などたかが知れているのだが、動揺が過ぎてよろめきながら受け止める羽目になる。
「童心に返ったほうが素直になるものですねえ」
アバロンがのほほんと笑っていた。
04/29-腐食
進軍の途中で、古い砦にたどり着いた。変色して緑に沈んだ金属の階段を、ゼファーは駆け登る。
「わあ、すごい!」
屋上から見渡す景色は、『霧』ではるか遠くまでは見えないとはいえ、なかなかのものだ。
竜族の聖域では見られなかった光景に見入って、屋上の柵に手をかける。途端、腐食していた取っ手がぽきりと折れた。
そのまま前のめりに何も無い空中に放り出されそうだったところを、背後から力強い腕が抱き留めてくれる。
「気をつけるんだ」耳元で囁く声がする。「いくら竜兵でも、この高さではひとたまりもあるまい」
「う、うん、ごめん」
緋色の髪が触れた頬が火照った。
04/30-歪み
いつからだろう。この世界の歪みに気づいたのは。
物心つく頃には、『霧』に覆われた空に、黒い星が垣間見えていた。
その正体を知りたくて、同胞に異端と嘲られても、始祖種と交友を結び、かれらの知る天の摂理について調べきった。
調べきった結果、この歪みはひとの手では正せないと思い知った。
だから、私は破壊者になろう。
『霧』を取り込み、破壊の化身『ユミール』となって、破壊に破壊をぶつけるのだ。
私を愛してくれた女性は泣きながら、やめてくれと懇願したが、私の意思は変わらない。
どうか、現れてくれ。
『私』を制し、フィムブルヴェートを救う英雄よ。畳む
#アルファズル戦記
#雪が解けて春になる
#語彙トレまとめ
#語彙トレ2026 前半まとめ①
『灰になるまで君を呼ぶ』全文
目次→714
01/01-端緒
銃声ひとつ。
敵兵が額から血を噴いてあおむけに倒れるのを、壁の陰から確認して、走り出す。途端に銃撃の雨が降り注いだが、鍛えられたしなやかな筋肉で躍動するように全てをかわす。
アサル=アリム共和国とアグレイシア皇国の戦が始まった端緒は、皇国の皇女レイティスが、友好の使徒としてアサル=アリムを訪問中に行方不明になったことだった。
元々両国の関係は芳しくなく、理由さえあればいつでも開戦できたのだ。
「ったく、お偉方はよ」
愚痴りながら弾を込め直し、更に敵兵を撃ち倒した。
01/02-凍てつく
「ディックス!」
敵兵が全て倒れたところで、僚兵が手を振る。
「エース様はよくやるぜ」
「茶化すなよ」
彼らは『LINKS』の隊員である。かつてこのマルディアス大陸が、ファルメアというひとつの帝国だった頃、皇家の懐刀として、戦闘、諜報、暗殺などを請け負った特殊部隊の名だ。それが今も、アサル=アリム大統領の配下として機能している。
「さて、次の戦場は……っと」
彼がタブレットを持ち出して操作する。が。
「……え?」
怯えた声を聞いて、ディックスは赤い目を向け、驚きで瞠る。
仲間の手が凍っている。ぴきぴきと音を立てて、あっという間に彼は氷の彫像と化した。
01/03-熾火
ディックスはすぐさま銃を構え直して辺りを見渡す。自身の体内で常に燃えている、己の熾火を呼び起こし、油断無く敵の気配を探る。
ぴしり、と。指先に冷たさが走る。だが、彼の生来持つ『能力』が、あっという間に冷気を溶かした。
途端に殺気が迫る。氷結でディックスを仕留められないと悟った敵が、即座に白兵戦に切り替えたのだろう。肩までの茶髪を翻した、アグレイシア兵服の女が、ナイフ片手に迫ってくる。銃の迎撃も全てかわし、人並外れた跳躍をして襲いかかってくる。
ディックスもすぐさまナイフを取り出して、刃を受け止める。そして、僚兵が凍りついた時以上の驚きにとらわれた。
01/04-軋轢
『おとうさんが、ギルにはついていけないって言うの』
自分の育ての親であるLINKS隊長と、彼女の父親である研究所長の間に生じた軋轢は、もはや修復不可能になっているのは、子供の目から見てもわかった。養父にくってかかる所長の目は、血走っていて怖かった。
『「ぼうめい」するって言ってる』
『お前もついていくのか?』
訊ねれば、少女は黒い瞳を憂いに細めて、
『おとうさん、ひとりになっちゃうから』
と膝を抱え直した。
その面影がある。
「ティナ?」
少女の名前をつぶやく。女性兵は瞠目し、
「……ディックス?」
ぽろりと、こぼれ落ちるようにこちらの名を呼んだ。
01/05-淵源
「どうして、お前がアグレイシアに」
つばぜり合いをしながら、我ながら抜けた問いかけをしていると思う。所長は『亡命』したのだ。その先で研究を諦めるとは思わない。
『ひとの持つ可能性を最大限に引き出す』
という研究を。
そしてそのメスが、実の娘に向かない理由が無い。彼女は幼い頃から、炎を帯びる自分とは逆に、あらゆるものを凍てつかせる能力を発現していたのだから。
「……ディックス」
記憶より落ち着いた声で、少女は語りかける。
「この戦争の淵源を追って。レイティス様を、守って」
それだけを残して、彼女は飛び退り、あっという間に物陰に姿を消した。
01/06-雅趣
気づけば周囲は静まり返っていた。敵兵は全滅し、自分以外のLINKS隊員は、幼馴染の能力によって凍りついただろう。まだ冷気が漂っている。
研究所長の、現実を見ているのかわからないぎょろついた目が脳裏に蘇る。奴は実の娘まで兵器に仕立て上げたのか。
「……下衆い」
つぶやいて、足元の小石を蹴る。ころころ転がったそれは、半端な位置で跳ね返され、「あっ」と高い声が聞こえた。
咄嗟に銃を構え直す。石の返ったところでステルス布がずり落ちる。雅趣めいた服装に身を包んだ、紫髪に蒼い瞳の女性が、おののきに唇を震わせていた。
01/07-綻び
女性の纏う衣装は、アグレイシア織布を使った、皇族や貴族のものだ。しかしそれは薄汚れ、綻びが見える。
更にディックスが眉をひそめたのは、女性が手枷をかけられていたことだ。ステルス布まで使って、ここの敵兵は、彼女を護送する途中だったのか。
ひとつの可能性に至る。女性の前に膝をつき、問いかける。
「あんた、レイティス皇女か」
質問に、女性の肩がびくりと震える。それが答えだ。
「安心しろ、オレはあんたに危害を加えない」
「きがい……あぶないこと、しない?」
大人じみた顔立ちとは裏腹に、子供のような口調で問いかけてくる皇女に、力強く頷き返した。
01/08-仄見える
銃をひと撃ちして手枷を外し、「立てるか」と手を握る。皇女はおずおずと頷きながら、引かれるままに身を起こした。
「あんた、何でこんなところにいるんだ。こいつらは護衛兵じゃないのか?」
「ちがう、しらない。ごえい……は、ジーク」
「そのジークってのは?」
問いかけても、ふるふると首を横に振るばかりで、まともな事情は引き出せそうに無い。
「ジーク、いない。レティ、ひとりぼっち」
しくしくと。迷子のようにしゃくりあげる皇女は、まるで子供返りだ。恐らく、幼児退行するほどの「何か」があったのだろうことくらいは、仄見えた。
01/09-浸食
アサル=アリムの首都ヴァルファレスは、高山が長年の激しい風雨に浸食された台地の上に聳えている。かつて天から降りてきた始祖種ヴァーンの機械技術により、あたりの天候を常春に変えて、ひとの住める場所にしたのだ。
舗装された道路にバイクを走らせる。二人で乗ることを想定していなかったので、ヘルメットはひとつしか無い。当然、レイティスに被せた。ここで彼女が転がり落ちて頭を打ちでもしたら、それこそ大問題だ。
ディックスを庇護者と認識したのか、彼女はぎゅっとこちらの腰に腕を回してしがみついている。
バイクは坂を登って、都市の中枢ターミナル・ゼロへと向かった。
01/10-境界線
ターミナル・ゼロには境界線が引かれている。一般人は決して入ることができない。LINKSのメンバーと、研究員、そして隊長のギル――ギルガメッシュが許可した者だけだ。
固く閉ざされた金属の扉前でバイクを停め、コンソールを叩き、呼びかける。
「No.1349、ディックス・フリーダン。要救助者を一人保護した。同行の許可を」
数秒の機械思考が走った後、音声が流れる。
『隊長の許可を得ました。お進みください』
扉が両側に開く。肩越しに振り返ると、レイティスはぽかんと口を開けてその様子を見上げている。
(本当に子供さながらだな)
溜息をつき、再びエンジンをふかした。
01/11-噤む
ターミナル・ゼロの車両通路を駆け抜けて、終点で降りる。
「ほら」
レイティスに手を貸してバイクから降ろし、ヘルメットを脱がす。皇女はぼんやりとしてされるがままに任せていた。
隊長室に向かう。白く曇ったパーティションの向こうから、壮年の男声が聞こえる。
『おかえり、ディックス。その子はどうした?』
「ギル、実は」
養父に、今回の戦闘報告をする。
『そうか、シグマ達は』
ギルガメッシュは悼むように呟くと、レイティスに声をかける。
『それで、皇女様は何故護衛以外と共に?』
途端に、レイティスは怯えた表情で口を噤み、ディックスの腕にすがりついた。
01/12-揺曳
曇り硝子のパーティションの向こうで、養父の影がゆらゆら揺れている。彼が考えごとをしている時は、こう揺曳するのだ。
『アグレイシアにとって、融和路線として通っていた彼女が生きていると不都合な派閥があるのは明白だ。だが、アサル=アリムが皇女を保護したと主張しても、皇国は、誘拐だなんだと難癖をつけて、戦闘は泥沼化するだろう』
伊達に二十年の付き合いではない。ギルガメッシュが次に放つ言葉もわかっている。
『ディックス。お前が皇女の保護者になれ。そして探すのだ。ティナが言った通り、この戦争の淵源を。真の黒幕が誰なのかを』
01/13-乖離
面倒な役目を押し付けられた。がりがりと頭をかく。
だが、大統領府とLINKSの方針は乖離して久しいのだ。敵国の皇女を確保したとあのタヌキと腰巾着どもが知れば、この哀れな皇女の辿る道など、想像に易い。
「わーかった。わかりましたよ、ギル」
降参とばかりに両手を挙げて、隊長の提案を受け入れる。
「そうと決まったら、あんたを匿う場所を確保しないとな。その、いかにもアグレイシアですって服も着替えないと」
「きがえる? ……ぬぐ?」
振り返ると、皇女はきょとんと目を瞠り、襟元に手をかけた。
「今すぐにじゃない!!」
01/14-隠微
「この、愚か者が!」
ぱん、と乾いた音が、金属の壁で反響する。
「皇女の死体を回収できなかっただと!? それが我々にとって、どれだけ不利になるか、わかっているのか、ティナ・シュミット!?」
張られて赤くなった頬に触れもせず、痛みの表情を隠微にすら見せず、ティナはただ目を伏せる。
「前所長の実子だからと買っていたが、やはり裏切り者の娘はその程度か!」
アグレイシア宰相ブリームは唾を飛ばしながら、壁際に寄りかかる青年にも怒りの矛先を向ける。
「ジークハルト・リオ・クライスラー、貴様も呑気にしているな!」
感情のうかがえない氷色の瞳が、宰相に向けられた。
01/15-残滓
「とにかく、仕切り直しだ! 皇王に盛る薬も、もっと強くせねばな……」
ブツブツと陰謀を呟きながら、宰相は『異能力者研究所』の研究室を出てゆく。
「すまない」
怒りの残滓が消える頃、青年がティナに声をかけた。
「俺の計画に君を巻き込んで、矢面に立たせてしまって」
「いいえ」
ふるふると首を横に振る。皇女は奇跡的にディックスに託せた。あの幼馴染ならば、彼女を守ってくれるだろう。
「大丈夫か?」
「え?」
ジークハルトが口元を指差すので、己のそこを拭う。手の甲に赤が移る。
「手当てを」
「いえ、大丈夫です」
再度首を振った。
「本当に、痛くないので」
01/16-氷解
ばしゃばしゃと。水で顔を洗う。常人ならば冷たいと怯む水温も、ティナにはなんら痛痒ではない。
鏡の中で、凍りついた水滴が顔についている自分が、こちらを見つめている。また一段と凍結の能力が強まったようだ。
炎を操る幼馴染ならば、この粒もたちどころに氷解してくれるだろう。それどころか、本気を出したらこの身を燃やし尽くすかもしれない。
(いっそ、灰にしてくれたら)
麻酔無しで身体にメスが入る度に、悲鳴をあげていた。だが、それも次第に慣れてゆき、気がつけば、父は氷像になっていた。
自分はアグレイシアでも異端だ。どこにも行き場は無いのだ。
01/17-蠱惑
『我々アグレイシアは今、困難の渦中におります』
顔をタオルで拭きながら洗面所から戻ってくると、ラジオから、艶を帯びた声が流れている。
『アサル=アリムは謂われなく我が国に攻撃を加え、戦端を開きました。非はかの国にあるのです』
「病床にある」皇王の代わりに演説を行う『皇女レイティス』は語る。
『皆さん、今こそ皇家の旗の元に団結する時です。力を合わせて、この国難を乗りきりましょう』
蠱惑的に仕組まれた偽皇女の演説放送は続く。ブリームの仕掛けは、今までは、奴の思惑通りに運んでいた。
(でも)
奴の企みを崩すのはもはや、自分とジークハルトだけではないのだ。
01/18-伏流
「着替えたか?」「うん」
レイティスの返事を待って、自室に入る。アサル=アリム標準の服に着替えた彼女を皇女と気づく者は、そうそういないだろう。上手く伏流できたと思う。
薄汚れたアグレイシアの衣装をどう処分したものかと手に取る。と、その懐からぱさりと一通の封筒が落ちた。
拾い上げて封を解く。出てきた手紙を読み進めるうちに、幼馴染が戦の淵源を探せと言った意味を理解した。
「ジークハルト・リオ・クライスラー、か」
「ジーク?」
途端にレイティスが期待に満ちた表情をする。
「来てくれる?」
そんな彼女に真実を告げるのは、あまりにも酷で。
01/19-脆弱
ディックスは皇女の護衛騎士からの手紙を、皇女の服と一緒にクローゼットの奥へ放り込んだ。上手い処分の方法は思いつかなかった。下手に誰かの目につけば、大統領に報告が行く。
あのタヌキは金の力で地位を買った商人だ。政治力など無きに等しい。他者を蹴落とす為に謀略を巡らせることだけは得意だが。
ファルメア帝国の頃の結束力を失い、もはや戦闘力としてしか動けないLINKSの権威は脆弱だ。足元をすくわれればすぐさま解体されるだろう。
「ギルに相談するしかねーか」
顎に手をやってぼやけば、皇女は小首を傾げてこちらを見つめていた。
01/20-焦躁
「よ」
養父の元に向かう途中、軽い調子で声をかけられてディックスは振り返った。金髪の人好きしそうな青年が右手を掲げて歩み寄ってくる。同僚のエンリケだ。
「そっちが噂のお姫様か」
ギルガメッシュから話は聞いたらしい。自分が話題になっていると気づいたレイティスは、警戒心一杯でこちらの背中に隠れた。
エンリケは眉を垂れて肩をすくめたが、声を低めて真剣な表情で耳打ちする。
「アグレイシア側は相当焦燥に駆られてるぜ。皇女が見つかったって吹聴して、毎日皇王に代わって徹底抗戦の演説放送さ」
皇女の騎士からの手紙を思い出す。仕組んでいるのは、宰相とやらだろう。
01/21-凝結
エンリケと別れて隊長室へ向かう。
『どうした、ディックス?』
相変わらずパーティションの向こうから話しかけてくる養父に、皇女にばれずに説明をするにはどうしたものかと思案する。
「凝結を超えて氷になった国からの、手回しだ」
LINKS式のアグレイシアの表現をして、遠回しの説明をする。皇女の護衛騎士が、宰相の放った手下の自作自演を潰して欲しいと願ったことだと。
『成程』
影がゆらゆら揺れる。
『恐らくその裏切り者は、暴走する獣の国にも通じているだろう』
マルディアスに在る、三大国家の最後のひとつを聞いた時、ディックスの視界はぐらりと傾いだ。
01/22-諧謔
『実に諧謔に満ちた筋書きではないか?』
炎が燃え盛る街だった。顔の見えない誰かが笑っている。自分は背の高い誰かの腕の中で震えている。この炎をもたらしたのが、自分だけではないことはわかっていた。
『引き裂かれた姉弟! やがて戦い合う運命! ○○○○○の潜在能力を引き出すのにうってつけの舞台装置ではないか!』
何か聞き取れない単語があった。顔の見えない誰かの手を、赤銀髪の少女が握っている。赤い瞳はぼんやりと曇り、どこを見ているのかわからない。
『おねえちゃん』
手を伸ばしても届かず、振り向かず、ふたりは炎の向こうに消えた。
01/23-寂寥
あの後何年かして、腕の主に連れられて、惨劇の街を見に戻った気がする。街は再興されること無く、灰が降り積もって、沈黙と寂寥感に包まれていた。
『お前の役目は重いものだが』
手を繋ぐ相手が言った。
『必ずこのマルディアスを救う鍵になる。そのために、強くなれ。LINKSとして、ヴァーンの子孫として』
見上げると、逆光で顔の見えない、黒髪を整髪料でなでつけた、背の高い男性に見つめられていた。
(……あれ?)
ふと疑問が走る。
(ギルって、どんな顔してたっけ)
途端に。頭の天辺から爪先まで、激痛が走った。
01/24-軋む
身体が痛い。全身の骨が軋むように悲鳴をあげている。
「ディー、ク?」
拙い呼びかけが、現実を離れていた意識の襟首を掴む。炎に溺れていたかのごとき感覚が、冷えてゆく。ぜえぜえと喘鳴しながら顔を上げれば。
(ティナ?)
一瞬幼馴染に見えた顔が、紫髪の女性に変わる。蒼の瞳が心配そうにこちらを覗き込んでいる。
『ディックス? 大丈夫か?』
曇り硝子の向こうの養父の声も聞こえる。
「……大丈夫」
ふたりに返し、片手で顔を覆って深い息をつく。
自分は誰かを忘れている。大事な何かを見落としている。まるで、機械の歯車が合わなくて軋んだ音を立てるかのように。
01/25-覚醒
意識が覚醒してくる。現実をはっきりと認識する。
「とりあえず、暴走する獣の国に潜れってことだな」
『お前は察しが良くて助かるよ』
ギルガメッシュが微かに笑う気配がする。呼吸にしては機械的ではあるが。
「その間、このお姫様はどうしようか」
安全を期すなら、同僚であるエンリケあたりに託すのが無難だ。しかし。
「レティ、ディークと、いく。ひとりは、いや」
レイティスは、ぎゅっとこちらの袖をつかんでくる。その姿は、実の父に実験体としか見られていなかった幼馴染の孤独を思い出させる。
「……わかったよ」
途端に、皇女がぱっと笑顔の花を咲かせた。
01/26-輪郭
間接照明が灯る仄暗い部屋に、二人の人物の輪郭が浮かび上がる。一人は本革張りのチェアに深々と腰かけて葉巻をふかし、もう一人はひざまずいて頭を垂れている。
「よく知らせてくれた」
煙と一緒に、笑いを含んだ声が吐き出される。
「LINKSに喧嘩を吹っ掛ける体の良い理由ができた。ギルガメッシュは本当に目障りだからな」
もう一度、深々と葉巻をふかして、でっぷりとした体躯が揺れる。
「ディックス・フリーダンを追え。国内は儂が押さえる」
「かしこまりました」
間接照明に、金髪が照らし出される。
「すべては父上の望むままに」
01/27-邂逅
灰の海だった。
明らかに普通の炎で焼かれたのではない、『なにか』が地面を切り裂き焦がした跡。容赦無く絶たれた命の群れ。
『暴走する獣の国』ジュメールに向かったディックス達の前に現れた町は、惨劇の跡だった。
レイティスが怯えたように腰にしがみつく力を強くする。ディックス自身も、頭の奥がちりちりする。
生き残りを探すだけ無駄だろう。バイクを走り出させようとした時。
「み、みんなの仇い!」
幼い声と、銃声ひとつ。
弾はあらぬ方向に飛んでいったが、皇女が喉の奥で悲鳴をあげる。
咄嗟に銃を抜く。目が合う。
少年との邂逅だった。
01/28-羨望
「お前」銃を下ろし、少年に問いかける。「この町の生き残りか」
「おまえたちがやったくせに!」
向けられる銃口は震えている。持ち方もなっていない。たとえまた引鉄を引いたところで、こちらに当たる確率は一パーセントにも満たないだろう。
「俺達は南……アサル=アリムから来た。この破壊の跡は北から来ている。この意味がわかるか、ガキ?」
少年がはっと目を瞠った。成程、愚かではないようだ。
「おまえについていけば、母ちゃんたちの仇を取れる?」
ディックスの強さにすがるように。羨望を覚えたかのように、緑の瞳が見つめてくる。
いつか自分もこの目をした。復讐の、目を。
01/29-席捲
かつてファルメア帝国がマルディアス大陸の支配者として席捲していた頃、『鋼鉄の獣』という機械兵器が続々と開発された。鋼の皮膚と石油の血液を持つそれらはしかし、神の領域に手を出したひとへの天罰か、悉くが暴走し、それが帝国の斜陽を招いたとされている。
獣達はLINKS――帝国最終防衛機構が多大な犠牲を払って殲滅したはずだ。
だが、この町の惨劇の起き方は、まるで。
「なあ、なあ、兄ちゃん!」
いつの間にか銃をしまって目の前まで来ていた少年の声が、ディックスを現実に呼び戻した。
「兄ちゃん、ジュメールに行くんだろ? おれも行きたい!」
01/30-炯炯
半眼で、少年を見下ろす。
「ガキ、俺達は遊びに行くんじゃねーんだ。これだけ簡単に命を奪う相手の懐へ飛び込むんだぞ」
「それでもだよ!」
炯炯とした瞳で、少年は食いついてくる。
「ディーク」
レイティスが、袖を引いた。
「この子を独りで残していくのは可哀想。独りは、哀しい」
まるで正気に戻ったかのように流暢に語る皇女に驚く。その目はまたすぐにとろんと幼稚に曇ったが。
がりがり頭をかく。これ以上お荷物を抱えるのは正直気が進まないが、孤児をここに残して死なれたら、寝覚めが悪い。
「ガキ」溜息をひとつ。「名前」
少年はぱっと表情を輝かせた。
「マオ!」
01/31-終焉
冷たい風が吹く山麓にある工廠の奥で、科学者達が慌ただしく走り回り、タブレットに指を滑らせている。
「先日の出力は三十パーセント。それでも十分な火力でした」
眼鏡の研究者の報告を背に、長身の壮年の女は、べっとり紅を塗った口を笑みに持ち上げる。
「まだまだですよ」
女はねっとりとした声音で、背後の研究者に言いつける。
「アサル=アリムとアグレイシアを制して、我がジュメールが唯一の王者となるには、百パーセント引き出すのです」
古の魔獣のような『鋼鉄の獣』は、今は無数のケーブルに繋がれ、静かにたたずんでいる。
「『終焉の獣』、アヌナークの力を」
02/01-潜伏
マオを加えて三人になった一行は、サイドカー付きの中古車に乗り換え、戦争から逃げてきたきょうだいを装ってジュメールの国境街に入った。
上手く潜伏できたと思う。のだが、どうにも身体が重い。マオを拾った町を出てから五日。自分の悪い勘が当たるなら、潜伏期間を経た頃だろう。
「マオ」
だらだらと汗を流しながら少年の名を呼び、硬貨の入った革袋を放る。
「目立たない裏通りの宿で二部屋取れ。で、闇医者を探せ。間違ってもまっとうな医者を呼ぶなよ」
そこまで言ったところで、ディックスの意識は沈み込む。
「ディーク!?」
レイティスの声が遠くに聞こえた。
02/02-呻吟
浅い呼吸の合間に呻吟が混じる。氷嚢を載せても、高熱の前にあっという間に溶ける。
「こりゃ、アタシにもどうしようもないね」
お手上げ、とばかりに闇医者の女は両肩をすくめた。
「あんたら、同じ場所から来たんだろ? 伝染病にしても、なんでこのぼうやだけ発症して、あんたらがピンピンしてるのか、わからない」
「ディーク、しぬの?」
レイティスが涙目で闇医者を見つめる。女は溜息をつき、首を横に振る。
「ビザーリム研究所まで行けばあるいは。だけど、あんな気のおかしい連中の吹き溜まりにあんたらをやれないよ」
レイティスの表情が、絶望的になった。
02/03-狡猾
「レティ、間違っても兄ちゃんを救うためにビザーリムに一人で行くとかすんなよ」
マオはディックスにつきっきりの子供返り皇女に声をかける。どこの国にも属さない町で育ったマオにとっては、どこの国も敵だ。だけどディックスは、LINKSであることを隠さずに、レイティスがアグレイシアの皇女であることも話してくれた。自分を一人の男として見込んでくれたのだ。……と前向きな解釈をする。
「レティは兄ちゃんを看てろよ」
マオの言葉に、皇女はゆるゆる頷く。それを見て部屋を出る。
我ながら、こういうのは『狡猾』と言うのだったか。
「命賭けてみたいじゃん、男ならさ」
02/04-残照
マオは宿を出て裏通りを走る。
ビザーリム研究所というのがどこかはわからない。酒場に行っても、「ガキはおうちでミルクでも飲んでな」と叩き出されるだろう。
行くあても無いまま、山脈に落ちる残照をぼんやりと眺めていると、ひゅうっと冷たい風が吹いた気がして、顔を上げる。そしてぎょっとした。
いつの間にか、茶髪に黒瞳の女性がマオを見下ろしていた。気配など無かった。驚きで心臓がすくみあがる。
「あなた」女が口を開く。「ディックスを助けに行くつもり?」
何故知っているのか。警戒心を満たして睨みつけると、女はゆるゆると首を横に振った。
02/05-微睡む
青年にもたれかかったまま、微睡みに落ちたレイティスは夢を見た。
氷色の瞳を持つ男が、自分を見つめている。
『どうか今は、堪え忍んでください』
両手を握り締める手はひんやりとしている。
『ブリームの企みから貴女を逃すには、これしか無い』
貴方も一緒にと言っても、彼の決意が覆ることは無い。
『貴女は外からの援助を。私は内から奴を崩します』
そして彼は背を向けて去ってゆく。行かないでと手を伸ばしても届かない。
「ジーク!」
叫びながらばっと顔を上げる。
そうだ。何故忘れていたのだろう。こんなに大事なことを。
涙が頬を伝った。
02/06-遡及
「その言い分は認められません」
「しかしながら、皇女殿下」
凛と背を伸ばして睨み付けても、宰相は飄々と肩をすくめた。
「『皇王が政務に就けない場合、宰相にその権限を譲渡する』、これは陛下が倒れられた半年前まで遡及して有効です」
半年以上前からお前が仕込んでいたのだろうが。殴りかかりたい拳を握り締め、怒りを飲み込む。
「ならば、わたくしはやはりアサル=アリムに赴き、父上を治す術を探し、同時に、ジュメールに対抗する同盟を結んでまいりましょう」
ブリームがあからさまに嫌そうな顔をする。自分の背後で護衛騎士が痛快に唇を持ち上げる気配がわかった。
02/07-深淵
結局ジークハルトを皇都に置いたまま、少数の護衛を伴って国を出た。それをブリームが見逃すはずが無かった。
アサル=アリムの街道をゆく途中で、馬車が賊に襲われ、御者を斬り捨てられた暴れ馬は土手を落ちて、河に放り出された。
深淵に沈みゆく中、護衛騎士の名をあぶくで繰り返しながら、意識を失い、すべてを仕組んだ宰相の手の者に引き上げられた時には、理性も失っていた。
護送の途中で、LINKSと戦闘になっていなかったら、自分は人知れず消されて遺体が国に帰っていただろう。
だが、自分は生きているのだ。
「ディーク」
苦しそうな青年に呼びかける。
「ありがとう」
02/08-禁忌
ティナ・シュミットと、女性は名乗った。ディックスの幼馴染だとも。その割には、アグレイシア軍の兵服を着ていて、どうにも胡散臭い。
「信じなくてもいい。でも、今は目的を同じにする同志だと思って」
無表情で言い切るのも怪しい。だが、マオの子供ながらの勘は、嫌悪感で突き放すのは悪手だと告げていた。
「おそらく、ジュメールは禁忌を犯した。LINKSの介入を恐れ、始祖種ヴァーンだけを殲滅するウィルスを、『鋼鉄の獣』に搭載していた」
淡々と語るティナの話が全部わかるわけではない。ただ、子供の自分にもわかる。ジュメールが、三国一の悪党だと。
02/09-翻弄
ティナと共にゆく道は、戦争に翻弄されたひとびとの絶望の残骸だった。建物の陰にもたれかかったまま息絶えている軍人。明日の食料に餓えた老人。親を求めて泣いている、自分より幼い子供。
「ジュメールは敵じゃないの?」
彼らに目もくれずすたすたと進むティナとの沈黙に耐えかねて訊ねれば、彼女は淡々と返してくる。
「たしかに、戦に敵と味方はある。だけど善悪は無い。誰もが我が国が正義だと言い張り、誰もが己の悪行から目を逸らす」
少年を見下ろすティナの表情は、やはり冷たいままだ。
「あなたはこちら側に来てはいけない。撃たずに、ただ公正に、事実を見ていて」
02/10-瓦礫
瓦礫の山を漁っている少女がいた。服は薄汚れて、むき出しの腕や足はあちこちが傷ついている。埋もれそうなほどに体を突っ込んで、何かを探している。
「……何やってんだよ」
マオは見過ごせず声をかける。少女はびくりと身をすくませ、のそのそと這い出てきた。
「ママの」
つぶらな目を潤ませる。
「ママの形見のペンダントが、この中に」
見つかるはずが無い。潰されて、自分も瓦礫の一部になるのが関の山だ。そう告げようとした時、ティナが瓦礫の前に膝をついて、手を触れる。そこから鉄屑の山が凍りついて砕け、きらきら光るトパーズのペンダントが残った。
02/11-昏倒
「ありがとう、おねえちゃん!」
母の形見を胸に、精一杯手を振り笑顔で去ってゆく少女を見送りながら、マオは思考に沈む。
ジュメールの全てが悪ではない。同じように、三国のどこかで、誰かがひとを救って、誰かが罪を犯している。
(おれにできることって、何だろう)
非力な少年は思い悩む。
その傍らで無感情に少女を見送っていたティナが、不意に膝を折って倒れ込んだ。
「おい!?」
昏倒した彼女にとりすがると、体が酷く冷たい。まるでディックスの逆のように。
どうすれば良いのか。泣き出しそうになった時、背後からそっと伸ばされる、熱を帯びた手があった。
02/12-呪縛
「心配しないで」
知らないけれど、誰かを想起させる声が耳を撫でる。
「シュミット博士がこの子に課した呪縛よ。ひとを傷つける以外に力を使うことを許さないの」
何故そんなことを知っているのか。振りあおげば、赤銀髪を高い位置でとめた、赤い瞳の女性が、ティナに手をかざしている。その手は熱を持ち、冷えた体を温めていた。
「私も同じ。ビザーリムの研究者たちに、ひとをあやめる力を強化されている」
求めていた場所の名が出てきたことに目を真ん丸くするマオに、女性は哀しげに目を細めた。
「私はアヌナークに支配されている。ほんの少しの時間しか、意思が自由にならない」
02/13-歪曲
「ビザーリム研究所は、いえ、ジュメールは、この世界の理を歪曲させた」
ティナの体を温めながら、女性はとつとつと語る。ティナも無感情だが、このひとも喜怒哀楽が感じられない。
「『鋼鉄の獣』に武器を搭載してはならない。必ず暴走して、マルディアスを破壊する。その摂理に逆らった」
なんだかとんでもない話を聞かされている気がする。マオが戦慄すると、女性は、ティナにかざしているのと逆の手で薬瓶を取り出し、こちらに託した。
「私以外のヴァーンを殲滅させるウィルスの特効薬よ。私の血から作っているから、弟には必ず効くはず」
驚愕の事実を添えて。
02/14-果断
「ミランダねえさん……?」
ティナのか細い声が、マオの驚きを更に上書きした。この二人は知り合いなのか。
「久しぶりね、ティナ」
まだ気だるそうなティナに、ミランダと呼ばれた女性は笑みかける。しかし、不意にその眉間に皺が寄り、苦悶の声がもれる。
「そろそろ時間切れね」
ミランダは身を起こして立ち上がり、マオとティナそれぞれに視線を送る。
「弟に、ディックスに伝えて。アヌナークを滅ぼすのは、LINKSとして育った貴方の果断次第だと」
直後、炎がミランダを取り巻く。哀しそうに微笑んで、彼女の姿は炎と共に、その場からかき消えた。
02/15-払暁
払暁が迫る。国境の街まで戻ってきたマオとティナは、裏通りの宿屋の一室へ駆け込んだ。すると。
「お帰りなさい」
ディックスに傍付いていたレイティスが、すっくと立ち上がった。今までのように怯えた態度ではなく、背筋を凛と伸ばして、意思の感じられる瞳をしている。
「レティ」少年の脳裏を予感が過る。
「今はそれより、ディークの治療を」
皇女に促されて、ディックスのもとに駆け寄り、ミランダに渡された液薬を傾ける。しかし、もう自力で嚥下する力も無く、流れ落ちる。
「飲めよ、馬鹿!」
涙目になるマオの隣で、ティナがやおら薬を含み、ディックスに口移しした。
02/16-忘却
血のような何かが流れ込んでくる。それと同時に、忘却の彼方にあった光景が、はっきりとした形を取り戻す。
『引き裂かれた姉弟! やがて戦い合う運命! アヌナークの潜在能力を引き出すのにうってつけの舞台装置ではないか!』
そうだ。現ジュメール議長マルセナの父親が、姉を連れ去った。禁忌の『終焉の獣』アヌナークを御する鍵として、ヴァーンの子孫である姉弟の片割れを。
(ミランダ姉さんだ)
その時に彼は、ギルを撃った。血を流す腹部をおさえながらも、彼はアサル=アリムに帰りつき、そして。
そこまで思い出した時、意識が現実に回帰する。ティナの顔が間近にあった。
02/17-陶酔
自分が昏睡状態にある間に、状況が変わっていることはわかった。
レイティスは自我を取り戻し、ティナがマオと共に自分を救うべく奔走して、そして、生き別れの姉が、自分を助ける薬をくれたこと。
そしてその姉ミランダこそが、十五年前、アヌナークの核としてジュメールに連れ去られたことを。
「マルセナ議長は、自分が大陸の支配者だと自己陶酔しています」
まだ火照りの残る体をベッドの上に起こして、しゃんとしたレイティスの話を聞く。
「わたくしは、アサル=アリムに戻り、ギルガメッシュ殿に改めて和議と同盟を求めるべきだと思っております」
02/18-執着
「たちが悪いなら、アサル=アリムも同じだな」
ディックスは苦々しく顔をしかめ、大統領のでっぷりした姿を思い出す。あの狸は、世界の覇権を握ることに執着し、いかにしてギルガメッシュとLINKSを追い落とすかに策謀を巡らせている。裏でアグレイシアともジュメールとも繋がっている可能性がある。
どいつもこいつも、相手を出し抜くことばかりを考えて。
「一刻も早く、ギルの元へ戻って、馬鹿共を迎え撃つ準備をととえないと」
そう言ってベッドから降りようとしたが、解熱したばかりの消耗した体は言うことを聞かない。ふらりとよろめいたところに、ティナの冷たい手が触れた。
02/19-剽悍
「ええい、まだですか! アヌナークの再起動は!?」
マルセナはつりがちな目をさらに狐のように吊り上げて、科学者たちを叱責する。
「ヴォルフ大統領も、ブリーム宰相も、ジュメールをなめきっているのですよ! 早々に焼き尽くすべきです!」
「し、しかし」
「うるさい!」
議長はたじろぐ科学者からタブレットを奪い、アヌナーク起動フェーズを進める。『鋼鉄の獣』に火が入り、強化ガラスの目が光る。
直後、アヌナークは獣のごとく吼え、ケーブルを引きちぎり、炎を吐いた。
「な……ぜ?」
剽悍な獣の暴走の前に、マルセナは笑顔で凍りついたまま、炎に包まれた。
02/20-欺瞞
「なあ」
マオはフォークで豆をつつきながら、隣でスープをすするレイティスに呼びかける。
「いいのかよ?」
ディックスのことだ。彼はティナと共にどこかへ行ってしまった。青年を慕っていた子供返りの頃を知っているだけに、納得がいかない。
「いいんです」
しかし、皇女は平然と返してくるのだ。それが、彼女が遠くに行ってしまったようで、少し寂しい。
「この欺瞞に満ちた世界で生き抜くには、彼らは優しすぎる。わたくしのような為政者が、責任を負うべきです」
「なら!」
マオは思わず声を高める。
「おれがレティを支える!」
蒼の瞳が驚きに瞠られ、それから細められた。
02/21-憧憬
熱と冷気が、決して混じり合うこと無く、しかししっかりと手を繋いでいる。
「私は、ミランダ姉さんが羨ましかったのだと思う」
他人事のように淡々と、幼馴染は憧憬を語る。
「姉弟というだけで、あなたと深い繋がりを持っていたから。私は、父にも愛されていなかったから」
否定できない。シュミット博士は、己が娘のことも、異能の実験台としか見ていなかったから。
だが、だからこそ、伝えなくてはいけない。
「俺がいる」
強く手を握り込む。
「お前の感情まで凍っても、いくらでも呼んでやる」
無感情だった瞳に光が宿る。
熱と冷気を交換するかのように、くちづけた。
02/22-虚無
夜が更けて、ディックスたちは宿に戻った。部屋では、しゃんとしたレイティスと、何だか不機嫌そうなマオが待っていた。
「ギルに連絡を取る。迎えがくるはずだから、しばらく待っててくれ」
イヤホン式のLINKS通信端末でギルガメッシュを呼び出す。しかし、いつまで経っても応答が無い。いぶかしんだ時。
「LINKS本部は大統領府の管轄下に入ったぜ」
軽い調子で、しかし驚くべき事実を告げながら、入ってくる男がいた。
「エンリケ……?」
同僚は笑っている。しかし、虚無の底のような感情の死んだ瞳で、銃口をこちらに向けながら。
「レイティス皇女にご同行願おうか」
02/23-煽動
「ヴォルフ大統領、いや、父上のご命令だよ。LINKSは応じなかったから、隊員は拘束させてもらった。隊長は逃げおおせたがね」
衝撃が走る。僚友だと思っていた男は、あの狸の子飼いだったのか。
「アグレイシアとジュメールとは、徹底抗戦に入る。民衆も父上の演説に沸き立ったよ」
愚かな煽動に愚かな民が誘導されたのか。ひとつ息をついて、銃を抜く。
ふたつの銃声が、夜更けの裏通りを突き抜ける。
ディックスの弾はわざとエンリケを外した。だが、友と信じていた男は、こちらを撃つ気満々だったろう。しかし、痛みは感じない。なのに、床に血の池が広がった。
02/24-収束
目の前の光景を否定しかけた。ティナが床に横たわっている。その下から、赤いものが流れ落ちている。
「急所は外したか」
エンリケが、さしたることは無さそうに吐き捨てて、改めてレイティスに銃口を向ける。
「皇女様。貴女が来て、敗北宣言ひとつしてくれれば、アグレイシアとは共同戦線を張れるんですよ。アヌナークの光線が収束して焼くのは、そっちの国の兵士だけどね」
「ギルがそんな事を許すはず」「LINKSはもう存在しないんだよ」
銃声がして、頬をかすめる。エンリケはこちらを撃つ事に躊躇いが無い。
やるしかないのか。逡巡した時、ティナがふらりと立ち上がった。
02/25-渺茫
「ディックスは殺させない」
血に染まった脇腹をおさえながら、ティナは変わらぬ淡々とした声を張る。見れば彼女の傷口は凍って、既に血は止まっていた。
「だけど、レイティス様も見捨てられない。皇女様の身の安全のために、わたしもついてゆく」
「自分から人質を増やしてくれるとは、よくできた部下だな、皇女様?」
エンリケの嘲弄に、レイティスは唇を噛む。
「ディックスとガキは動くな。女二人だけ来い」
銃を向けたままエンリケが手招きするのに従い、レイティスとティナは部屋を出てゆく。皇女が去り際に何か口を動かした。
取り残された二人は、前途渺茫のまま、立ち尽くして。
02/26-慟哭
ふらりとよろめいて、尻餅をつくようにベッドに座り込む。
「何やってんだよ、兄ちゃん!」
マオが涙目で食いついてきた。
「悔しくないのかよ!? 二人を助けに行かないのかよ!?」
言われて色んな考えが巡る。
姉をジュメールに奪われたこと。ティナがいなくなったこと。ギルガメッシュの顔を思い出せないこと。エンリケに裏切られたこと。
「……悔しいに決まってるだろ」
拳を握り締めれば、ぽたり、と涙が落ちる。自分のものだと気づけば、感情の渦は逆巻いて止まらなかった。
慟哭が迸る。
本当はずっと泣きたかった。奪われたくなかった。
子供のように、泣き叫んだ。
02/27-逡巡
「兄ちゃん!」
マオが握り拳を作って訴えかけてくる。
「レティ達を助けにいこう! 兄ちゃんならできるだろ!?」
少年の言葉に迷う。ティナは自分よりレイティスを選んだ。ここから先は、あの狸とアグレイシアの戦いではないだろうか。自分の出番は、もう無いのではないか。
遅疑逡巡するディックスに、マオが苛立って殴りかかろうとした時。
『ディックス、待たせたな』
行方不明のはずのギルガメッシュの機械的な声が、通信機に届く。
かと思うと、駆動音と共に窓の外がにわかに暗くなり、鳥の姿を持つ『鋼鉄の獣』が現れたことに驚き戸惑う人々のどよめきが聞こえた。
02/28-胎動
『心配をかけたな』
宿に姿を現したのは、精巧なアンドロイドだった。抜け落ちていた記憶のピースがかちりとはまる。
そうだ。ギルガメッシュは深傷を負い、シュミット博士の腕前で、体をまるごと機械に入れ替えた。そして脳を、LINKSが唯一保有する『鋼鉄の鳥』エンリルを制御するために、機体の中枢に埋め込んだのだ。
だから、エンリルを今動かしているのは。
『立て、ディックス。アサル=アリムへ戻るぞ。アヌナークが、マルディアスを焼き尽くす前に』
決戦に向けた胎動が始まったのを感じる。
一度だけ顔をうつむける。たが。
「了解」
不敵な笑顔で養父を見上げた。
03/01-撹拌
「ディックス!」
「無事だったか!」
「ったく、悪運はいいよなお前も」
マオと共にエンリルに乗り込むと、LINKSの同志達が出迎え、ばしばし叩いてきた。狸に拘束されたはずではなかったかと思うが、ギルガメッシュの機械化を思えば、留置所の鍵を無効化するのも朝飯前だろう。
「俺達も行くぜ、あの狸とエンリケの野郎をぶっ飛ばしによ」
頼もしい同僚達に笑い返した時。
ごう、と炎が窓の外をなめ、さっきまでいた町を一瞬にして火の海にした。
人も建物も溶け、まるでクリームのように撹拌されてどろどろの大地になる。その上を、『終焉の獣』アヌナークが飛び去っていった。
03/02-萌芽
行く先の大地を焼き尽くしながら、アヌナークはアサル=アリムへ向かって飛んでゆく。幸い、武器を搭載せずに御せる分、エンリルの方が速く飛べるので、破壊の萌芽がヴァルファレスを覆う前に、首都に帰りついて、大統領の手からレイティス達を取り戻さなくてはならない。
彼女はアグレイシアとの和平の為に必要な存在だ。決して失われてはならない。
それと同じくらい、ティナは自分の中で深く根を張っている。家族に恵まれなかった彼女には、もう自分しかいない。次に手を握ったら、もう二度と手を離さない。
決意するディックスの視界に、アヌナークの接近で混乱する首都が見えてきた。
03/03-爛漫
摩天楼が並び立ち、その輝きから『爛漫の夜景』と呼ばれた、アサル=アリム首都ヴァルファレスは、混乱の極みにあった。誰もが破壊兵器の接近に混乱に陥り、首都を脱出しようと押し合い圧し合い、老人が踏み潰され、親とはぐれた子供が人波に流されるのが、エンリルの窓からでも見える。
混沌の極みを眼下に見ながら、エンリルはただひとつの建物を目指して飛ぶ。
ヴォルフ大統領が君臨する、エヴァータワーを。
『最上階に着けるぞ』
脳を組み込まれたギルガメッシュが、エンリル内に響き渡る機械音声で告げれば、LINKSの誰もが、手を叩いて喝采の嵐を巻き起こした。
03/04-朧
強化ガラス越しに朧気に見える満月を、革張りチェアに座りながら見上げて、ヴォルフ大統領はぷかぷかと葉巻をふかしていた。やがて振り向く先には、エンリケに銃を突きつけられたレイティスと、その後ろに、顔色の悪いティナがいる。
「簡単なことですよ、皇女殿下」
でっぷりとした体を持ち上げ、レイティスの鼻先に葉巻を突き付ける。
「皇国と連絡を取る手段はお持ちでしょう? 貴女の騎士に、宰相を通して敗北宣言一言お願いします、と言えば、この戦いは終わる」
「終わりません」
皇女は強い目力で見返す。
「あなた方権力者の起こした戦は、ただの破壊行動です」
03/05-予兆
大統領の顔が醜く歪んだ。葉巻の火をレイティスに押し付けようとした瞬間、ティナが咄嗟に腕を割り込ませて、そこで火を受けた。兵服が焦げて肌にも確実に火傷を負ったはずなのに、苦痛ひとつ見せない。それには、大統領もエンリケも唖然とする。
さらには、駆動音が強化ガラス越しに聞こえてくる。
それを予兆に、ガラスを破る大轟音が響いて、『鋼鉄の鳥』エンリルがエヴァータワーの最上階に突っ込んできた。
「レイティス!」
仰天して腰を抜かす大統領にも、呆気に取られるエンリケにも構わず、搭乗口から身を乗り出してディックスは叫んだ。
「ティナも! 一緒に来い!!」
03/06-孤独
ずっと独りだと思っていた。
父に愛されず、周囲からは敬遠され、兵士達と出撃しても距離を取られた。
孤独の中で、独り心まで凍りついて、人生を終えるのだと思っていた。
それなのに。
「ティナ!」
その身に始祖種の血を宿した幼馴染は、炎のように情熱的に自分の名を呼び、手を伸ばすのだ。
まるで、灰になって燃え尽きても構わないと。その灰の中から、伝説の不死鳥のごとく蘇ってみせようとばかりに。
手を伸ばそうとしたところに、エンリケが銃を向ける。一睨みでその手ごと氷結させる。
レイティスが『鋼鉄の鳥』に乗り込む。それに続けば、しっかりと抱き締められた。
03/07-幻視
皇女とその護衛を連れて、『鋼鉄の鳥』がエヴァータワーから飛び去る。びょうびょうと高層の風が吹き込む中、エンリケは、へたり込んで変な笑いを漏らし続ける大統領に目を向けた。
「は……はは……。儂が三国を……マルディアスを……」
葉巻が手からぽろりとこぼれ落ちる。最早彼は、自分が覇者になる、ありえない未来を幻視して、エンリケのことどころか、現実も見えていないだろう。
砕けたガラスのカンバスに、『終焉の獣』アヌナークが大写しになる。大統領は、迫る死を認めず笑っている。
これが裏切り者の末路か。
エンリケの凍った手が砕け落ち、アヌナークが火を吹いた。
03/08-散逸
アヌナークは『終焉の獣』さながら、ヴァルファレスに破壊をもたらした。地面が燃え、建物が溶けて、人々が逃げ惑う。国軍の将は散逸した兵を引き留めようと必死だが、人の力の及ばぬ獣の前には無力だった。
「ギル」
ディックスは銃に弾込めをしながら、養父に呼びかける。
「皇女の言葉を三国救難チャンネルで。その間に俺がアヌナークに乗り込んで、姉さんを」
言いさして一瞬目を閉じ、無邪気に笑っていた赤髪の少女の幻を振り払う。
「アヌナークの核を撃つ」
『……わかった』
こちらの覚悟を受け取ってくれたのだろう。アンドロイドの養父はこくりと頷いた。
03/09-瓦解
「ディックス」
冷たい手が、銃を握る手の甲に触れた。
「私も行く。炎のヴァーンの加護を受けるアヌナークには、私の力が効くかもしれない」
ティナはあくまで淡々と語る。正直なところ、彼女を死地に同行させたくはない。ティナには、日の当たる場所で穏やかに笑っていて欲しい。
彼女が一人でそれをすることを望まないと知っているから、ディックスは溜息ひとつ落とし、幼馴染の黒い瞳を見つめる。
「俺から離れるなよ」
ティナが軽く頷く。
『お前達が失敗すれば、全てが瓦解し、マルディアスは滅びる。心しろ』
ギルガメッシュが告げる中、エンリルはアヌナークに接近した。
03/10-煽情
『アグレイシアの皆さん、今こそ反撃の時です』
艶を帯びた煽情的な声がラジオから聞こえる。違う。彼女はこんな、女を武器にした媚びるような喋り方をしない。
『ジュメールはアサル=アリムと共謀して破壊兵器を持ち出し、天罰を食らいました。正義は我々にあるのです。アグレイシアこそが、マルディアスの頂点に立つべく、皆さんのお力を貸してください』
彼女と全く違う容姿の女性が放送機器に向かって語るのを、ブリームがにやにやと満足げに見守っている。
いっそここで斬り捨てられたら。歯痒さを噛み締めていると。
『皆さん、騙されないでください』
凛とした声が割り込んだ。
03/11-残響
『わたくしは、アグレイシア第一皇女レイティス・ナディア・アグレイシアです。LINKSの皆様のお力を借りて、今、皆さんに語りかけています』
三国救難チャンネルを使ったレイティスの言葉は、煙を立てる都市に、煤まみれの顔の人々の耳に、残響を伴って広がる。
『この戦争は、三国の野心を抱く者達が皆さんを煽動し、泥沼化させました。ですが』
一瞬息継ぎをして、皇女は続ける。
『終わらせるのも人の力だと、わたくしは信じております。現に今、わたくしの大切な仲間が、「終焉の獣」に立ち向かっています』
マイクに向かう凛とした横顔に、マオは思わず見入っていた。
03/12-耽溺
『皆さん、どうか、目の前の事実に目を向けてください。野望に耽溺する者の、甘い言葉に踊らされず、目にしたものを信じてください。その為にも、まずは隣人を救い、手を取り合ってください』
皇女の言葉に、ただ迫り来る恐怖にとらわれていた人々が、顔を見合わせ、手を伸ばす。
「誰か、手を貸してくれ! 助けるぞ!」
足が瓦礫の下敷きになって動けない女性を、人が集まって救い出す。
彼らの見上げる先には、『鋼鉄の鳥』が翼を広げている。そこから『終焉の獣』アヌナークに乗り移るふたつの人影があるのを見届けた者は、ほとんどいなかった。
03/13-慈雨
干天の慈雨だ。ジークハルトは唇の端を持ち上げた。
「み、皆さん! 騙されないで! わたくしが!」
慌てて取り繕うが、所詮ブリームの愛人だった下級貴族の女に、本物の皇女を超える言葉は出せまい。
「黙れ、馬鹿者が!」
ぱん、と乾いた殴打の音が響く。
「役に立つかと目をかけてやれば、肝心なところでしくじりおって! 皇家を乗っ取る計画が台無しだ!」
ブリームは女を罵る。愚かの極みだ。
「まだ放送が入っていることをお忘れか?」
ジークハルトの揶揄に、宰相ははっと放送機器を振り返る。
「咎人の断末魔を、アグレイシアの民に」
鋼の刃が、振り上げられて。
03/14-変貌
迷宮のようなアヌナークの体内を、ディックスとティナは駆け抜ける。普通の廊下に見えた通路が、侵入者を関知して防衛機構が作動し、生き物のように胎動して、迎撃システムがずらりと並んだ、獣の腹の中のごとくに変貌する。
放たれた光線を転がってかわし、起き上がり様に銃弾を撃ち込む。一撃は鋭く防衛機構を穿つ。ティナが一睨みしただけで砲口は凍りついて沈黙する。
身体の奥で血が騒ぐ。この奥に、いる。
血を分け合ったきょうだいが。アヌナークの核が。
「ディックス!」
思考を逸らした瞬間、ティナが珍しく感情的に叫ぶ。目の前に飛び出した彼女の脇腹を、光線が貫いた。
03/15-興趣
「ティナ!」
血を吐いて倒れ込む幼馴染の身体を支える。長年の反射で、傷口を凍りつかせて血を止めたようだが、傷の深さは誤魔化せまい。
『興趣があるだろう?』
奥の扉から女の声が聞こえる。
『愛する女の命が尽きる前に、「私」を撃たねば、世界が終わるぞ』
ティナを横抱きにしたまま、扉へ向かう。扉はディックスを待っていたかのように自動で両開きになる。
そこにあったのは、脈打つ巨大な心臓、アヌナークの核。そしてそれに下半身が埋まり込むように同化している、赤い髪の女性。
「……ミランダ姉さん」
名を呼べば、核は、あかい唇をつり上げてにたりと笑った。
03/16-凛冽
炎が鞭のようにしなって襲いかかってくる。ティナを抱いたままではまともに戦うことができない。
「……ディックス」
逡巡していると、幼馴染が必死に声を絞り出した。
「このまま、核のそばへ。私が、一撃叩き込んで、あなたが撃つ、隙を作る」
彼女にこれ以上の無茶はさせたくない。命にも関わるだろう。だが、それ以上の最善の策も無い。ひとつうなずくと、床を蹴った。
ミランダは最早自我が無いのか、高く笑いながら炎を振り回す。かわせるものはかわし、かわしきれないものは甘んじて食らって、アヌナークの核に肉薄する。
ティナが手を伸ばす。凛冽な一撃が、核を凍らせた。
03/17-穿つ
「ありがとう、ティナ」
幼馴染に静かに礼を述べ、彼女を片腕に抱いたまま、銃を取り出し、アヌナークの核に向ける。
「……ディッ……クス」
ぽろぽろと氷の破片を零しながら、アヌナークの核が、いや、ミランダが、弟の名を呼んだ。
「マルディアスの未来を、あなたの手で」
ミランダが微笑む。幼い頃自分に向けてくれた、あの無邪気な笑顔で。
手が震える。銃口がぶれる。
だが、やり遂げなくてはならない。レイティスが望み、LINKSが守ろうとし、自分が開く、未来のために。
「……姉さん」
小さく呟く。
「さよなら」
銃声が響き、そして、核の額を穿った。
03/18-堆積
アヌナークの攻撃で溶け落ちた建物の残骸が、土砂のように堆積している。そんな中でも、人々は手を取り合い、助け合い、必死に生き延びようとしている。
完全に動きを停止して彫像になった『終焉の獣』から、ディックスは足を踏み出した。
『よくやった、ディックス』
ギルガメッシュの通信が入る。
『私の心残りもようやく片付いた。エンリルの中で永い眠りにつくよ。「鋼鉄の鳥」が再び必要となる日まで』
「……ああ」
ぼんやりと返事をして、付け加える。
「おやすみ、父さん」
それきり通信が切れる。
腕の中の、完全に生命活動を凍らせた幼馴染に視線を移した。
03/19-虚飾
「ティナ、終わったよ」
固く瞳が閉じられた幼馴染に呼びかける。そうすれば目を開いて、自分をその目に映し出してくれるのではないかと期待して。
だが、現実は残酷だ。
三国上層部の虚飾に満ちた野望の果てに、大陸は大きく破壊され、国家は機能をなさず、愛する人は。
「ティナ」
名前を呼ぶ。何度も。ぽたぽたと涙が零れ落ちる。たとえ自分が燃え尽きて灰になってもかまわない。ヴァーンの炎が、彼女に命の灯火を与えてくれるなら。
『大丈夫、ディックス』
姉の声が聞こえた気がした。かと思うと、冷たかった頬に赤みがさす。
長い睫毛が震えて、黒い瞳がその下から現れた。
03/20-陽炎
奇跡は起きた。
アグレイシア皇女が終戦を宣言する放送は、三国救難チャンネルで流れ続ける。
今はまだ、陽炎のように儚い希望でも、いつか必ず大地は息を吹き返し、花を咲かせるだろう。人々は生きることを諦めず、国を越えて手を握り合うだろう。
東の空が白んでくる。マルディアスの大地に新しい朝がやってくる。
灰になるまで呼び続けた声は、愛しい人を呼び戻した。この先彼女がどれだけ生きるかなどわからない。それでも、彼女が、生きていて良かったと最期に笑えるように、寄り添っていよう。
『皆さん、おはようございます』
レイティスの声が、明るく響き渡った。
03/21-彼岸
『やあ。彼岸の淵から語りかけさせてもらっているよ。
マルディアスは「終焉の獣」の破滅からは逃れた。だけど、この話には続きがあるんだ。
眠りと現のはざまで、私が泡沫のように垣間見ている彼らの景色を、君達にも見てほしい。
だから、もう少しだけ、死にぞこないの見る夢に、付き合ってくれるかな?
見てほしいんだ。
朝が来て、花が芽を出し、新しい世界に向かって努力する人々の姿を。
そして、歴史に名は残らないが、たしかに英雄だった、我が息子の行く末を』
03/22-掠奪
世紀末、というものがかつてあったらしい。マルディアスの『鋼鉄の獣』より凶暴な兵器が地を焼き尽くし、死の灰が降り注ぐ世界で、生き残ったひとびとは掠奪の暴力に怯えるしか無かった。そこに、必殺の拳を繰り出す救世主が現れたと。
「それ、旧時代の創作だろ」
ほかのメンバーのからかいに、LINKS隊員の青年は、顔にかけていた漫画本を持ち上げて、身を起こす。
「まあそうだけど」
そして、復興の重機の音が鳴る、ターミナル・ゼロの窓外へ視線を馳せる。
「現実の救世主殿は、拳じゃなくて、銃で終わらせたからなー」
03/23-隠蔽
「ブリームが隠蔽した悪行につきまして、証拠をまとめてきました」
「ありがとう」
執務机に向かうレイティスに、ジークハルトが書類の束を渡す。
アグレイシアに帰ってからの皇女は、まだ回復しきらない父皇王に代わって、戦後処理に慌ただしい。三国の中でアグレイシアだけが、アヌナークの被害を受けなかったのもあって、他国への援助にも追われる中、宰相の悪事の後片付けもしないといけない。
そんなに大変なのに、国に残っているだけだった護衛騎士は淡々と仕事を運んでくる。
「レティ、少し休みなよ」
侍従見習いになったマオは、ぷうと頬を膨らませる。皇女が苦笑した。
03/24-脈動
「おーい、誰か来てくれ!」
ビザーリム研究所跡の片付けをしていた作業員が、瓦礫の山の上から手を振った。ヘルメットをかぶった同僚達が集まると、彼は手にした計測器を指差す。
「妙な波形が見えるんだ」
まるで、その下で何かが脈動しているかのように、計測器は微弱な振動を感じ取る。
「『終焉の獣』を格納していた場所だからな。幽霊が出てもおかしくないくらいさ」
「気にすんな気にすんな!」
作業員に言い置いて、仲間達はそれぞれの作業に戻る。
「……マジで怨霊だったりな」
それきり彼もその場を立ち去る。
『私が……マルディアスを……』
怨嗟は誰も聞きもせず。
03/25-転変
世の中は有為転変する。マルディアスでも、三国の力関係は常に変化してきたし、ファルメア帝国が大陸の唯一絶対として君臨していたこともある。その前には、幾つもの小国が乱立して、果てしない争いを繰り返していた。
「今の世が、一番平和だよ」
瓦礫を背に、老人は子供達に語る。まだ街は復興の途中だが、作業をする若者達の表情は明るい。誰もが、長き闘争が終わったことを確信している。
「これからは、お前さん達が、マルディアスの平和を保ってゆくのだぞ」
それを見届けられるまでわしは生きられぬが、と、老人は手にした杖に寄りかかって笑った。
03/26-嗚咽
ふらふらと。溶け果てた建物の間を歩いてゆく男がひとり。顔には火傷の跡があり、右手は手首からぽっきりと折れたかのごとく無くなっている。薄汚れて擦りきれた服をぼろのように纏って、虚ろな目で歩いてゆく彼に、声をかける者はいない。
道に落ちていた岩に足をひっかけ、簡単にバランスを崩して倒れ込む。がん、と痛そうな音がして、こめかみのあたりからじんわりと血が地面に広がり始めた。
「父上……」
子供のようにぽろぽろ涙を流しながら嗚咽する彼を、助けるものはいない。
その襟元から、首にかけたドッグタグが覗いている。
No.1412 LINKS所属
が見える。
03/27-宿命
『あの姉弟が戦うのは、定められた宿命なのだよ』
おかしな笑いを洩らしながら、父はメスを握っていた。
『だから、お前がそこに関わるのも宿命なのだ。役に立たなければ、お前が生きている意味も無い』
泣きたくても泣けなかった。泣きたい、という感情さえ凍りついていった。
なのに、彼は自分を呼んで手を伸ばしてくれた。宿命とか運命などくそくらえとはかりに。ただ一人の大切な幼馴染として、灰になっても構わないとばかりに呼び続けてくれた。
隣で寝息を立てる、どこか幼い寝顔を見つめる自分の胸に、氷を溶かす温かい火が灯るのを感じる。
生きていて良かったと、やっと思えた。
03/28-黎明
三国が統一されて、新生皇国ができることになった。帝国では、ファルメアの悪行を継ぐようで、かといって三国のいずれかを名乗っては、その国が戦勝国のようになる。
三国の生き残った重臣達が頭を悩ませた末の、レイティスを皇王に据えた、『マルディアス統一皇国』の誕生であった。
『黎明期には、ぶつかり合いも、わだかまりもあるでしょう』
戴冠式で、豪奢な衣装に身を包んだ皇王は演説した。
『それでも、皆さん手を取り合って、マルディアスの未来を共に拓いてゆきましょう』
ラジオから流れてくる、凛と張った声に、あの子供返り皇女も立派になったな、と笑みをこぼした。
03/29-泡沫
泡沫の夢、という言葉があるのは、皇王のもとで学び始めて知った。
彼女にはもっと自由に生きて欲しいのに、三国の責任を一身に背負って、逃げることもできない。
「それが上に立つ者として生まれたあのお方の決めた道だ」
護衛騎士は相変わらず平然と言い放つ。
だから決めた。
侍従見習いなんてのうのうとしていないで、剣を取って彼女を守ると。
『あなたはこちら側へ来てはいけない』
かつて言った女性の顔を思い出す。
彼女とその幼馴染の青年を守ることにも繋がるのだ。自分が傷つくことくらい、全然構わない。
そうして、少年は夢から覚めて大人になる。
03/30-虚妄
「『終焉の獣』を倒したのは、この俺様だぜ!」
「嘘つくんじゃねえ! お前みたいな図体ばかりのやつに、あのデカブツを止められるはずがねえだろ! 俺こそが英雄だ!」
「君達、待ちたまえ。本物を前に、それは無いのではないかい?」
ヴァルファレス市街の燃え残った場末の酒場では、今日も虚妄に満ちた、嘘つきどもが囀ずっている。
「はいはいはいはーい。虚飾も妄言もそこまで」
そこに、LINKSのジャケットを羽織った数人の男達が入ってくる。
「俺達の英雄様を騙る奴らは、LINKS権限で逮捕しちゃおうかな~」
「す、すみません出来心でっす!」
今日も揉め事は絶えない。
03/31-凋落
庭に咲いていた花は、すっかり凋落した。
彼女が弱ってゆく日々を数えるように、ひらり、はらりと、少しずつ数を減らしたのだ。
だが、それと引き換えに、大切な思い出はひとつ、またひとつと、積み上がっていった。
「ありがとう」
今際の際に、彼女は凍っていた感情が溶けた、心からの笑みをひらめかせた。
「あなたのおかげで、幸せな人生だった」
愛する人は眠った。養父も永き停止をした。生きている仲間達は、大陸を立て直し、今も先頭に立っている。
ならば、始祖種ヴァーンとして、自分がやることは、ただひとつだ。
大事な人々が生きた、生きている世界を、守るために。畳む
#アルファズル戦記
#灰になるまで君を呼ぶ
#語彙トレまとめ
『灰になるまで君を呼ぶ』全文
目次→714
01/01-端緒
銃声ひとつ。
敵兵が額から血を噴いてあおむけに倒れるのを、壁の陰から確認して、走り出す。途端に銃撃の雨が降り注いだが、鍛えられたしなやかな筋肉で躍動するように全てをかわす。
アサル=アリム共和国とアグレイシア皇国の戦が始まった端緒は、皇国の皇女レイティスが、友好の使徒としてアサル=アリムを訪問中に行方不明になったことだった。
元々両国の関係は芳しくなく、理由さえあればいつでも開戦できたのだ。
「ったく、お偉方はよ」
愚痴りながら弾を込め直し、更に敵兵を撃ち倒した。
01/02-凍てつく
「ディックス!」
敵兵が全て倒れたところで、僚兵が手を振る。
「エース様はよくやるぜ」
「茶化すなよ」
彼らは『LINKS』の隊員である。かつてこのマルディアス大陸が、ファルメアというひとつの帝国だった頃、皇家の懐刀として、戦闘、諜報、暗殺などを請け負った特殊部隊の名だ。それが今も、アサル=アリム大統領の配下として機能している。
「さて、次の戦場は……っと」
彼がタブレットを持ち出して操作する。が。
「……え?」
怯えた声を聞いて、ディックスは赤い目を向け、驚きで瞠る。
仲間の手が凍っている。ぴきぴきと音を立てて、あっという間に彼は氷の彫像と化した。
01/03-熾火
ディックスはすぐさま銃を構え直して辺りを見渡す。自身の体内で常に燃えている、己の熾火を呼び起こし、油断無く敵の気配を探る。
ぴしり、と。指先に冷たさが走る。だが、彼の生来持つ『能力』が、あっという間に冷気を溶かした。
途端に殺気が迫る。氷結でディックスを仕留められないと悟った敵が、即座に白兵戦に切り替えたのだろう。肩までの茶髪を翻した、アグレイシア兵服の女が、ナイフ片手に迫ってくる。銃の迎撃も全てかわし、人並外れた跳躍をして襲いかかってくる。
ディックスもすぐさまナイフを取り出して、刃を受け止める。そして、僚兵が凍りついた時以上の驚きにとらわれた。
01/04-軋轢
『おとうさんが、ギルにはついていけないって言うの』
自分の育ての親であるLINKS隊長と、彼女の父親である研究所長の間に生じた軋轢は、もはや修復不可能になっているのは、子供の目から見てもわかった。養父にくってかかる所長の目は、血走っていて怖かった。
『「ぼうめい」するって言ってる』
『お前もついていくのか?』
訊ねれば、少女は黒い瞳を憂いに細めて、
『おとうさん、ひとりになっちゃうから』
と膝を抱え直した。
その面影がある。
「ティナ?」
少女の名前をつぶやく。女性兵は瞠目し、
「……ディックス?」
ぽろりと、こぼれ落ちるようにこちらの名を呼んだ。
01/05-淵源
「どうして、お前がアグレイシアに」
つばぜり合いをしながら、我ながら抜けた問いかけをしていると思う。所長は『亡命』したのだ。その先で研究を諦めるとは思わない。
『ひとの持つ可能性を最大限に引き出す』
という研究を。
そしてそのメスが、実の娘に向かない理由が無い。彼女は幼い頃から、炎を帯びる自分とは逆に、あらゆるものを凍てつかせる能力を発現していたのだから。
「……ディックス」
記憶より落ち着いた声で、少女は語りかける。
「この戦争の淵源を追って。レイティス様を、守って」
それだけを残して、彼女は飛び退り、あっという間に物陰に姿を消した。
01/06-雅趣
気づけば周囲は静まり返っていた。敵兵は全滅し、自分以外のLINKS隊員は、幼馴染の能力によって凍りついただろう。まだ冷気が漂っている。
研究所長の、現実を見ているのかわからないぎょろついた目が脳裏に蘇る。奴は実の娘まで兵器に仕立て上げたのか。
「……下衆い」
つぶやいて、足元の小石を蹴る。ころころ転がったそれは、半端な位置で跳ね返され、「あっ」と高い声が聞こえた。
咄嗟に銃を構え直す。石の返ったところでステルス布がずり落ちる。雅趣めいた服装に身を包んだ、紫髪に蒼い瞳の女性が、おののきに唇を震わせていた。
01/07-綻び
女性の纏う衣装は、アグレイシア織布を使った、皇族や貴族のものだ。しかしそれは薄汚れ、綻びが見える。
更にディックスが眉をひそめたのは、女性が手枷をかけられていたことだ。ステルス布まで使って、ここの敵兵は、彼女を護送する途中だったのか。
ひとつの可能性に至る。女性の前に膝をつき、問いかける。
「あんた、レイティス皇女か」
質問に、女性の肩がびくりと震える。それが答えだ。
「安心しろ、オレはあんたに危害を加えない」
「きがい……あぶないこと、しない?」
大人じみた顔立ちとは裏腹に、子供のような口調で問いかけてくる皇女に、力強く頷き返した。
01/08-仄見える
銃をひと撃ちして手枷を外し、「立てるか」と手を握る。皇女はおずおずと頷きながら、引かれるままに身を起こした。
「あんた、何でこんなところにいるんだ。こいつらは護衛兵じゃないのか?」
「ちがう、しらない。ごえい……は、ジーク」
「そのジークってのは?」
問いかけても、ふるふると首を横に振るばかりで、まともな事情は引き出せそうに無い。
「ジーク、いない。レティ、ひとりぼっち」
しくしくと。迷子のようにしゃくりあげる皇女は、まるで子供返りだ。恐らく、幼児退行するほどの「何か」があったのだろうことくらいは、仄見えた。
01/09-浸食
アサル=アリムの首都ヴァルファレスは、高山が長年の激しい風雨に浸食された台地の上に聳えている。かつて天から降りてきた始祖種ヴァーンの機械技術により、あたりの天候を常春に変えて、ひとの住める場所にしたのだ。
舗装された道路にバイクを走らせる。二人で乗ることを想定していなかったので、ヘルメットはひとつしか無い。当然、レイティスに被せた。ここで彼女が転がり落ちて頭を打ちでもしたら、それこそ大問題だ。
ディックスを庇護者と認識したのか、彼女はぎゅっとこちらの腰に腕を回してしがみついている。
バイクは坂を登って、都市の中枢ターミナル・ゼロへと向かった。
01/10-境界線
ターミナル・ゼロには境界線が引かれている。一般人は決して入ることができない。LINKSのメンバーと、研究員、そして隊長のギル――ギルガメッシュが許可した者だけだ。
固く閉ざされた金属の扉前でバイクを停め、コンソールを叩き、呼びかける。
「No.1349、ディックス・フリーダン。要救助者を一人保護した。同行の許可を」
数秒の機械思考が走った後、音声が流れる。
『隊長の許可を得ました。お進みください』
扉が両側に開く。肩越しに振り返ると、レイティスはぽかんと口を開けてその様子を見上げている。
(本当に子供さながらだな)
溜息をつき、再びエンジンをふかした。
01/11-噤む
ターミナル・ゼロの車両通路を駆け抜けて、終点で降りる。
「ほら」
レイティスに手を貸してバイクから降ろし、ヘルメットを脱がす。皇女はぼんやりとしてされるがままに任せていた。
隊長室に向かう。白く曇ったパーティションの向こうから、壮年の男声が聞こえる。
『おかえり、ディックス。その子はどうした?』
「ギル、実は」
養父に、今回の戦闘報告をする。
『そうか、シグマ達は』
ギルガメッシュは悼むように呟くと、レイティスに声をかける。
『それで、皇女様は何故護衛以外と共に?』
途端に、レイティスは怯えた表情で口を噤み、ディックスの腕にすがりついた。
01/12-揺曳
曇り硝子のパーティションの向こうで、養父の影がゆらゆら揺れている。彼が考えごとをしている時は、こう揺曳するのだ。
『アグレイシアにとって、融和路線として通っていた彼女が生きていると不都合な派閥があるのは明白だ。だが、アサル=アリムが皇女を保護したと主張しても、皇国は、誘拐だなんだと難癖をつけて、戦闘は泥沼化するだろう』
伊達に二十年の付き合いではない。ギルガメッシュが次に放つ言葉もわかっている。
『ディックス。お前が皇女の保護者になれ。そして探すのだ。ティナが言った通り、この戦争の淵源を。真の黒幕が誰なのかを』
01/13-乖離
面倒な役目を押し付けられた。がりがりと頭をかく。
だが、大統領府とLINKSの方針は乖離して久しいのだ。敵国の皇女を確保したとあのタヌキと腰巾着どもが知れば、この哀れな皇女の辿る道など、想像に易い。
「わーかった。わかりましたよ、ギル」
降参とばかりに両手を挙げて、隊長の提案を受け入れる。
「そうと決まったら、あんたを匿う場所を確保しないとな。その、いかにもアグレイシアですって服も着替えないと」
「きがえる? ……ぬぐ?」
振り返ると、皇女はきょとんと目を瞠り、襟元に手をかけた。
「今すぐにじゃない!!」
01/14-隠微
「この、愚か者が!」
ぱん、と乾いた音が、金属の壁で反響する。
「皇女の死体を回収できなかっただと!? それが我々にとって、どれだけ不利になるか、わかっているのか、ティナ・シュミット!?」
張られて赤くなった頬に触れもせず、痛みの表情を隠微にすら見せず、ティナはただ目を伏せる。
「前所長の実子だからと買っていたが、やはり裏切り者の娘はその程度か!」
アグレイシア宰相ブリームは唾を飛ばしながら、壁際に寄りかかる青年にも怒りの矛先を向ける。
「ジークハルト・リオ・クライスラー、貴様も呑気にしているな!」
感情のうかがえない氷色の瞳が、宰相に向けられた。
01/15-残滓
「とにかく、仕切り直しだ! 皇王に盛る薬も、もっと強くせねばな……」
ブツブツと陰謀を呟きながら、宰相は『異能力者研究所』の研究室を出てゆく。
「すまない」
怒りの残滓が消える頃、青年がティナに声をかけた。
「俺の計画に君を巻き込んで、矢面に立たせてしまって」
「いいえ」
ふるふると首を横に振る。皇女は奇跡的にディックスに託せた。あの幼馴染ならば、彼女を守ってくれるだろう。
「大丈夫か?」
「え?」
ジークハルトが口元を指差すので、己のそこを拭う。手の甲に赤が移る。
「手当てを」
「いえ、大丈夫です」
再度首を振った。
「本当に、痛くないので」
01/16-氷解
ばしゃばしゃと。水で顔を洗う。常人ならば冷たいと怯む水温も、ティナにはなんら痛痒ではない。
鏡の中で、凍りついた水滴が顔についている自分が、こちらを見つめている。また一段と凍結の能力が強まったようだ。
炎を操る幼馴染ならば、この粒もたちどころに氷解してくれるだろう。それどころか、本気を出したらこの身を燃やし尽くすかもしれない。
(いっそ、灰にしてくれたら)
麻酔無しで身体にメスが入る度に、悲鳴をあげていた。だが、それも次第に慣れてゆき、気がつけば、父は氷像になっていた。
自分はアグレイシアでも異端だ。どこにも行き場は無いのだ。
01/17-蠱惑
『我々アグレイシアは今、困難の渦中におります』
顔をタオルで拭きながら洗面所から戻ってくると、ラジオから、艶を帯びた声が流れている。
『アサル=アリムは謂われなく我が国に攻撃を加え、戦端を開きました。非はかの国にあるのです』
「病床にある」皇王の代わりに演説を行う『皇女レイティス』は語る。
『皆さん、今こそ皇家の旗の元に団結する時です。力を合わせて、この国難を乗りきりましょう』
蠱惑的に仕組まれた偽皇女の演説放送は続く。ブリームの仕掛けは、今までは、奴の思惑通りに運んでいた。
(でも)
奴の企みを崩すのはもはや、自分とジークハルトだけではないのだ。
01/18-伏流
「着替えたか?」「うん」
レイティスの返事を待って、自室に入る。アサル=アリム標準の服に着替えた彼女を皇女と気づく者は、そうそういないだろう。上手く伏流できたと思う。
薄汚れたアグレイシアの衣装をどう処分したものかと手に取る。と、その懐からぱさりと一通の封筒が落ちた。
拾い上げて封を解く。出てきた手紙を読み進めるうちに、幼馴染が戦の淵源を探せと言った意味を理解した。
「ジークハルト・リオ・クライスラー、か」
「ジーク?」
途端にレイティスが期待に満ちた表情をする。
「来てくれる?」
そんな彼女に真実を告げるのは、あまりにも酷で。
01/19-脆弱
ディックスは皇女の護衛騎士からの手紙を、皇女の服と一緒にクローゼットの奥へ放り込んだ。上手い処分の方法は思いつかなかった。下手に誰かの目につけば、大統領に報告が行く。
あのタヌキは金の力で地位を買った商人だ。政治力など無きに等しい。他者を蹴落とす為に謀略を巡らせることだけは得意だが。
ファルメア帝国の頃の結束力を失い、もはや戦闘力としてしか動けないLINKSの権威は脆弱だ。足元をすくわれればすぐさま解体されるだろう。
「ギルに相談するしかねーか」
顎に手をやってぼやけば、皇女は小首を傾げてこちらを見つめていた。
01/20-焦躁
「よ」
養父の元に向かう途中、軽い調子で声をかけられてディックスは振り返った。金髪の人好きしそうな青年が右手を掲げて歩み寄ってくる。同僚のエンリケだ。
「そっちが噂のお姫様か」
ギルガメッシュから話は聞いたらしい。自分が話題になっていると気づいたレイティスは、警戒心一杯でこちらの背中に隠れた。
エンリケは眉を垂れて肩をすくめたが、声を低めて真剣な表情で耳打ちする。
「アグレイシア側は相当焦燥に駆られてるぜ。皇女が見つかったって吹聴して、毎日皇王に代わって徹底抗戦の演説放送さ」
皇女の騎士からの手紙を思い出す。仕組んでいるのは、宰相とやらだろう。
01/21-凝結
エンリケと別れて隊長室へ向かう。
『どうした、ディックス?』
相変わらずパーティションの向こうから話しかけてくる養父に、皇女にばれずに説明をするにはどうしたものかと思案する。
「凝結を超えて氷になった国からの、手回しだ」
LINKS式のアグレイシアの表現をして、遠回しの説明をする。皇女の護衛騎士が、宰相の放った手下の自作自演を潰して欲しいと願ったことだと。
『成程』
影がゆらゆら揺れる。
『恐らくその裏切り者は、暴走する獣の国にも通じているだろう』
マルディアスに在る、三大国家の最後のひとつを聞いた時、ディックスの視界はぐらりと傾いだ。
01/22-諧謔
『実に諧謔に満ちた筋書きではないか?』
炎が燃え盛る街だった。顔の見えない誰かが笑っている。自分は背の高い誰かの腕の中で震えている。この炎をもたらしたのが、自分だけではないことはわかっていた。
『引き裂かれた姉弟! やがて戦い合う運命! ○○○○○の潜在能力を引き出すのにうってつけの舞台装置ではないか!』
何か聞き取れない単語があった。顔の見えない誰かの手を、赤銀髪の少女が握っている。赤い瞳はぼんやりと曇り、どこを見ているのかわからない。
『おねえちゃん』
手を伸ばしても届かず、振り向かず、ふたりは炎の向こうに消えた。
01/23-寂寥
あの後何年かして、腕の主に連れられて、惨劇の街を見に戻った気がする。街は再興されること無く、灰が降り積もって、沈黙と寂寥感に包まれていた。
『お前の役目は重いものだが』
手を繋ぐ相手が言った。
『必ずこのマルディアスを救う鍵になる。そのために、強くなれ。LINKSとして、ヴァーンの子孫として』
見上げると、逆光で顔の見えない、黒髪を整髪料でなでつけた、背の高い男性に見つめられていた。
(……あれ?)
ふと疑問が走る。
(ギルって、どんな顔してたっけ)
途端に。頭の天辺から爪先まで、激痛が走った。
01/24-軋む
身体が痛い。全身の骨が軋むように悲鳴をあげている。
「ディー、ク?」
拙い呼びかけが、現実を離れていた意識の襟首を掴む。炎に溺れていたかのごとき感覚が、冷えてゆく。ぜえぜえと喘鳴しながら顔を上げれば。
(ティナ?)
一瞬幼馴染に見えた顔が、紫髪の女性に変わる。蒼の瞳が心配そうにこちらを覗き込んでいる。
『ディックス? 大丈夫か?』
曇り硝子の向こうの養父の声も聞こえる。
「……大丈夫」
ふたりに返し、片手で顔を覆って深い息をつく。
自分は誰かを忘れている。大事な何かを見落としている。まるで、機械の歯車が合わなくて軋んだ音を立てるかのように。
01/25-覚醒
意識が覚醒してくる。現実をはっきりと認識する。
「とりあえず、暴走する獣の国に潜れってことだな」
『お前は察しが良くて助かるよ』
ギルガメッシュが微かに笑う気配がする。呼吸にしては機械的ではあるが。
「その間、このお姫様はどうしようか」
安全を期すなら、同僚であるエンリケあたりに託すのが無難だ。しかし。
「レティ、ディークと、いく。ひとりは、いや」
レイティスは、ぎゅっとこちらの袖をつかんでくる。その姿は、実の父に実験体としか見られていなかった幼馴染の孤独を思い出させる。
「……わかったよ」
途端に、皇女がぱっと笑顔の花を咲かせた。
01/26-輪郭
間接照明が灯る仄暗い部屋に、二人の人物の輪郭が浮かび上がる。一人は本革張りのチェアに深々と腰かけて葉巻をふかし、もう一人はひざまずいて頭を垂れている。
「よく知らせてくれた」
煙と一緒に、笑いを含んだ声が吐き出される。
「LINKSに喧嘩を吹っ掛ける体の良い理由ができた。ギルガメッシュは本当に目障りだからな」
もう一度、深々と葉巻をふかして、でっぷりとした体躯が揺れる。
「ディックス・フリーダンを追え。国内は儂が押さえる」
「かしこまりました」
間接照明に、金髪が照らし出される。
「すべては父上の望むままに」
01/27-邂逅
灰の海だった。
明らかに普通の炎で焼かれたのではない、『なにか』が地面を切り裂き焦がした跡。容赦無く絶たれた命の群れ。
『暴走する獣の国』ジュメールに向かったディックス達の前に現れた町は、惨劇の跡だった。
レイティスが怯えたように腰にしがみつく力を強くする。ディックス自身も、頭の奥がちりちりする。
生き残りを探すだけ無駄だろう。バイクを走り出させようとした時。
「み、みんなの仇い!」
幼い声と、銃声ひとつ。
弾はあらぬ方向に飛んでいったが、皇女が喉の奥で悲鳴をあげる。
咄嗟に銃を抜く。目が合う。
少年との邂逅だった。
01/28-羨望
「お前」銃を下ろし、少年に問いかける。「この町の生き残りか」
「おまえたちがやったくせに!」
向けられる銃口は震えている。持ち方もなっていない。たとえまた引鉄を引いたところで、こちらに当たる確率は一パーセントにも満たないだろう。
「俺達は南……アサル=アリムから来た。この破壊の跡は北から来ている。この意味がわかるか、ガキ?」
少年がはっと目を瞠った。成程、愚かではないようだ。
「おまえについていけば、母ちゃんたちの仇を取れる?」
ディックスの強さにすがるように。羨望を覚えたかのように、緑の瞳が見つめてくる。
いつか自分もこの目をした。復讐の、目を。
01/29-席捲
かつてファルメア帝国がマルディアス大陸の支配者として席捲していた頃、『鋼鉄の獣』という機械兵器が続々と開発された。鋼の皮膚と石油の血液を持つそれらはしかし、神の領域に手を出したひとへの天罰か、悉くが暴走し、それが帝国の斜陽を招いたとされている。
獣達はLINKS――帝国最終防衛機構が多大な犠牲を払って殲滅したはずだ。
だが、この町の惨劇の起き方は、まるで。
「なあ、なあ、兄ちゃん!」
いつの間にか銃をしまって目の前まで来ていた少年の声が、ディックスを現実に呼び戻した。
「兄ちゃん、ジュメールに行くんだろ? おれも行きたい!」
01/30-炯炯
半眼で、少年を見下ろす。
「ガキ、俺達は遊びに行くんじゃねーんだ。これだけ簡単に命を奪う相手の懐へ飛び込むんだぞ」
「それでもだよ!」
炯炯とした瞳で、少年は食いついてくる。
「ディーク」
レイティスが、袖を引いた。
「この子を独りで残していくのは可哀想。独りは、哀しい」
まるで正気に戻ったかのように流暢に語る皇女に驚く。その目はまたすぐにとろんと幼稚に曇ったが。
がりがり頭をかく。これ以上お荷物を抱えるのは正直気が進まないが、孤児をここに残して死なれたら、寝覚めが悪い。
「ガキ」溜息をひとつ。「名前」
少年はぱっと表情を輝かせた。
「マオ!」
01/31-終焉
冷たい風が吹く山麓にある工廠の奥で、科学者達が慌ただしく走り回り、タブレットに指を滑らせている。
「先日の出力は三十パーセント。それでも十分な火力でした」
眼鏡の研究者の報告を背に、長身の壮年の女は、べっとり紅を塗った口を笑みに持ち上げる。
「まだまだですよ」
女はねっとりとした声音で、背後の研究者に言いつける。
「アサル=アリムとアグレイシアを制して、我がジュメールが唯一の王者となるには、百パーセント引き出すのです」
古の魔獣のような『鋼鉄の獣』は、今は無数のケーブルに繋がれ、静かにたたずんでいる。
「『終焉の獣』、アヌナークの力を」
02/01-潜伏
マオを加えて三人になった一行は、サイドカー付きの中古車に乗り換え、戦争から逃げてきたきょうだいを装ってジュメールの国境街に入った。
上手く潜伏できたと思う。のだが、どうにも身体が重い。マオを拾った町を出てから五日。自分の悪い勘が当たるなら、潜伏期間を経た頃だろう。
「マオ」
だらだらと汗を流しながら少年の名を呼び、硬貨の入った革袋を放る。
「目立たない裏通りの宿で二部屋取れ。で、闇医者を探せ。間違ってもまっとうな医者を呼ぶなよ」
そこまで言ったところで、ディックスの意識は沈み込む。
「ディーク!?」
レイティスの声が遠くに聞こえた。
02/02-呻吟
浅い呼吸の合間に呻吟が混じる。氷嚢を載せても、高熱の前にあっという間に溶ける。
「こりゃ、アタシにもどうしようもないね」
お手上げ、とばかりに闇医者の女は両肩をすくめた。
「あんたら、同じ場所から来たんだろ? 伝染病にしても、なんでこのぼうやだけ発症して、あんたらがピンピンしてるのか、わからない」
「ディーク、しぬの?」
レイティスが涙目で闇医者を見つめる。女は溜息をつき、首を横に振る。
「ビザーリム研究所まで行けばあるいは。だけど、あんな気のおかしい連中の吹き溜まりにあんたらをやれないよ」
レイティスの表情が、絶望的になった。
02/03-狡猾
「レティ、間違っても兄ちゃんを救うためにビザーリムに一人で行くとかすんなよ」
マオはディックスにつきっきりの子供返り皇女に声をかける。どこの国にも属さない町で育ったマオにとっては、どこの国も敵だ。だけどディックスは、LINKSであることを隠さずに、レイティスがアグレイシアの皇女であることも話してくれた。自分を一人の男として見込んでくれたのだ。……と前向きな解釈をする。
「レティは兄ちゃんを看てろよ」
マオの言葉に、皇女はゆるゆる頷く。それを見て部屋を出る。
我ながら、こういうのは『狡猾』と言うのだったか。
「命賭けてみたいじゃん、男ならさ」
02/04-残照
マオは宿を出て裏通りを走る。
ビザーリム研究所というのがどこかはわからない。酒場に行っても、「ガキはおうちでミルクでも飲んでな」と叩き出されるだろう。
行くあても無いまま、山脈に落ちる残照をぼんやりと眺めていると、ひゅうっと冷たい風が吹いた気がして、顔を上げる。そしてぎょっとした。
いつの間にか、茶髪に黒瞳の女性がマオを見下ろしていた。気配など無かった。驚きで心臓がすくみあがる。
「あなた」女が口を開く。「ディックスを助けに行くつもり?」
何故知っているのか。警戒心を満たして睨みつけると、女はゆるゆると首を横に振った。
02/05-微睡む
青年にもたれかかったまま、微睡みに落ちたレイティスは夢を見た。
氷色の瞳を持つ男が、自分を見つめている。
『どうか今は、堪え忍んでください』
両手を握り締める手はひんやりとしている。
『ブリームの企みから貴女を逃すには、これしか無い』
貴方も一緒にと言っても、彼の決意が覆ることは無い。
『貴女は外からの援助を。私は内から奴を崩します』
そして彼は背を向けて去ってゆく。行かないでと手を伸ばしても届かない。
「ジーク!」
叫びながらばっと顔を上げる。
そうだ。何故忘れていたのだろう。こんなに大事なことを。
涙が頬を伝った。
02/06-遡及
「その言い分は認められません」
「しかしながら、皇女殿下」
凛と背を伸ばして睨み付けても、宰相は飄々と肩をすくめた。
「『皇王が政務に就けない場合、宰相にその権限を譲渡する』、これは陛下が倒れられた半年前まで遡及して有効です」
半年以上前からお前が仕込んでいたのだろうが。殴りかかりたい拳を握り締め、怒りを飲み込む。
「ならば、わたくしはやはりアサル=アリムに赴き、父上を治す術を探し、同時に、ジュメールに対抗する同盟を結んでまいりましょう」
ブリームがあからさまに嫌そうな顔をする。自分の背後で護衛騎士が痛快に唇を持ち上げる気配がわかった。
02/07-深淵
結局ジークハルトを皇都に置いたまま、少数の護衛を伴って国を出た。それをブリームが見逃すはずが無かった。
アサル=アリムの街道をゆく途中で、馬車が賊に襲われ、御者を斬り捨てられた暴れ馬は土手を落ちて、河に放り出された。
深淵に沈みゆく中、護衛騎士の名をあぶくで繰り返しながら、意識を失い、すべてを仕組んだ宰相の手の者に引き上げられた時には、理性も失っていた。
護送の途中で、LINKSと戦闘になっていなかったら、自分は人知れず消されて遺体が国に帰っていただろう。
だが、自分は生きているのだ。
「ディーク」
苦しそうな青年に呼びかける。
「ありがとう」
02/08-禁忌
ティナ・シュミットと、女性は名乗った。ディックスの幼馴染だとも。その割には、アグレイシア軍の兵服を着ていて、どうにも胡散臭い。
「信じなくてもいい。でも、今は目的を同じにする同志だと思って」
無表情で言い切るのも怪しい。だが、マオの子供ながらの勘は、嫌悪感で突き放すのは悪手だと告げていた。
「おそらく、ジュメールは禁忌を犯した。LINKSの介入を恐れ、始祖種ヴァーンだけを殲滅するウィルスを、『鋼鉄の獣』に搭載していた」
淡々と語るティナの話が全部わかるわけではない。ただ、子供の自分にもわかる。ジュメールが、三国一の悪党だと。
02/09-翻弄
ティナと共にゆく道は、戦争に翻弄されたひとびとの絶望の残骸だった。建物の陰にもたれかかったまま息絶えている軍人。明日の食料に餓えた老人。親を求めて泣いている、自分より幼い子供。
「ジュメールは敵じゃないの?」
彼らに目もくれずすたすたと進むティナとの沈黙に耐えかねて訊ねれば、彼女は淡々と返してくる。
「たしかに、戦に敵と味方はある。だけど善悪は無い。誰もが我が国が正義だと言い張り、誰もが己の悪行から目を逸らす」
少年を見下ろすティナの表情は、やはり冷たいままだ。
「あなたはこちら側に来てはいけない。撃たずに、ただ公正に、事実を見ていて」
02/10-瓦礫
瓦礫の山を漁っている少女がいた。服は薄汚れて、むき出しの腕や足はあちこちが傷ついている。埋もれそうなほどに体を突っ込んで、何かを探している。
「……何やってんだよ」
マオは見過ごせず声をかける。少女はびくりと身をすくませ、のそのそと這い出てきた。
「ママの」
つぶらな目を潤ませる。
「ママの形見のペンダントが、この中に」
見つかるはずが無い。潰されて、自分も瓦礫の一部になるのが関の山だ。そう告げようとした時、ティナが瓦礫の前に膝をついて、手を触れる。そこから鉄屑の山が凍りついて砕け、きらきら光るトパーズのペンダントが残った。
02/11-昏倒
「ありがとう、おねえちゃん!」
母の形見を胸に、精一杯手を振り笑顔で去ってゆく少女を見送りながら、マオは思考に沈む。
ジュメールの全てが悪ではない。同じように、三国のどこかで、誰かがひとを救って、誰かが罪を犯している。
(おれにできることって、何だろう)
非力な少年は思い悩む。
その傍らで無感情に少女を見送っていたティナが、不意に膝を折って倒れ込んだ。
「おい!?」
昏倒した彼女にとりすがると、体が酷く冷たい。まるでディックスの逆のように。
どうすれば良いのか。泣き出しそうになった時、背後からそっと伸ばされる、熱を帯びた手があった。
02/12-呪縛
「心配しないで」
知らないけれど、誰かを想起させる声が耳を撫でる。
「シュミット博士がこの子に課した呪縛よ。ひとを傷つける以外に力を使うことを許さないの」
何故そんなことを知っているのか。振りあおげば、赤銀髪を高い位置でとめた、赤い瞳の女性が、ティナに手をかざしている。その手は熱を持ち、冷えた体を温めていた。
「私も同じ。ビザーリムの研究者たちに、ひとをあやめる力を強化されている」
求めていた場所の名が出てきたことに目を真ん丸くするマオに、女性は哀しげに目を細めた。
「私はアヌナークに支配されている。ほんの少しの時間しか、意思が自由にならない」
02/13-歪曲
「ビザーリム研究所は、いえ、ジュメールは、この世界の理を歪曲させた」
ティナの体を温めながら、女性はとつとつと語る。ティナも無感情だが、このひとも喜怒哀楽が感じられない。
「『鋼鉄の獣』に武器を搭載してはならない。必ず暴走して、マルディアスを破壊する。その摂理に逆らった」
なんだかとんでもない話を聞かされている気がする。マオが戦慄すると、女性は、ティナにかざしているのと逆の手で薬瓶を取り出し、こちらに託した。
「私以外のヴァーンを殲滅させるウィルスの特効薬よ。私の血から作っているから、弟には必ず効くはず」
驚愕の事実を添えて。
02/14-果断
「ミランダねえさん……?」
ティナのか細い声が、マオの驚きを更に上書きした。この二人は知り合いなのか。
「久しぶりね、ティナ」
まだ気だるそうなティナに、ミランダと呼ばれた女性は笑みかける。しかし、不意にその眉間に皺が寄り、苦悶の声がもれる。
「そろそろ時間切れね」
ミランダは身を起こして立ち上がり、マオとティナそれぞれに視線を送る。
「弟に、ディックスに伝えて。アヌナークを滅ぼすのは、LINKSとして育った貴方の果断次第だと」
直後、炎がミランダを取り巻く。哀しそうに微笑んで、彼女の姿は炎と共に、その場からかき消えた。
02/15-払暁
払暁が迫る。国境の街まで戻ってきたマオとティナは、裏通りの宿屋の一室へ駆け込んだ。すると。
「お帰りなさい」
ディックスに傍付いていたレイティスが、すっくと立ち上がった。今までのように怯えた態度ではなく、背筋を凛と伸ばして、意思の感じられる瞳をしている。
「レティ」少年の脳裏を予感が過る。
「今はそれより、ディークの治療を」
皇女に促されて、ディックスのもとに駆け寄り、ミランダに渡された液薬を傾ける。しかし、もう自力で嚥下する力も無く、流れ落ちる。
「飲めよ、馬鹿!」
涙目になるマオの隣で、ティナがやおら薬を含み、ディックスに口移しした。
02/16-忘却
血のような何かが流れ込んでくる。それと同時に、忘却の彼方にあった光景が、はっきりとした形を取り戻す。
『引き裂かれた姉弟! やがて戦い合う運命! アヌナークの潜在能力を引き出すのにうってつけの舞台装置ではないか!』
そうだ。現ジュメール議長マルセナの父親が、姉を連れ去った。禁忌の『終焉の獣』アヌナークを御する鍵として、ヴァーンの子孫である姉弟の片割れを。
(ミランダ姉さんだ)
その時に彼は、ギルを撃った。血を流す腹部をおさえながらも、彼はアサル=アリムに帰りつき、そして。
そこまで思い出した時、意識が現実に回帰する。ティナの顔が間近にあった。
02/17-陶酔
自分が昏睡状態にある間に、状況が変わっていることはわかった。
レイティスは自我を取り戻し、ティナがマオと共に自分を救うべく奔走して、そして、生き別れの姉が、自分を助ける薬をくれたこと。
そしてその姉ミランダこそが、十五年前、アヌナークの核としてジュメールに連れ去られたことを。
「マルセナ議長は、自分が大陸の支配者だと自己陶酔しています」
まだ火照りの残る体をベッドの上に起こして、しゃんとしたレイティスの話を聞く。
「わたくしは、アサル=アリムに戻り、ギルガメッシュ殿に改めて和議と同盟を求めるべきだと思っております」
02/18-執着
「たちが悪いなら、アサル=アリムも同じだな」
ディックスは苦々しく顔をしかめ、大統領のでっぷりした姿を思い出す。あの狸は、世界の覇権を握ることに執着し、いかにしてギルガメッシュとLINKSを追い落とすかに策謀を巡らせている。裏でアグレイシアともジュメールとも繋がっている可能性がある。
どいつもこいつも、相手を出し抜くことばかりを考えて。
「一刻も早く、ギルの元へ戻って、馬鹿共を迎え撃つ準備をととえないと」
そう言ってベッドから降りようとしたが、解熱したばかりの消耗した体は言うことを聞かない。ふらりとよろめいたところに、ティナの冷たい手が触れた。
02/19-剽悍
「ええい、まだですか! アヌナークの再起動は!?」
マルセナはつりがちな目をさらに狐のように吊り上げて、科学者たちを叱責する。
「ヴォルフ大統領も、ブリーム宰相も、ジュメールをなめきっているのですよ! 早々に焼き尽くすべきです!」
「し、しかし」
「うるさい!」
議長はたじろぐ科学者からタブレットを奪い、アヌナーク起動フェーズを進める。『鋼鉄の獣』に火が入り、強化ガラスの目が光る。
直後、アヌナークは獣のごとく吼え、ケーブルを引きちぎり、炎を吐いた。
「な……ぜ?」
剽悍な獣の暴走の前に、マルセナは笑顔で凍りついたまま、炎に包まれた。
02/20-欺瞞
「なあ」
マオはフォークで豆をつつきながら、隣でスープをすするレイティスに呼びかける。
「いいのかよ?」
ディックスのことだ。彼はティナと共にどこかへ行ってしまった。青年を慕っていた子供返りの頃を知っているだけに、納得がいかない。
「いいんです」
しかし、皇女は平然と返してくるのだ。それが、彼女が遠くに行ってしまったようで、少し寂しい。
「この欺瞞に満ちた世界で生き抜くには、彼らは優しすぎる。わたくしのような為政者が、責任を負うべきです」
「なら!」
マオは思わず声を高める。
「おれがレティを支える!」
蒼の瞳が驚きに瞠られ、それから細められた。
02/21-憧憬
熱と冷気が、決して混じり合うこと無く、しかししっかりと手を繋いでいる。
「私は、ミランダ姉さんが羨ましかったのだと思う」
他人事のように淡々と、幼馴染は憧憬を語る。
「姉弟というだけで、あなたと深い繋がりを持っていたから。私は、父にも愛されていなかったから」
否定できない。シュミット博士は、己が娘のことも、異能の実験台としか見ていなかったから。
だが、だからこそ、伝えなくてはいけない。
「俺がいる」
強く手を握り込む。
「お前の感情まで凍っても、いくらでも呼んでやる」
無感情だった瞳に光が宿る。
熱と冷気を交換するかのように、くちづけた。
02/22-虚無
夜が更けて、ディックスたちは宿に戻った。部屋では、しゃんとしたレイティスと、何だか不機嫌そうなマオが待っていた。
「ギルに連絡を取る。迎えがくるはずだから、しばらく待っててくれ」
イヤホン式のLINKS通信端末でギルガメッシュを呼び出す。しかし、いつまで経っても応答が無い。いぶかしんだ時。
「LINKS本部は大統領府の管轄下に入ったぜ」
軽い調子で、しかし驚くべき事実を告げながら、入ってくる男がいた。
「エンリケ……?」
同僚は笑っている。しかし、虚無の底のような感情の死んだ瞳で、銃口をこちらに向けながら。
「レイティス皇女にご同行願おうか」
02/23-煽動
「ヴォルフ大統領、いや、父上のご命令だよ。LINKSは応じなかったから、隊員は拘束させてもらった。隊長は逃げおおせたがね」
衝撃が走る。僚友だと思っていた男は、あの狸の子飼いだったのか。
「アグレイシアとジュメールとは、徹底抗戦に入る。民衆も父上の演説に沸き立ったよ」
愚かな煽動に愚かな民が誘導されたのか。ひとつ息をついて、銃を抜く。
ふたつの銃声が、夜更けの裏通りを突き抜ける。
ディックスの弾はわざとエンリケを外した。だが、友と信じていた男は、こちらを撃つ気満々だったろう。しかし、痛みは感じない。なのに、床に血の池が広がった。
02/24-収束
目の前の光景を否定しかけた。ティナが床に横たわっている。その下から、赤いものが流れ落ちている。
「急所は外したか」
エンリケが、さしたることは無さそうに吐き捨てて、改めてレイティスに銃口を向ける。
「皇女様。貴女が来て、敗北宣言ひとつしてくれれば、アグレイシアとは共同戦線を張れるんですよ。アヌナークの光線が収束して焼くのは、そっちの国の兵士だけどね」
「ギルがそんな事を許すはず」「LINKSはもう存在しないんだよ」
銃声がして、頬をかすめる。エンリケはこちらを撃つ事に躊躇いが無い。
やるしかないのか。逡巡した時、ティナがふらりと立ち上がった。
02/25-渺茫
「ディックスは殺させない」
血に染まった脇腹をおさえながら、ティナは変わらぬ淡々とした声を張る。見れば彼女の傷口は凍って、既に血は止まっていた。
「だけど、レイティス様も見捨てられない。皇女様の身の安全のために、わたしもついてゆく」
「自分から人質を増やしてくれるとは、よくできた部下だな、皇女様?」
エンリケの嘲弄に、レイティスは唇を噛む。
「ディックスとガキは動くな。女二人だけ来い」
銃を向けたままエンリケが手招きするのに従い、レイティスとティナは部屋を出てゆく。皇女が去り際に何か口を動かした。
取り残された二人は、前途渺茫のまま、立ち尽くして。
02/26-慟哭
ふらりとよろめいて、尻餅をつくようにベッドに座り込む。
「何やってんだよ、兄ちゃん!」
マオが涙目で食いついてきた。
「悔しくないのかよ!? 二人を助けに行かないのかよ!?」
言われて色んな考えが巡る。
姉をジュメールに奪われたこと。ティナがいなくなったこと。ギルガメッシュの顔を思い出せないこと。エンリケに裏切られたこと。
「……悔しいに決まってるだろ」
拳を握り締めれば、ぽたり、と涙が落ちる。自分のものだと気づけば、感情の渦は逆巻いて止まらなかった。
慟哭が迸る。
本当はずっと泣きたかった。奪われたくなかった。
子供のように、泣き叫んだ。
02/27-逡巡
「兄ちゃん!」
マオが握り拳を作って訴えかけてくる。
「レティ達を助けにいこう! 兄ちゃんならできるだろ!?」
少年の言葉に迷う。ティナは自分よりレイティスを選んだ。ここから先は、あの狸とアグレイシアの戦いではないだろうか。自分の出番は、もう無いのではないか。
遅疑逡巡するディックスに、マオが苛立って殴りかかろうとした時。
『ディックス、待たせたな』
行方不明のはずのギルガメッシュの機械的な声が、通信機に届く。
かと思うと、駆動音と共に窓の外がにわかに暗くなり、鳥の姿を持つ『鋼鉄の獣』が現れたことに驚き戸惑う人々のどよめきが聞こえた。
02/28-胎動
『心配をかけたな』
宿に姿を現したのは、精巧なアンドロイドだった。抜け落ちていた記憶のピースがかちりとはまる。
そうだ。ギルガメッシュは深傷を負い、シュミット博士の腕前で、体をまるごと機械に入れ替えた。そして脳を、LINKSが唯一保有する『鋼鉄の鳥』エンリルを制御するために、機体の中枢に埋め込んだのだ。
だから、エンリルを今動かしているのは。
『立て、ディックス。アサル=アリムへ戻るぞ。アヌナークが、マルディアスを焼き尽くす前に』
決戦に向けた胎動が始まったのを感じる。
一度だけ顔をうつむける。たが。
「了解」
不敵な笑顔で養父を見上げた。
03/01-撹拌
「ディックス!」
「無事だったか!」
「ったく、悪運はいいよなお前も」
マオと共にエンリルに乗り込むと、LINKSの同志達が出迎え、ばしばし叩いてきた。狸に拘束されたはずではなかったかと思うが、ギルガメッシュの機械化を思えば、留置所の鍵を無効化するのも朝飯前だろう。
「俺達も行くぜ、あの狸とエンリケの野郎をぶっ飛ばしによ」
頼もしい同僚達に笑い返した時。
ごう、と炎が窓の外をなめ、さっきまでいた町を一瞬にして火の海にした。
人も建物も溶け、まるでクリームのように撹拌されてどろどろの大地になる。その上を、『終焉の獣』アヌナークが飛び去っていった。
03/02-萌芽
行く先の大地を焼き尽くしながら、アヌナークはアサル=アリムへ向かって飛んでゆく。幸い、武器を搭載せずに御せる分、エンリルの方が速く飛べるので、破壊の萌芽がヴァルファレスを覆う前に、首都に帰りついて、大統領の手からレイティス達を取り戻さなくてはならない。
彼女はアグレイシアとの和平の為に必要な存在だ。決して失われてはならない。
それと同じくらい、ティナは自分の中で深く根を張っている。家族に恵まれなかった彼女には、もう自分しかいない。次に手を握ったら、もう二度と手を離さない。
決意するディックスの視界に、アヌナークの接近で混乱する首都が見えてきた。
03/03-爛漫
摩天楼が並び立ち、その輝きから『爛漫の夜景』と呼ばれた、アサル=アリム首都ヴァルファレスは、混乱の極みにあった。誰もが破壊兵器の接近に混乱に陥り、首都を脱出しようと押し合い圧し合い、老人が踏み潰され、親とはぐれた子供が人波に流されるのが、エンリルの窓からでも見える。
混沌の極みを眼下に見ながら、エンリルはただひとつの建物を目指して飛ぶ。
ヴォルフ大統領が君臨する、エヴァータワーを。
『最上階に着けるぞ』
脳を組み込まれたギルガメッシュが、エンリル内に響き渡る機械音声で告げれば、LINKSの誰もが、手を叩いて喝采の嵐を巻き起こした。
03/04-朧
強化ガラス越しに朧気に見える満月を、革張りチェアに座りながら見上げて、ヴォルフ大統領はぷかぷかと葉巻をふかしていた。やがて振り向く先には、エンリケに銃を突きつけられたレイティスと、その後ろに、顔色の悪いティナがいる。
「簡単なことですよ、皇女殿下」
でっぷりとした体を持ち上げ、レイティスの鼻先に葉巻を突き付ける。
「皇国と連絡を取る手段はお持ちでしょう? 貴女の騎士に、宰相を通して敗北宣言一言お願いします、と言えば、この戦いは終わる」
「終わりません」
皇女は強い目力で見返す。
「あなた方権力者の起こした戦は、ただの破壊行動です」
03/05-予兆
大統領の顔が醜く歪んだ。葉巻の火をレイティスに押し付けようとした瞬間、ティナが咄嗟に腕を割り込ませて、そこで火を受けた。兵服が焦げて肌にも確実に火傷を負ったはずなのに、苦痛ひとつ見せない。それには、大統領もエンリケも唖然とする。
さらには、駆動音が強化ガラス越しに聞こえてくる。
それを予兆に、ガラスを破る大轟音が響いて、『鋼鉄の鳥』エンリルがエヴァータワーの最上階に突っ込んできた。
「レイティス!」
仰天して腰を抜かす大統領にも、呆気に取られるエンリケにも構わず、搭乗口から身を乗り出してディックスは叫んだ。
「ティナも! 一緒に来い!!」
03/06-孤独
ずっと独りだと思っていた。
父に愛されず、周囲からは敬遠され、兵士達と出撃しても距離を取られた。
孤独の中で、独り心まで凍りついて、人生を終えるのだと思っていた。
それなのに。
「ティナ!」
その身に始祖種の血を宿した幼馴染は、炎のように情熱的に自分の名を呼び、手を伸ばすのだ。
まるで、灰になって燃え尽きても構わないと。その灰の中から、伝説の不死鳥のごとく蘇ってみせようとばかりに。
手を伸ばそうとしたところに、エンリケが銃を向ける。一睨みでその手ごと氷結させる。
レイティスが『鋼鉄の鳥』に乗り込む。それに続けば、しっかりと抱き締められた。
03/07-幻視
皇女とその護衛を連れて、『鋼鉄の鳥』がエヴァータワーから飛び去る。びょうびょうと高層の風が吹き込む中、エンリケは、へたり込んで変な笑いを漏らし続ける大統領に目を向けた。
「は……はは……。儂が三国を……マルディアスを……」
葉巻が手からぽろりとこぼれ落ちる。最早彼は、自分が覇者になる、ありえない未来を幻視して、エンリケのことどころか、現実も見えていないだろう。
砕けたガラスのカンバスに、『終焉の獣』アヌナークが大写しになる。大統領は、迫る死を認めず笑っている。
これが裏切り者の末路か。
エンリケの凍った手が砕け落ち、アヌナークが火を吹いた。
03/08-散逸
アヌナークは『終焉の獣』さながら、ヴァルファレスに破壊をもたらした。地面が燃え、建物が溶けて、人々が逃げ惑う。国軍の将は散逸した兵を引き留めようと必死だが、人の力の及ばぬ獣の前には無力だった。
「ギル」
ディックスは銃に弾込めをしながら、養父に呼びかける。
「皇女の言葉を三国救難チャンネルで。その間に俺がアヌナークに乗り込んで、姉さんを」
言いさして一瞬目を閉じ、無邪気に笑っていた赤髪の少女の幻を振り払う。
「アヌナークの核を撃つ」
『……わかった』
こちらの覚悟を受け取ってくれたのだろう。アンドロイドの養父はこくりと頷いた。
03/09-瓦解
「ディックス」
冷たい手が、銃を握る手の甲に触れた。
「私も行く。炎のヴァーンの加護を受けるアヌナークには、私の力が効くかもしれない」
ティナはあくまで淡々と語る。正直なところ、彼女を死地に同行させたくはない。ティナには、日の当たる場所で穏やかに笑っていて欲しい。
彼女が一人でそれをすることを望まないと知っているから、ディックスは溜息ひとつ落とし、幼馴染の黒い瞳を見つめる。
「俺から離れるなよ」
ティナが軽く頷く。
『お前達が失敗すれば、全てが瓦解し、マルディアスは滅びる。心しろ』
ギルガメッシュが告げる中、エンリルはアヌナークに接近した。
03/10-煽情
『アグレイシアの皆さん、今こそ反撃の時です』
艶を帯びた煽情的な声がラジオから聞こえる。違う。彼女はこんな、女を武器にした媚びるような喋り方をしない。
『ジュメールはアサル=アリムと共謀して破壊兵器を持ち出し、天罰を食らいました。正義は我々にあるのです。アグレイシアこそが、マルディアスの頂点に立つべく、皆さんのお力を貸してください』
彼女と全く違う容姿の女性が放送機器に向かって語るのを、ブリームがにやにやと満足げに見守っている。
いっそここで斬り捨てられたら。歯痒さを噛み締めていると。
『皆さん、騙されないでください』
凛とした声が割り込んだ。
03/11-残響
『わたくしは、アグレイシア第一皇女レイティス・ナディア・アグレイシアです。LINKSの皆様のお力を借りて、今、皆さんに語りかけています』
三国救難チャンネルを使ったレイティスの言葉は、煙を立てる都市に、煤まみれの顔の人々の耳に、残響を伴って広がる。
『この戦争は、三国の野心を抱く者達が皆さんを煽動し、泥沼化させました。ですが』
一瞬息継ぎをして、皇女は続ける。
『終わらせるのも人の力だと、わたくしは信じております。現に今、わたくしの大切な仲間が、「終焉の獣」に立ち向かっています』
マイクに向かう凛とした横顔に、マオは思わず見入っていた。
03/12-耽溺
『皆さん、どうか、目の前の事実に目を向けてください。野望に耽溺する者の、甘い言葉に踊らされず、目にしたものを信じてください。その為にも、まずは隣人を救い、手を取り合ってください』
皇女の言葉に、ただ迫り来る恐怖にとらわれていた人々が、顔を見合わせ、手を伸ばす。
「誰か、手を貸してくれ! 助けるぞ!」
足が瓦礫の下敷きになって動けない女性を、人が集まって救い出す。
彼らの見上げる先には、『鋼鉄の鳥』が翼を広げている。そこから『終焉の獣』アヌナークに乗り移るふたつの人影があるのを見届けた者は、ほとんどいなかった。
03/13-慈雨
干天の慈雨だ。ジークハルトは唇の端を持ち上げた。
「み、皆さん! 騙されないで! わたくしが!」
慌てて取り繕うが、所詮ブリームの愛人だった下級貴族の女に、本物の皇女を超える言葉は出せまい。
「黙れ、馬鹿者が!」
ぱん、と乾いた殴打の音が響く。
「役に立つかと目をかけてやれば、肝心なところでしくじりおって! 皇家を乗っ取る計画が台無しだ!」
ブリームは女を罵る。愚かの極みだ。
「まだ放送が入っていることをお忘れか?」
ジークハルトの揶揄に、宰相ははっと放送機器を振り返る。
「咎人の断末魔を、アグレイシアの民に」
鋼の刃が、振り上げられて。
03/14-変貌
迷宮のようなアヌナークの体内を、ディックスとティナは駆け抜ける。普通の廊下に見えた通路が、侵入者を関知して防衛機構が作動し、生き物のように胎動して、迎撃システムがずらりと並んだ、獣の腹の中のごとくに変貌する。
放たれた光線を転がってかわし、起き上がり様に銃弾を撃ち込む。一撃は鋭く防衛機構を穿つ。ティナが一睨みしただけで砲口は凍りついて沈黙する。
身体の奥で血が騒ぐ。この奥に、いる。
血を分け合ったきょうだいが。アヌナークの核が。
「ディックス!」
思考を逸らした瞬間、ティナが珍しく感情的に叫ぶ。目の前に飛び出した彼女の脇腹を、光線が貫いた。
03/15-興趣
「ティナ!」
血を吐いて倒れ込む幼馴染の身体を支える。長年の反射で、傷口を凍りつかせて血を止めたようだが、傷の深さは誤魔化せまい。
『興趣があるだろう?』
奥の扉から女の声が聞こえる。
『愛する女の命が尽きる前に、「私」を撃たねば、世界が終わるぞ』
ティナを横抱きにしたまま、扉へ向かう。扉はディックスを待っていたかのように自動で両開きになる。
そこにあったのは、脈打つ巨大な心臓、アヌナークの核。そしてそれに下半身が埋まり込むように同化している、赤い髪の女性。
「……ミランダ姉さん」
名を呼べば、核は、あかい唇をつり上げてにたりと笑った。
03/16-凛冽
炎が鞭のようにしなって襲いかかってくる。ティナを抱いたままではまともに戦うことができない。
「……ディックス」
逡巡していると、幼馴染が必死に声を絞り出した。
「このまま、核のそばへ。私が、一撃叩き込んで、あなたが撃つ、隙を作る」
彼女にこれ以上の無茶はさせたくない。命にも関わるだろう。だが、それ以上の最善の策も無い。ひとつうなずくと、床を蹴った。
ミランダは最早自我が無いのか、高く笑いながら炎を振り回す。かわせるものはかわし、かわしきれないものは甘んじて食らって、アヌナークの核に肉薄する。
ティナが手を伸ばす。凛冽な一撃が、核を凍らせた。
03/17-穿つ
「ありがとう、ティナ」
幼馴染に静かに礼を述べ、彼女を片腕に抱いたまま、銃を取り出し、アヌナークの核に向ける。
「……ディッ……クス」
ぽろぽろと氷の破片を零しながら、アヌナークの核が、いや、ミランダが、弟の名を呼んだ。
「マルディアスの未来を、あなたの手で」
ミランダが微笑む。幼い頃自分に向けてくれた、あの無邪気な笑顔で。
手が震える。銃口がぶれる。
だが、やり遂げなくてはならない。レイティスが望み、LINKSが守ろうとし、自分が開く、未来のために。
「……姉さん」
小さく呟く。
「さよなら」
銃声が響き、そして、核の額を穿った。
03/18-堆積
アヌナークの攻撃で溶け落ちた建物の残骸が、土砂のように堆積している。そんな中でも、人々は手を取り合い、助け合い、必死に生き延びようとしている。
完全に動きを停止して彫像になった『終焉の獣』から、ディックスは足を踏み出した。
『よくやった、ディックス』
ギルガメッシュの通信が入る。
『私の心残りもようやく片付いた。エンリルの中で永い眠りにつくよ。「鋼鉄の鳥」が再び必要となる日まで』
「……ああ」
ぼんやりと返事をして、付け加える。
「おやすみ、父さん」
それきり通信が切れる。
腕の中の、完全に生命活動を凍らせた幼馴染に視線を移した。
03/19-虚飾
「ティナ、終わったよ」
固く瞳が閉じられた幼馴染に呼びかける。そうすれば目を開いて、自分をその目に映し出してくれるのではないかと期待して。
だが、現実は残酷だ。
三国上層部の虚飾に満ちた野望の果てに、大陸は大きく破壊され、国家は機能をなさず、愛する人は。
「ティナ」
名前を呼ぶ。何度も。ぽたぽたと涙が零れ落ちる。たとえ自分が燃え尽きて灰になってもかまわない。ヴァーンの炎が、彼女に命の灯火を与えてくれるなら。
『大丈夫、ディックス』
姉の声が聞こえた気がした。かと思うと、冷たかった頬に赤みがさす。
長い睫毛が震えて、黒い瞳がその下から現れた。
03/20-陽炎
奇跡は起きた。
アグレイシア皇女が終戦を宣言する放送は、三国救難チャンネルで流れ続ける。
今はまだ、陽炎のように儚い希望でも、いつか必ず大地は息を吹き返し、花を咲かせるだろう。人々は生きることを諦めず、国を越えて手を握り合うだろう。
東の空が白んでくる。マルディアスの大地に新しい朝がやってくる。
灰になるまで呼び続けた声は、愛しい人を呼び戻した。この先彼女がどれだけ生きるかなどわからない。それでも、彼女が、生きていて良かったと最期に笑えるように、寄り添っていよう。
『皆さん、おはようございます』
レイティスの声が、明るく響き渡った。
03/21-彼岸
『やあ。彼岸の淵から語りかけさせてもらっているよ。
マルディアスは「終焉の獣」の破滅からは逃れた。だけど、この話には続きがあるんだ。
眠りと現のはざまで、私が泡沫のように垣間見ている彼らの景色を、君達にも見てほしい。
だから、もう少しだけ、死にぞこないの見る夢に、付き合ってくれるかな?
見てほしいんだ。
朝が来て、花が芽を出し、新しい世界に向かって努力する人々の姿を。
そして、歴史に名は残らないが、たしかに英雄だった、我が息子の行く末を』
03/22-掠奪
世紀末、というものがかつてあったらしい。マルディアスの『鋼鉄の獣』より凶暴な兵器が地を焼き尽くし、死の灰が降り注ぐ世界で、生き残ったひとびとは掠奪の暴力に怯えるしか無かった。そこに、必殺の拳を繰り出す救世主が現れたと。
「それ、旧時代の創作だろ」
ほかのメンバーのからかいに、LINKS隊員の青年は、顔にかけていた漫画本を持ち上げて、身を起こす。
「まあそうだけど」
そして、復興の重機の音が鳴る、ターミナル・ゼロの窓外へ視線を馳せる。
「現実の救世主殿は、拳じゃなくて、銃で終わらせたからなー」
03/23-隠蔽
「ブリームが隠蔽した悪行につきまして、証拠をまとめてきました」
「ありがとう」
執務机に向かうレイティスに、ジークハルトが書類の束を渡す。
アグレイシアに帰ってからの皇女は、まだ回復しきらない父皇王に代わって、戦後処理に慌ただしい。三国の中でアグレイシアだけが、アヌナークの被害を受けなかったのもあって、他国への援助にも追われる中、宰相の悪事の後片付けもしないといけない。
そんなに大変なのに、国に残っているだけだった護衛騎士は淡々と仕事を運んでくる。
「レティ、少し休みなよ」
侍従見習いになったマオは、ぷうと頬を膨らませる。皇女が苦笑した。
03/24-脈動
「おーい、誰か来てくれ!」
ビザーリム研究所跡の片付けをしていた作業員が、瓦礫の山の上から手を振った。ヘルメットをかぶった同僚達が集まると、彼は手にした計測器を指差す。
「妙な波形が見えるんだ」
まるで、その下で何かが脈動しているかのように、計測器は微弱な振動を感じ取る。
「『終焉の獣』を格納していた場所だからな。幽霊が出てもおかしくないくらいさ」
「気にすんな気にすんな!」
作業員に言い置いて、仲間達はそれぞれの作業に戻る。
「……マジで怨霊だったりな」
それきり彼もその場を立ち去る。
『私が……マルディアスを……』
怨嗟は誰も聞きもせず。
03/25-転変
世の中は有為転変する。マルディアスでも、三国の力関係は常に変化してきたし、ファルメア帝国が大陸の唯一絶対として君臨していたこともある。その前には、幾つもの小国が乱立して、果てしない争いを繰り返していた。
「今の世が、一番平和だよ」
瓦礫を背に、老人は子供達に語る。まだ街は復興の途中だが、作業をする若者達の表情は明るい。誰もが、長き闘争が終わったことを確信している。
「これからは、お前さん達が、マルディアスの平和を保ってゆくのだぞ」
それを見届けられるまでわしは生きられぬが、と、老人は手にした杖に寄りかかって笑った。
03/26-嗚咽
ふらふらと。溶け果てた建物の間を歩いてゆく男がひとり。顔には火傷の跡があり、右手は手首からぽっきりと折れたかのごとく無くなっている。薄汚れて擦りきれた服をぼろのように纏って、虚ろな目で歩いてゆく彼に、声をかける者はいない。
道に落ちていた岩に足をひっかけ、簡単にバランスを崩して倒れ込む。がん、と痛そうな音がして、こめかみのあたりからじんわりと血が地面に広がり始めた。
「父上……」
子供のようにぽろぽろ涙を流しながら嗚咽する彼を、助けるものはいない。
その襟元から、首にかけたドッグタグが覗いている。
No.1412 LINKS所属
が見える。
03/27-宿命
『あの姉弟が戦うのは、定められた宿命なのだよ』
おかしな笑いを洩らしながら、父はメスを握っていた。
『だから、お前がそこに関わるのも宿命なのだ。役に立たなければ、お前が生きている意味も無い』
泣きたくても泣けなかった。泣きたい、という感情さえ凍りついていった。
なのに、彼は自分を呼んで手を伸ばしてくれた。宿命とか運命などくそくらえとはかりに。ただ一人の大切な幼馴染として、灰になっても構わないとばかりに呼び続けてくれた。
隣で寝息を立てる、どこか幼い寝顔を見つめる自分の胸に、氷を溶かす温かい火が灯るのを感じる。
生きていて良かったと、やっと思えた。
03/28-黎明
三国が統一されて、新生皇国ができることになった。帝国では、ファルメアの悪行を継ぐようで、かといって三国のいずれかを名乗っては、その国が戦勝国のようになる。
三国の生き残った重臣達が頭を悩ませた末の、レイティスを皇王に据えた、『マルディアス統一皇国』の誕生であった。
『黎明期には、ぶつかり合いも、わだかまりもあるでしょう』
戴冠式で、豪奢な衣装に身を包んだ皇王は演説した。
『それでも、皆さん手を取り合って、マルディアスの未来を共に拓いてゆきましょう』
ラジオから流れてくる、凛と張った声に、あの子供返り皇女も立派になったな、と笑みをこぼした。
03/29-泡沫
泡沫の夢、という言葉があるのは、皇王のもとで学び始めて知った。
彼女にはもっと自由に生きて欲しいのに、三国の責任を一身に背負って、逃げることもできない。
「それが上に立つ者として生まれたあのお方の決めた道だ」
護衛騎士は相変わらず平然と言い放つ。
だから決めた。
侍従見習いなんてのうのうとしていないで、剣を取って彼女を守ると。
『あなたはこちら側へ来てはいけない』
かつて言った女性の顔を思い出す。
彼女とその幼馴染の青年を守ることにも繋がるのだ。自分が傷つくことくらい、全然構わない。
そうして、少年は夢から覚めて大人になる。
03/30-虚妄
「『終焉の獣』を倒したのは、この俺様だぜ!」
「嘘つくんじゃねえ! お前みたいな図体ばかりのやつに、あのデカブツを止められるはずがねえだろ! 俺こそが英雄だ!」
「君達、待ちたまえ。本物を前に、それは無いのではないかい?」
ヴァルファレス市街の燃え残った場末の酒場では、今日も虚妄に満ちた、嘘つきどもが囀ずっている。
「はいはいはいはーい。虚飾も妄言もそこまで」
そこに、LINKSのジャケットを羽織った数人の男達が入ってくる。
「俺達の英雄様を騙る奴らは、LINKS権限で逮捕しちゃおうかな~」
「す、すみません出来心でっす!」
今日も揉め事は絶えない。
03/31-凋落
庭に咲いていた花は、すっかり凋落した。
彼女が弱ってゆく日々を数えるように、ひらり、はらりと、少しずつ数を減らしたのだ。
だが、それと引き換えに、大切な思い出はひとつ、またひとつと、積み上がっていった。
「ありがとう」
今際の際に、彼女は凍っていた感情が溶けた、心からの笑みをひらめかせた。
「あなたのおかげで、幸せな人生だった」
愛する人は眠った。養父も永き停止をした。生きている仲間達は、大陸を立て直し、今も先頭に立っている。
ならば、始祖種ヴァーンとして、自分がやることは、ただひとつだ。
大事な人々が生きた、生きている世界を、守るために。畳む
#アルファズル戦記
#灰になるまで君を呼ぶ
#語彙トレまとめ
#語彙トレ2026 前半まとめ③
『この大地の上で』人物紹介
目次→714
第一部本文始まり→666
源時雨《みなもと しぐれ》 二十歳
ノルン大陸にあるジャオウ国の忍。幼い頃、謀反鎮圧で故郷ホクナを失い、ジャオウ太守の息子である皇本恭司《こうもと きょうじ》に命を救われ、養子となる。それに報いるために、ジャオウの忍の中でも高位の『星の忍』となり、青竜刀『星辰』を授かる。
しかし、閉鎖的なジャオウの跡継ぎでありながら、開国を推し進めようとする恭司を廃そうと画策した『元老院』の陰謀により、恭司は毒殺される。それを、姉弟子の舞岡細《まいおか ささめ》の犯行と『元老院』に吹き込まれ、逃亡した彼女を討つためにジャオウを旅立ち、ソフィアと出会う。
大切にしている人物の危機に関わるスイッチが入ると、ジャオウ訛りの粗野な口調で『星辰』を振り回して敵を排除する。だが、あくまで普段は親しみやすい、正義感にあふれた好青年。
ソフィア・ジェリング 十八歳
時雨がとある自治都市で出会った舞姫。ごろつきから絡まれていたのを時雨が助けた時点で彼を気に入っており、恩返しに昼飯をおごったところから、関わりが始まる。
読点の多い独特な話し方をするが、頭の回転は速く、状況分析も鋭い。
その正体は、ノルン大陸全土に侵攻しているラグナール皇国の皇王ゼノスの妹ティアナ皇女、の身代わり。本物のティアナは幼い頃に落馬事故で死んでおり、それを受け入れられずに狂ったゼノスが、始祖種エリオンの里を攻めた時に、ティアナに似た容貌のソフィアを『ティアナ』として連れ帰った。
ゼノスの野望を止める為に、国を飛び出して各地の協力をあおぐべく放浪している。
エクセル・ウォレン 二十三歳。
自治都市サーリアで出会った傭兵。ソフィアの知人であり、彼女がラグナールを脱出する手助けをした。お互い本当にそれだけの仲だと思っているが、時雨の胸中は穏やかではない。
ソフィアに「顔が時雨と似てる」と評されていた通り、その正体は、ホクナ国主の遺児で時雨の腹違いの兄。本名を源秋霖《みなもと しゅうりん》という。側室の子のため、国主継承権は正室の子である時雨より低い。
ホクナの生き残りをとりまとめ、故郷復興の旗頭に立ちつつ、ノルン各地を巡って、ラグナールに対抗する術を探していたが、ソフィアと共にいる時雨に出会い、彼にホクナの民を率いる立場を明け渡す。
とある失態から「刃物を持てない」という呪いを受けているため、針を武器として戦う。
皇本恭司《こうもと きょうじ》 享年三十六歳
ジャオウ国太守の長男。次期太守として、ジャオウを開けた国にしようと大望を抱いていたが、その奔放さを疎んじた『元老院』に毒殺された。
時雨をホクナ滅亡の時に連れ帰り、自分の養子とした。それが、本心からの同情による保護だったのか、ホクナ次期国主と知っていて利用できると思ったからなのかは、本人が亡くなった今、知る術は無い。
舞岡細《まいおか ささめ》 享年二十七歳
ジャオウ国『星の忍』の一人。苦無『流星』を持つ。
恭司とは主従以上の関係で、時雨も彼女を姉と慕っていたが、ある日突然、恭司を弑して姿を消す。
だが、『元老院』の陰謀により、警戒心の強い恭司を油断させるため、彼が信頼する細に毒入りの酒をそれと知らせずに持たせ殺害した、というのが真実であった。
最期は時雨をラグナール兵からかばって毒を受け、ソフィアに弟を託して息を引き取った。
アナベラ・ハルバーティア 「乙女に年齢を聞くなんて野暮だよ」
旅の隊商を率いるやり手の女商人。
サーリアの町で、ジャオウに向かう足を探していた時雨達と偶然出会う。本来は確実に儲かる仕事しかしない現実主義者だが、ジャオウがラグナールに勝つ可能性があると言うエクセルの弁に乗って、旅路を共にする。
紫香楽劾《しがらき がい》 六十七歳
ホクナの生き残りの長老的存在。国主一家の生き残りであるエクセル=秋霖を主君とあおいでいたが、彼が弟の時雨に主導権を渡すと、真っ先に従った。
見かけは小柄な老人だが、いまだ体力は衰えておらず、前線に立って戦う力を有している。畳む
#アルファズル戦記
#この大地の上で
#語彙トレまとめ
『この大地の上で』人物紹介
目次→714
第一部本文始まり→666
源時雨《みなもと しぐれ》 二十歳
ノルン大陸にあるジャオウ国の忍。幼い頃、謀反鎮圧で故郷ホクナを失い、ジャオウ太守の息子である皇本恭司《こうもと きょうじ》に命を救われ、養子となる。それに報いるために、ジャオウの忍の中でも高位の『星の忍』となり、青竜刀『星辰』を授かる。
しかし、閉鎖的なジャオウの跡継ぎでありながら、開国を推し進めようとする恭司を廃そうと画策した『元老院』の陰謀により、恭司は毒殺される。それを、姉弟子の舞岡細《まいおか ささめ》の犯行と『元老院』に吹き込まれ、逃亡した彼女を討つためにジャオウを旅立ち、ソフィアと出会う。
大切にしている人物の危機に関わるスイッチが入ると、ジャオウ訛りの粗野な口調で『星辰』を振り回して敵を排除する。だが、あくまで普段は親しみやすい、正義感にあふれた好青年。
ソフィア・ジェリング 十八歳
時雨がとある自治都市で出会った舞姫。ごろつきから絡まれていたのを時雨が助けた時点で彼を気に入っており、恩返しに昼飯をおごったところから、関わりが始まる。
読点の多い独特な話し方をするが、頭の回転は速く、状況分析も鋭い。
その正体は、ノルン大陸全土に侵攻しているラグナール皇国の皇王ゼノスの妹ティアナ皇女、の身代わり。本物のティアナは幼い頃に落馬事故で死んでおり、それを受け入れられずに狂ったゼノスが、始祖種エリオンの里を攻めた時に、ティアナに似た容貌のソフィアを『ティアナ』として連れ帰った。
ゼノスの野望を止める為に、国を飛び出して各地の協力をあおぐべく放浪している。
エクセル・ウォレン 二十三歳。
自治都市サーリアで出会った傭兵。ソフィアの知人であり、彼女がラグナールを脱出する手助けをした。お互い本当にそれだけの仲だと思っているが、時雨の胸中は穏やかではない。
ソフィアに「顔が時雨と似てる」と評されていた通り、その正体は、ホクナ国主の遺児で時雨の腹違いの兄。本名を源秋霖《みなもと しゅうりん》という。側室の子のため、国主継承権は正室の子である時雨より低い。
ホクナの生き残りをとりまとめ、故郷復興の旗頭に立ちつつ、ノルン各地を巡って、ラグナールに対抗する術を探していたが、ソフィアと共にいる時雨に出会い、彼にホクナの民を率いる立場を明け渡す。
とある失態から「刃物を持てない」という呪いを受けているため、針を武器として戦う。
皇本恭司《こうもと きょうじ》 享年三十六歳
ジャオウ国太守の長男。次期太守として、ジャオウを開けた国にしようと大望を抱いていたが、その奔放さを疎んじた『元老院』に毒殺された。
時雨をホクナ滅亡の時に連れ帰り、自分の養子とした。それが、本心からの同情による保護だったのか、ホクナ次期国主と知っていて利用できると思ったからなのかは、本人が亡くなった今、知る術は無い。
舞岡細《まいおか ささめ》 享年二十七歳
ジャオウ国『星の忍』の一人。苦無『流星』を持つ。
恭司とは主従以上の関係で、時雨も彼女を姉と慕っていたが、ある日突然、恭司を弑して姿を消す。
だが、『元老院』の陰謀により、警戒心の強い恭司を油断させるため、彼が信頼する細に毒入りの酒をそれと知らせずに持たせ殺害した、というのが真実であった。
最期は時雨をラグナール兵からかばって毒を受け、ソフィアに弟を託して息を引き取った。
アナベラ・ハルバーティア 「乙女に年齢を聞くなんて野暮だよ」
旅の隊商を率いるやり手の女商人。
サーリアの町で、ジャオウに向かう足を探していた時雨達と偶然出会う。本来は確実に儲かる仕事しかしない現実主義者だが、ジャオウがラグナールに勝つ可能性があると言うエクセルの弁に乗って、旅路を共にする。
紫香楽劾《しがらき がい》 六十七歳
ホクナの生き残りの長老的存在。国主一家の生き残りであるエクセル=秋霖を主君とあおいでいたが、彼が弟の時雨に主導権を渡すと、真っ先に従った。
見かけは小柄な老人だが、いまだ体力は衰えておらず、前線に立って戦う力を有している。畳む
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#語彙トレ2026 前半まとめ②
『雪が解けて春になる』番外編登場人物
目次→714
本文→712
ゼファー 十八歳
フィムブルヴェートを滅びの『霧』から守る竜族の竜兵《ドラグーン》。始祖種ダイナソアの血を引いており、性別が確定していない。(無性)
様々な功績の結果、フィムブルヴェート同盟軍の盟主として、ひとと竜族をまとめる立場に就いた。
ヒオウ・ダガート・トス・ヴィフレスト 二十七歳
ヴァーリの弟である、ヴィフレスト前王の第二王子。兄とは正反対の人格者。
幼い頃に出会ったゼファーを女性と見て好意を寄せているが、当のゼファーは気づいていない。
ウィルソン・ガルフォード 二十五歳
かつて『虹王国稀代の軍師』と呼ばれた名軍師。自分の策で妻を失い隠遁していたが、ゼファーに叱咤されて戦場に復帰し、同盟軍の筆頭軍師となる。
キルシス 十九歳
竜兵の青年。ゼファーのすぐ上の兄。大柄で豪快、難しいことを考えるのが苦手だが、情には篤い。
マギー 十六歳
本名マグノリア。ダイナソアの言葉を解読できるため、ヴィフレストに利用されていたが、今は同盟軍の一員となっている。キルシスとは顔を合わせれば憎まれ口のたたき合いをしながらも、憎からず思っているようだ。
アバロン 二十三歳
竜兵の長兄。元々は有翼人・防人《さきもり》の孤児。魔法の力も、笑顔で放つ毒舌も強烈。
モリエール・ガルフォード 十九歳
ウィルソンの義妹《いもうと》。自らも軍師の才を持つ。義兄《あに》に想いを寄せていることは、当人達を含めて周知の事実。
クリミア 二十歳
竜兵の紅一点。気の強さと毒舌は長兄にも負けていないが、年頃の女性の側面も持ち合わせている。
クライブ・リューグ 二十六歳
ヴィフレスト北部に生息する吸血鬼を屠る、吸血鬼狩り《ヴァンパイアハンター》一族の生き残り。
エリア・レラノイア 十九歳
美貌を持つ先代防人盟主の娘。裏切り者の反乱により追われる身だったが、ゼファーの活躍により、新たな盟主となる。
メディリア 年齢不詳
竜王《ドレイク》の女性。ヴィフレストを興した英雄リヴァティの双子の妹。
ヴァーリ・ヴァン・ウル・レクス・ヴィフレスト 二十九歳
ヴィフレストの現国王。父親を殺して王位を簒奪し、大陸制覇を目論む。その戦闘力は人間離れしており、性格も残虐で、『鬼王《きおう》』の異名を持つ。
パイソン 二十二歳
竜兵の次兄。長らく行方をくらませていた。卑屈で卑怯なところがあり、メディリアも動向を懸念している。畳む
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『雪が解けて春になる』番外編登場人物
目次→714
本文→712
ゼファー 十八歳
フィムブルヴェートを滅びの『霧』から守る竜族の竜兵《ドラグーン》。始祖種ダイナソアの血を引いており、性別が確定していない。(無性)
様々な功績の結果、フィムブルヴェート同盟軍の盟主として、ひとと竜族をまとめる立場に就いた。
ヒオウ・ダガート・トス・ヴィフレスト 二十七歳
ヴァーリの弟である、ヴィフレスト前王の第二王子。兄とは正反対の人格者。
幼い頃に出会ったゼファーを女性と見て好意を寄せているが、当のゼファーは気づいていない。
ウィルソン・ガルフォード 二十五歳
かつて『虹王国稀代の軍師』と呼ばれた名軍師。自分の策で妻を失い隠遁していたが、ゼファーに叱咤されて戦場に復帰し、同盟軍の筆頭軍師となる。
キルシス 十九歳
竜兵の青年。ゼファーのすぐ上の兄。大柄で豪快、難しいことを考えるのが苦手だが、情には篤い。
マギー 十六歳
本名マグノリア。ダイナソアの言葉を解読できるため、ヴィフレストに利用されていたが、今は同盟軍の一員となっている。キルシスとは顔を合わせれば憎まれ口のたたき合いをしながらも、憎からず思っているようだ。
アバロン 二十三歳
竜兵の長兄。元々は有翼人・防人《さきもり》の孤児。魔法の力も、笑顔で放つ毒舌も強烈。
モリエール・ガルフォード 十九歳
ウィルソンの義妹《いもうと》。自らも軍師の才を持つ。義兄《あに》に想いを寄せていることは、当人達を含めて周知の事実。
クリミア 二十歳
竜兵の紅一点。気の強さと毒舌は長兄にも負けていないが、年頃の女性の側面も持ち合わせている。
クライブ・リューグ 二十六歳
ヴィフレスト北部に生息する吸血鬼を屠る、吸血鬼狩り《ヴァンパイアハンター》一族の生き残り。
エリア・レラノイア 十九歳
美貌を持つ先代防人盟主の娘。裏切り者の反乱により追われる身だったが、ゼファーの活躍により、新たな盟主となる。
メディリア 年齢不詳
竜王《ドレイク》の女性。ヴィフレストを興した英雄リヴァティの双子の妹。
ヴァーリ・ヴァン・ウル・レクス・ヴィフレスト 二十九歳
ヴィフレストの現国王。父親を殺して王位を簒奪し、大陸制覇を目論む。その戦闘力は人間離れしており、性格も残虐で、『鬼王《きおう》』の異名を持つ。
パイソン 二十二歳
竜兵の次兄。長らく行方をくらませていた。卑屈で卑怯なところがあり、メディリアも動向を懸念している。畳む
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最初はできるだけ期間ごとに、時雨とソフィアの視点を入れ換えようと思っていたんですが、んなことできなかったよ!!!!!
時雨でないと説明できないこと、ソフィアでないと説明できないことがあって、片方が長くなったりします。
前→721
08/21-要衝
ソフィアには、後でフォローを入れとかないとな……と思いながら、ヴァイシャが作戦卓上に広げた、草原諸国の地図を皆で囲む。
「草原諸国はフェルガナ族を長にしているが、ラグナールへの最前線は、ニネヴェ族が担っていた。その要衝を奪われたことで、他の氏族もあっという間に崩れていった」
「じゃあ、逆を返せば、ニネヴェの領域を取り戻せば、草原諸国はラグナールを押し返せるか?」
「ああ」
俺の推測に、ヴァイシャは力強く頷く。
「『元老院』を排除した今、高砂が檄を飛ばせば、ジャオウは従うだろ」
「武具の調達は任せな。伝手はある」
エクセルとアナベラが、にっと笑った。
08/22-黄昏
「ぼ、ぼくは……」
名指しされた高砂が、おろおろと狼狽える。
「安心しろよ。何もお前一人が全部やれってんじゃあない」
エクセルは歯を見せて、俺のほうを向いた。
「ジャオウの『星の忍』にして、ホクナの嫡男。太守代理として後ろ楯になるには充分だ」
……やっぱり、そう来たか。ああ、来るよなあ。
「時雨」高砂がおずおず見上げてくる。「助けてくれますか?」
そう問われて、否を唱えられる立場じゃないんだよなあ。
覚悟を決めて、高砂の前にひざまずき、拳を胸に。
「『星の忍』の生き方に則り、ホクナの民を導く者として、ラグナールに黄昏をもたらしてみせましょう」
08/23-憑依
「では、詳しい作戦会議は明日に」
ヴァイシャの一声で、その場は解散した。
残った一人に、声をかける。
「すまない」
「ううん、だいじょぶ」
いくら実の故郷を焼いたとはいえ、少しはゼノスに情もあるだろう。それでも、ソフィアは薄く笑って、ふるふる首を横に振る。
「それよりも、さっきの時雨、かっこよかった。なんか、憑依してる、みたいで」
「恭司様と細が後押ししてくれたのかもな」
冗談めかして言うと、碧眼がじっと見上げてくる。凝視されると、なんだか落ち着かない。
「……あのね」
一、二回躊躇って、ソフィアは言った。
「お願い、聞いてくれる?」
08/24-形骸
「故郷、行きたいな」
ソフィアの言う『故郷』は、ラグナールじゃあない。生まれ故郷、エリオンの里だろう。
「だけど」
思わず言い淀む。里はゼノスに焼かれたんだ。形骸も残っていないかもしれない。
ソフィアもそれはわかりきっているのだろう。こくり、と頷いて続ける。
「でも、わたしの、はじまりを、知りたい。時雨が、ホクナへ、行ったように」
そう言われたら、止める権利は俺には無い。自分のルーツを知ることは、前へ進む力になる。
「わかった。草原諸国を解放したらな」
くしゃりと水色の髪を撫でると、ソフィアの表情がぱっと明るくなり、首に飛びつかれた。
08/25-露見
『元老院』が全員いなくなった。
ホクナの戦士たちが「少しどついた」結果、恭司様の暗殺についてすべてを吐き出したのだ。
企みが露見した結果、太守の跡取りを謀殺したこと、ジャオウ陥落時に太守を守らず我先に逃げ出したこと、その他諸々の罪で、自分たちが擁立した新太守の高砂に、処刑を言い渡されたのだ。
まあ、びくつく彼女に「言ってやれ」と背中を押したのは、俺だが。
「反逆国のハイエナが!」
「呪われろ!」
処刑場に引っ立てられてきた連中は、俺に恨み言を吐く。
『同じこと、返したるわ』
ジャオウ語で、笑ってやった。
『せいぜい、奈落で苦しめ』
08/26-堕落
エリオンの光が、儚く、消える。
「……ごめんなさい」
「貴女が謝ることではない」
肩を落とす、わたしに、ヴァイシャは首を横に振った。
彼女の許婚にして、裏切り者、クラナハの、妹。エコー。草原諸国が侵略された時、目を焼かれて、視力、失くした。
彼女の難はそれだけじゃ、なくて。生まれつき、耳が、聴こえない。そこに見えないから、彼女は今、音も色も無い、暗闇の中。
肩を落とすわたしの手を、エコーが取って、てのひらに、なにか書く。
草原諸国の、言葉で。
『ありがとう、ごめんね』
自堕落でも、なんでもない、こんなに頑張ってる子に、神様は、不平等だ。
#語彙トレ2026 08/27-鳶色
エリオンの力、使っても。エコーの目を、治せなかった。
あー……。細さんのこと、思い出しちゃうな。始祖種の癒しの力でも、助けられない人、いる。
砦の屋上で、ひとり、落ち込んでると。
「草原諸国の夕方は、風邪引くぞ」
ぱさり、と。ショールが頭から、かけられた。振り向けば、時雨と、もうひとり、鳶色の髪の男の子。
「姉上の言う通り、あなたのせいではありません。むしろ、エコーのために力を尽くしてくださり、ありがとうございます」
姉上、ってことは、ヴァイシャの弟、か。
「ネルウァと申します。お見知りおきを」
んー……なんか、違和感。
彼女と似てない。
08/28-畏怖
「……ああ」
わたしたちの疑念に、気づいた、のかな。ネルウァが、困った顔して、苦笑する。
「僕はフェルガナの血を引いていないのです。マアサルの翠黛の畏怖を越えてきた傭兵が、父に託した子です」
マアサルの向こう、ってことは、ラグナールから来た傭兵? でも、あのひとは、傭兵がどこの出身でも、気にしてなかったから、どこの出身かは、わからないな。
「ですが、心は草原にあり、ヨレイアの草の風を愛している。出自に関係無く、姉上を支えたいと思っています」
すごく、できた子だな。
「お前は強いな」
同じような感想を、時雨もこぼす。
「俺も、そうでいないと」
08/29-擽る
「わっ」
ネルウァが突然、変な声、出した。
「エ、エコー、やめ」
いつの間にか、エコーがむすっとした顔して、こちょこちょ、ネルウァを擽ってる。
やきもち? でも、エコーは見ることも聴くこともできない、はずで?
「す、すみません」
ネルウァが困り果てた顔で、エコーの手を取ってやめさせる。
「エコーは、身近な人間や至近距離なら、気配と、何を言っているかを、感じ取る力があるんです」
「ああ、ギフテッド」
後から来た、エクセルが、納得した様子で頷く。
「草原諸国にはけっこういるっていうからな」
魔法とは、違う力、なのかな?
08/30-因果
「義兄上……いや、クラナハは、エコーを溺愛していました。姉上のことも、大切に想っていた。誰が見ても、相思相愛でした」
エコーの肩に手を置いて、ネルウァは語る。エコーも不安げな気配を顔に宿して、ネルウァを見上げている。
「それが、フェルガナが陥ちたあの日に、彼が指揮する部隊の放った炎で、エコーは目を焼かれて。因果な巡り合わせです」
つまり、兄の裏切りで、妹はぼろぼろになった。
「勝手なもんだな」
時雨が、怒りを宿した声で、拳、握り締める。
「『元老院』と一緒だ」
「それを止めるために、お前が動くんだろ」
エクセルが、時雨の肩を叩いた。
「気張れ、弟」
08/31-呪詛
その頃、ラグナール首都エインゾア。
「陛下」
クラナハは階の下に跪き、玉座に収まる男に頭を垂れていた。
「必ず、草原諸国を完全に焼き払い、陛下の憂いを断ってみせましょう」
頬杖をついた男は、喉の奥で嗤ったようだった。
「裏切り者が、また裏切らないようにな」
その言葉に、クラナハは唇を噛んで、己の左手を見下ろす。甲に血の色で刻まれた、おどろおどろしい刺青を。
「『ユミールの呪詛』に逆らえると思うなよ?」
「……は」
隷属の証に、これを刻まれた。逆らえば、ヴァイシャやエコーたちにどんな危害が及ぶか。
黙って離れるしか、無かったのだ。畳む
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